V:「生きづらさ」について
自己という病
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7.「me」と「I」が統合されるとき

  • それでは、「I」と「me」の関係はどのようになっているのでしょうか。
  • @他者への期待

    周りにある物を見たり触ったりしている自分(I)と、母親との関わりにおける自分(me)とは、赤ちゃんのなかでどのように結びついているのでしょう。

    母親との関係は、快・不快や苦痛など生理的な状態と結びついています。そこに相手への期待がからめば、それは満足、喜びや失望、悲しみなどの感情を引き起こします。つまり、母親との関係での自己は「感情」としての自己と言っていいでしょう。

    しかし、そこに変化が現れます。たとえば、最初は同じように聞こえていた赤ちゃんの泣き声に、微妙な違いがあるのが分かるようになります。泣き方が状況と結びつき、「おむつを替えて欲しがっている」とか「ミルクだな」とか「熱があるのかも」とか、何を言いたがっているのかだいたい分かるようになるのです。

    これを「意志」とまでは言えなくても、赤ちゃんが自分を「表現」していることは確かです。ということは、やはり、そこに「意志」がからんでいると想定してもいいのではないでしょうか。泣いて欲求を表すだけだったのが、効果や結果を期待して欲求を表現できるようになったと言ってもいいでしょう。勿論、お母さんの慣れもそれを助けていることは言うまでもありません。

    A「お母さんも見ている!」

    周りの物に関心が向くようになるということは、母親にも同じ視線が送れるようになるということです。(me)としてだけだった自分が、(I)としての目をもつようになって、母親を(you)という存在として視られるようになります。

    そして、ある日、画期的なことがおきます。自分(I)が見ている物を、お母さんも見ているいることに気づくのです。

    図(自己と母親と物の関係)


    それまでは、「自己」と<物>あるいは「自己」<<母親>という、別々の二者関係しかありえなかったのですが、ここに「自己」・<母親>・<物>の三者関係が成立するようになるのです。(一人称、二人称、三人称とはよく言ったものです。 おそらく世界の言語に共通する文法構造でしょうね)

    ひと言で言えば、「自分が見ている物をお母さんも見ている」ことに気づく瞬間です。つまり、「自分とお母さんは同じ世界に存在している」ことが理解できるようになるのです。さらに言えば、そういう存在として「自己」を感じ、世界を感受するようになるということです。

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