生まれて二三ヶ月で、赤ちゃんは目覚ましい成長を示します。体重も脳の重さもその成長率は際だっています。そうでなければ、二十四時間体制で保育をしているお母さんの体力がもちません。
乳を飲んでは眠る日々をくり返すうちに、赤ちゃんの体はだんだんしっかりしてきます。支えなければグニャッとなってしまいそうだった首にも筋肉がついてきます。一人で仰向きのまま両脚をばたつかせたりします。自分の体の動き具合を試しているかのようです。
やがて、手の届く物はなんでもつかんで、口にもっていったりするようになります。あたかも見知らぬ惑星を探索でもしているかのようです。寝返りをうつことができるようになると、周りへの好奇心はいっそうおう盛になります。さらにハイハイができるようになると、何をしでかすかわからなくなります。この頃の赤ちゃんは何を考えているのでしょう。
A「物理学者」の卵
何度も同じことをくりかえす乳幼児。そばであくびを連発している退屈そうな子守のおじいちゃん。しかし、当の赤ちゃんは真剣です。あたかも物理の実験をしているかのように、物を振り回したり、投げ捨てたり、ぶっつけたり、なめたりして、その材質感や扱い方を研究しているようです。勿論実験ノートなどありません。実験の結果はすべて、体感として体に蓄積されていきます。
図(Iの形成)
こうして、自分が置かれている環境を理解し、周りの物と自分との関係について少しずつ理解を深めていきます。働きかければ物は動き、手を離せば落下する。このようにして原因と結果の関係がわかれば、原因をつくっている自分の存在も当然意識されるようになります。
赤ちゃんにとって、<知る>ことと<行動>は同じことです。体験はすべて行動として蓄積され、その結果、行動する主体(主人公)としての「I」が形成されていきます。
自転車の乗り方や泳ぎ方は口では説明できませんが、一度それを体験すると、一生わすれません。赤ちゃんの学習の仕方はこれと似ているようです。ですから、認知症になっても、この頃に修得した能力は消えません。
一人称・二人称・三人称という区別はどの言語にもあります。原因と結果、共通点と相違点、分類、集合、順序、大小の比較など基本的なものの考え方は人類共通だと思います。さらに、上下・左右とか裏表などの空間認識や昨日・今日・明日などの時間意識もおそらく共通していることと思います。
なぜ、共通しているのでしょうか。それは、人類は基本的には同じ構造の身体をもち、同じ地球という環境にすんでいるからではないでしょうか。そして、乳幼児期にそれらを体験として体で理解しているから、人類の思考方法の基本は共通しているのではないでしょうか。(これらの一部は、他の動物も共通して持っているのではないかと思います)
この人類共通の思考方法を、意識的に整理し体系化したものが数学であり、それを使って環境を説明する科学が生まれたのではないでしょうか。ですから、私たちは数学や科学によって説明されると、「真実」だと感じてしまうのではないでしょうか。このことは、後の章で詳しく取りあげます。