V:「生きづらさ」について
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第二章 「自己」はどのように生まれるのか

まず生まれたばかりの「赤ちゃん」の姿から、「自己」と「人間関係」について考えてみます。(生物としての自己については、付録として最後に載せました。関心のある人は参考にしてください)

4.はじまりは依存と共生から

  •  魚類や爬虫類とちがって、鳥類や哺乳類は、他から保護・養育されなければ自力では生きていけない状態で生まれます。
  •  特に人類はこの依存的体質がつよい生き物のようです。このことの意味を考えてみます。
  • @生き残るための知恵

    水族館の巨大な水槽のなかで、群れをなして優雅に泳ぐイワシの群れ。まるでシンクロナイズスイミングのような統率のとれた動きです。自然にこのような動きが生まれているのです。イワシだけではありません。大空に描かれた鳥の大群の巧みな編隊飛行、草原を疾走するシマウマの群れのリズミカルな躍動。リーダーに指揮されることもなく、迫りくる外敵の攻撃から逃れるみごとな集団の舞。

    動物たちのこの動きを参考に、互いに衝突を回避する自動運転プログラムが自動車メーカー(※)によって開発されました。プログラムのポイントは次の三点だけです。

    1. 衝突回避:互いにぶつからないように進行方向を変える。
    2. 併走:互いの距離を一定に保つように動く。
    3. 接近:離れすぎると、近づく。

    たった、この三原則を守るだけで、自動車は互いに衝突することもなく、自動で自由に動き回ることができるのだそうです。

    動物たちは、このような集団行動によって、外敵の攻撃から自分たちを守っています。弱い動物たちの生き残り戦略です。 ※https://www.nissan-global.com/JP/TECHNOLOGY/OVERVIEW/eporo.html

    「周囲と協調してぶつからない ロボットカー“EPORO”」参照。(日産)

    A始まりは直立二足歩行から

    それでは、食物連鎖の世界では必ずしも強者とは言えない人類は、どのような戦略によって生き延びてこられたのでしょう。

    まず、考えられるのは、直立二足歩行です。それによって、手が自由になり物を作るようになったとか、大きな脳を支えられるようになったとか、歴史や生物の教科書で学びました。

    しかし、重要なのは、直立二足歩行によって骨盤が変形し、そのために産道が狭くなったことです。さらに、大脳も大きく発達しましたから、十分成長してからでは出産できなくなりました。ですから、未熟なまま生まれて、そうとう長い期間保護を受けなければなりません。こうした事情が、人類のその後を方向付けたのではないかと考えられます。

    馬の子どもは産まれてから二・三時間で歩けるようになります。赤ちゃんがハイハイするまでには六ヶ月かかりますから、単純に考えても人間は少なくとも六ヶ月は産まれるのが早すぎるのでしょう。

    しかし、このことは不利な条件のようですが、十分な保護をほどこせば、有利な条件に転化します。未熟で生まれてくるだけに、育てばそれだけ成長の余地も多く残されていると考えられます。「伸びしろ」が大きいのです。

    B本能とは、特定の環境に特化した生態

    もうひとつ考えておかなければならないことがあります。それは本能についてです。

    「本能的に」とか言われると、私たちは何となく納得してしまいがちですが、本能とは何かと改めて問われると、「生まれつき」という以外説明のしようがありません。何でも本能で説明してしまわないためにも、まずこのことについて考えておきます。

    蜂を例に考えてみます。同じ種類の蜂たちは、同じような巣をみごとに作ります。なぜ同じように巣をつくることができるのでしょう。

    説明の順序を逆にしてみます。先に蜂がいて、巣を作るようになったのではなく、生きやすい環境を見つけて、その環境に合うような行動様式や身体をつくり、生き延びてきたからこそ、彼らは一つの種としてその生態を引き継いでこられたわけです。そして、その身体構造や行動様式、つまり種としての生態を一匹の蜂の姿に見つけて、私たちはそれを本能と呼んでいるのではないでしょうか。蜂が先に現れ、巣をつくるようになったのではなく、そういう生態をもつようになった昆虫を「蜂」と呼んでいるのです。

    どうしてそのような種が生まれることになったのか、同じような過程を追体験したり、再現することはできません。だから、それを本能と言うしかないのでしょう。

    特定の環境に特化して生き延びてきたひとつの種としての事実が先にあり、それにただ名前を付けているだけなのです。ですから、新生児のふるまいを本能と言っても、直ちにそれを非科学的と言うことはできません。

    Cはじめに関係ありき

    およそ十ヶ月の胎児期を経て産まれてきた新生児は、人類としての生態を本能として備えていると考えられます。

    出生後、赤ちゃんはまず、母親の乳首を吸って乳を飲む吸啜反射(きゅうてつはんしゃ)を始めます。赤ちゃんは自分の唇が乳首に触れると、それを知っていたかのように吸い付き吸います。赤ちゃんの口のかたちと大きさはまさに母親の乳首を想定して設計されているかのようです。しかし、これも逆の見方です。それが人類としての生態なのです。

    この他にも、新生児の初期だけにしかみられない反射運動がいくつか報告されています。物を握ろうとする仕草、抱き上げて足を床につけると歩くような動きをするなどですが、これらはすぐに見られなくなります。この期間は、赤ちゃんが新しい環境に適応する態勢が調うまでの猶予期間のような意味を持っているのでしょう。

    授乳がはじまり、母子関係が生まれます。ほんとうの始まりはここからです。

    赤ちゃんが泣いたとき、抱き上げると泣きやむこともあります。お腹が空いたり、姿勢を変えて欲しいときは泣きます。内蔵や全身の筋肉から神経信号が伝わり、情動(体の動きと一体になった感情)となってあふれ出ているのです。

    新生児にできることは、眠ることと排泄することのほかは、乳を飲むことと泣くことぐらいですが、新生児が発信する情動は、周りの人たちをまき込みます。このようにして、赤ちゃんはすでに大人たちと共生しはじめています。この共生関係こそが、赤ちゃんにとっては、適応していくことになる環境そのものなのです。

    このように、新生児ははじめから関係の中に生きることになります。つまり、人の発達には「個体としての側面」と、「関係としての側面」があるのです。まさに強い依存性ゆえの人類の特色です。

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