8世紀半ば、西アジア・北アフリカをほぼ統一したアッバース朝下で、イスラーム文化がその最盛期を迎えていましたが、10世紀以後は大きな変化が現れ始めました。
イスラームにおいては神の使徒(=ムハンマド)の代理人とされたカリフが、ムハンマドの死後イスラームの結束の要となってきましたが、この時代にはイベリア半島(後ウマイヤ朝)・エジプト(ファーティマ朝)・バグダード(アッバース朝)にそれぞれカリフが並び立つような事態になっていました。
さらに、モンゴル高原から徐々に移動してきていたトルコ人が、この時代には西アジアの各地で台頭し、アナトリア半島にセルジューク朝を建国しました。また、イラン高原ではイラン人によりブワイフ朝が生まれ、独自のイスラーム国家を目指しました。
しかし、世俗的な国家は多様化しても、確固と維持されるイスラームの教えと法は忠実に守られ、ウラマーと呼ばれたイスラム法学者達が、信仰と現実の間に生じる溝や緊張の解決に心を砕きました。
この時代、ムスリム(=イスラム教徒)商人たちは東アフリカの沿岸やインド・東南アジアまで出かけていき、イスラームを広めました。
西アジアの遊牧民の世界とは異なるこうした地域で活躍したのは、スーフィーと呼ばれたイスラム神秘主義の人びとでした。彼らは、舞などによって唯一神アッラーと一体となる体験をとおして、イスラームを広めていきました。
こうして、イスラームはイベリア半島からフィリピンにまでつながる世界の共通宗教になっていきました。このムスリム達にいきなり襲いかかってきた人たちがいました。西ヨーロッパからやってきたキリスト教徒達でした。
8世紀頃からムスリム商人はダウ船に乗って広州まで交易の範囲を広げていましたが、この時代にはジャンク船や羅針盤などを利用した中国商人が海上貿易に進出するようになりました。その結果、北海・バルト海から日本海までが海のネットワークによってつながるようになりました。
このようなネットワークによってそれまで辺境とされてきた地域でも新しい変化が生まれました。例えば、東アフリカにイスラーム文化とアフリカが融合されたスワヒリ文化が生まれたり、日本の東北の平泉で藤原文化が育ったりしました。
また、砂漠を越えるそれまでの陸上貿易と違って、大量に輸送が可能な船による貿易によって、陶磁器などの重い商品や日常生活品など新しい商品が交易の対象になっていきました。