V:「生きづらさ」について
自己という病
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8.意識される「自己」

  • 母親と世界を共有することを知ったあと、「自己」にはどのような変化が現れるのでしょうか。
  • @本当に母親には見えているのか

     ここに、一つの疑問が生じます。赤ちゃん本人には、物が見えていることは、それまでの「物理実験」ですでに了解済みの体験的事実です。しかし、母親に同じ物が見えているという事実は赤ちゃんの想像でしかありません。このことは、大人になっても同じです。私たちは死ぬまで他人の体を体験することはできないのです。

     ですから、同じ世界に生きているという感覚も、あくまでも想像によるものであり、そうして描かれた世界はイメージでしかないということになります。

     赤ちゃんが母親と共に視(=観)ているのはイメージされた「物」だったのです。

    図(物とイメージ)

    A「世界の共有」が意味すること

     <赤ちゃん>と<母親>と<物>との三角関係は、母親との共通体験によって豊かになっていきます。つまり、イメージの世界が広がっていくのです。そして、これまで体験してきた母親との関係もイメージ化され、さらに母親から見られている自分もまたイメージになっていきます。

     つまり、世界が二重に見え始めるのです。さらに言えば、<物>が視界から消えてしまっても、存在し続けているという確信が育ってくるのです。赤ちゃんが「いない、いない、バアー」の遊びに生き生きとした反応を示す頃のことです。

     この過程で、赤ちゃんには大きな変化が起き始めます。生活の軸が「実在する世界」から、母親と一緒に体験する「意味の世界」に移っていくのです。この微妙な変化を敢えて言葉にすると、次のように例えられるかもしれません。

     あなたが、知らない街の駅に降り立ったとします。そこがどんなところか、あなたは知りません。あなたは立ちすくんで緊張しながら、どっちに行こうか手がかりを街の様子のなかに探ります。この段階が、生まれて二三ヶ月の赤ちゃんです。

     立ちすくんでいるあなたは、周りの人の流れに沿って、きょろきょろしながら街へと入っていきます。そして、ありこち歩き回ってだいたい街の様子がわかるようになります。 そして、後日再び同じ街に訪れたあなたは、もう初めて降り立った時の街の様子を思い浮かべることはできません。そこにあるのは、この前に来て歩いた街でしかないのです。

    B三つの世界

     赤ちゃんが立って歩くようになり、何かを母親に伝えようとする様子が見え始める頃、赤ちゃんは三つの世界を体験するようになっています。

     ひとつは、赤ちゃんが体験している現在進行形の目前の世界です。時とともに次々と消えてしまうという意味でこれをライブの世界と呼ぶことにします。

     二つめは、母親とともに体験することによって形づくられた共同の世界です。ここには過去の体験も含みますから、イメージの世界と言うことができます。

     もう一つは、赤ちゃんの身体も含んだ「物」の世界です。自分の身体が現実に存在するからこそ、ライブの世界イメージの世界も体験できるわけですから、これがもっともベーシックな世界ですが、誰かと一緒に世界を体験するようになると、普段はその存在すら気にしなくなり、「在るはずの世界」になってしまいます。

     こうして、人は、ライブの世界とイメージの世界を中心に人生を歩いていくことになるのです。

    図( 三つの世界 )


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