各地域、同時代並行の世界史
世界史・納得のツボ(近代編)
home 納得ツボ(近代編) 納得のツボ(案内)

120年〜1350年:2

(9) 「モンゴル」の成功の背景

空前絶後の大帝国がこの時代になぜ、成立したのか。
  1. モンゴル帝国の成立直前は、ユーラシアは分裂状態だった。
  2. 商人たちは安定を求めていた。
  3. ユーラシアの各地でおきた経済成長に対応する交易システムが求められていた。
  4. モンゴルは民族名ではなく、組織名と考えると分かりやすい。

チンギス・ハーン

テムジンと呼ばれた後のチンギス・ハンは弱小の部族のリーダーでした。1206年のクリルタイ(部族長会議)でハンの位に就いてから急速に勢力を伸ばしていきました。

彼は従来の遊牧民のような部族連合体の形をとらず、傘下の遊牧民を十、百、千と十を単位とした軍団に組織し、中央を身内で固めました。全軍が指示どおりに敏速に動くように配慮したのでした。

ページのトップ

モンゴルの征服

ハンの位に就いたチンギス・ハンは30年をかけずに中央アジアの遊牧国家のほとんどを征服し終えています。彼は統一途上で死去しますが、さらに40年ほどかけて孫達の手によってロシア、イラン、中国が征服されました。

5代ハンの位をめぐって内紛がありましたが、予定されていた順を無視してクビライが実権をとり、大ハンの位に就きました。その後1279年、クビライは南宋を滅ぼし、モンゴル帝国のユーラシア征服は一段落しました。

征服の功績を考慮した結果、モンゴル帝国はキプチャク・ハン国(ロシア)、イル・ハン国(イラン)、元(中国)、チャガタイ・ハン国(中央アジア)に分裂しましたが、クビライは元朝の皇帝として中国を支配しながら、全モンゴル帝国を緩やかに束ねていきました。

ページのトップ

モンゴル帝国の成功の秘訣

チンギス・ハンの成功の秘訣としてあげられるのは、遊牧民の機動力、人材活用術、情報戦略そしてアジア伝統の寛容な民族支配です。

遊牧民としての生活はそのまま移動する軍隊の組織になりました。補給物資を輸送する必要のない彼らの軍隊は常識を越えたスピードで移動できました。安定した商業活動を望むオアシス商人はモンゴルの征服事業を歓迎しましたので、彼らの適確な情報に基づいて作戦が立てられ、国作りにも役立てられました。

また、広大な地域を支配することになったモンゴル帝国は支配下の民族には自治を認め、徴税と治安の確保を重点に支配しましたので、支配のための官僚や軍隊も最小限で済みました。

モンゴル以後、アジアの各地を支配した帝国は「明」以外ほとんどが遊牧民系の征服王朝で、モンゴル帝国のこの合理的な支配方式はその後の諸帝国の手本となりました。

ページのトップ

「株式会社」モンゴル

モンゴルという言葉はモンゴル帝国の出現によってメジャーになり、時代をさかのぼって民族名のように使われていますが、本来は弱小な部族の名称でした。しかし、チンギス・ハンの成功によって、その概念が膨らんでしまいました。

その原因は、モンゴル帝国の人材活用法にありました。チンギス・ハンはハンの位の継承には血縁にこだわりましたが、人事には民族も宗教もこだわりませんでした。適材適所、「忠実」で「有能」な人材が採用され、彼らはみな「モンゴル」に属したのです。

現在風に言えば、「モンゴル・コーポレーション」です。「モンゴル」とは集団・組織の名称でした。

ページのトップ

ユーラシア交通圏

北京から地中海まで続く「草原の道」・「オアシスの道」にはジャムチと呼ばれる駅伝制がしかれました。ユーラシア大陸を旅する人は、「駅」について皇帝が発行したパスポートを示せば、疲れた馬を乗り捨て、準備された元気な馬に乗り継継いで、次の「駅」に急ぐことができました。

古代から発展してきた陸上交通がモンゴル帝国の統一によって、完成の姿を見せることができたのでした。

それ以上に重要なことは、完成した陸上貿易と海上貿易が一つの秩序のもとにつながったということです。クビライ・ハンが時間をかけて南宋を征服し、二度にわたって日本を攻め、東南アジアにまで軍隊を派遣したのも、この海上貿易にこそ真のねらいがあったのでした。

大量の物資を運ぶことのできる海上貿易は、陸上貿易にはなかった大きな可能性を秘めていたのでした。

ページのトップ

トルコ系王朝

7世紀より12世紀にかけて、モンゴル高原から中央アジア・西アジアに進出してきたトルコ系の遊牧民は、その後イスラーム世界に定着し、軍人奴隷(マムルーク)として活躍する者もいました。

この時代にはモンゴル帝国に押されるような形で、1206年にはインド初の奴隷王朝が、1250年にはエジプトにマムルーク朝が、1299年にはアナトリア半島にオスマン帝国が建国しました。

これらの王朝は14・15世紀にかけて勢力を伸ばし、西ユーラシア世界は主にトルコ系の王朝が20世紀まで栄えることになりました。

ページのトップ

home 納得のツボ(近代編) | 前ページ | 次ページ