薬物・アルコール依存になった人は周りから疎外され、そのために、治療を受けても再び薬物・アルコール依存をくり返す傾向が多いと聞きます。(同じ立場の人どうしで話し合うことが、依存症の治療に効果的なのは、その逆の理屈です)
同じことは他の「自己コントロール不全」にも言えます。社会的に孤立することによって、彼(彼女)らは自己肯定感をもちづらく、いっそう「自己コントロール不全」の状態に陥りやすくなるのです。人と関わろうとしても、自分が寄って立つ足場がなくなっていると言っていいでしょう。ですから、判断力を失い、自分や周りの人を傷つける行動にでてしまうのだと思います。
このように考えると、「自己という病」のふたつめの特徴として、「自己肯定感がもちづらい傾向」が考えられます。場合によっては「自己コントロール不全」がきっかけで、自信を失い「自己肯定感」がもてなくなることもありますが、その逆で、自分を否定ばかりして寄って立つ足場を見失い、「自己コントロール不全」になることもあると思います。これらは互いに補強し合う関係にあると言っていいでしょう。
「自己コントロール不全」と「自己肯定感の欠如」に陥っている人は、周りから孤立してしまいます。人間関係が成立しずらくなるのです。それはほとんど「自己肯定感の欠如」の裏返しです。自分に自信がもてなければ、人に関わる意欲は湧いてきません。人間関係が成立しにくくなるのは当然です。
このような状態を、人間関係がうまくきずけない状態という意味で「関係不全」と言うことにします。つまり、「自己という病」には「関係不全」という側面があると言えます。
結局、「関係不全」と「自己肯定感の欠如」と「自己コントロール不全」とは同じことを別の角度から見ているだけのようです。
余談ですが、ポルトガルでは麻薬・覚醒剤などの薬物について独特な政策をとっています。麻薬・覚醒剤などの薬物の売買や使用を法律で禁じると、密売業者を儲けさせるだけでなく、薬物依存になっている人を孤立させてしまうので、それを違法とせず、薬物依存の患者は治療の対象にしていると聞きました。
このポルトガルの例は、「自己コントロール不全」・「自己肯定感の欠如」・「関係不全」が一体となって進行する「自己という病」への巧妙な対策だと思います。
※「ポルトガル 薬物依存」で検索してみてください。詳しい情報が得られます。
この三つの視点について、英語に置き換えて少し掘りさげてみます。(英語にすると、その言葉に意識的になれるからです)
ア)「自己コントロール不全」の「自己」には、[I will do it.]など自分の意志を前面に押し出す「I」という響きがあります。
イ)「自己肯定感の欠如」の「自己」では、[as for myself(=私はといえば)]など視線は自分自身に向けられています。
ウ)「関係不全」における「自己」は、[Please ask me]など他との関わりからの視点ですから、「me」というニュアンスです。
「自己コントロール不全」の「自己」:「I」
「自己肯定感の欠如」の「自己」:「myself」
「関係不全」における「自己」:「me」
この三つは、「自己」について別の視点で説明しているだけです。つまり、「自己コントロール不全」と「自己肯定感の欠如」と「関係不全」は、それぞれ「自己」についておきている症状を別の視点から見ているだけだということになります。
この三つが互いに影響し合って、その状態から抜け出せなくなったら、人はだれでも混乱し、普通の生活を維持できなくなることでしょう。
ところで、この三つの視点は、「自己」を人間関係の側面から考えることによって成りたっています。「自己」と「人間関係」について、もう少し掘り下げてみる必要があるようです。
【参考資料】