西ヨーロッパ世界については、ローマ教皇と皇帝の関係を理解できるかどうかがポイントになります。しかし、これが微妙で分かりにくいのです。ですから、分かりやすくするために、ここでは少し大胆にデフォルメしました。
ローマ教皇と皇帝の関係は、形の上では日本の天皇と将軍(征夷大将軍)の関係とよく似ています。武力を持たない天皇は、力のある武士を選んで将軍の地位を授け、自分の守護者とします。将軍もそれによって支配者としての権威を得ます。ローマ教皇と皇帝も基本的にはこれと同じ関係にありました。
教皇はローマ教会の最高位にあって、配下の大司教・司教・司祭・修道院長のトップに君臨しています。教皇から「お前はキリスト教ではない。」と破門されると、キリスト教社会では人間として扱われなくなります。法的に守られなくなり、家畜以下の存在になってしまいます。そういう意味で、教皇は宗教的な権威の象徴であっても、強い影響力を持っていたと考えられます。
現在のイギリスの国王エリザベス2世は、1066年イギリスを征服したノルマンディー公ウィリアムの血筋とかろうじてつながっています。しかし、そのウィリアム1世は北欧からやってきたノルマン人の子孫です。フランスの国王やドイツの国王は有力諸侯によって選ばれた人物の子孫またはその血筋がつながる者がその地位につきました。
諸侯は古代ローマの貴族の子孫などと自称していますが、その根拠は曖昧です。日本の大名も祖先をさかのぼると天皇家とつながりのある源氏や平氏にたどり着くと自称しているのとよく似ています。結局、実力があっても人びとを支配するには、教皇や天皇の権威が最後には必要になります。ヨーロッパの国王も教皇の権威によってその地位を確かなものにしようとしました。
さて、皇帝ですが、そもそも西ヨーロッパには皇帝は存在しません。東ローマ帝国は存続しましたが、西ローマ帝国は5世紀には滅びてしまっています。ただ、ローマ教皇の心の中には、「もう一度、西ローマ帝国を再建したい。」という思いだけは長い間続いていました。そして、ローマ教皇は、実際には存在しない西ローマ帝国の皇帝の位を、力のある国王に授けたのです。
困るのは位を授けられた皇帝の方です。実体のない帝国の皇帝の命令に、他の国王達が従うわけがありません。
戦国時代の日本では、実力のある大名達が全国に割拠していて、天皇と言えども全国に命令を出して、従わせることはできませんでした。天皇から将軍の地位を授けられた室町幕府も、一部の大名達を支配下におく将軍にすぎませんでした。
西ヨーロッパの皇帝は、室町幕府の将軍に似ています。日本の大名達が「朝敵(=天皇の敵)」とされることを恐れたように、西ヨーロッパの国王達も、教皇から破門されることは怖かったので、教皇の権威を後ろ盾とする皇帝をあからさまにないがしろにすることはできませんでした。
ヨーロッパの歴史には、東のビザンツ帝国(東ローマ帝国)に対抗して西ローマ帝国を再建しようというコンプレックスのような力がはたらき続けてきました。「幻のローマ帝国」の幻想こそヨーロッパという世界の歴史を脈々と流れる地下水です。
ビザンツ帝国が滅びてから始まる宗教改革、絶対王権の覇権争い、ナポレオン戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦、EU統合。これらを「西ローマ帝国再建物語」として読むことができます。この第二部では、それを物語っていくことにします。