V:「生きづらさ」について
自己という病
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2.自己コントロール不全

  •  はじめに、「自己という病」を次のようにイメージしてみます。
  •  たとえば、運転していた自動車が突然ブレーキもハンドルも効かなくなったら、パニックにおちいってしまいます。とても平静ではいられません。
  •  それとおなじことが、自分自身に起こったらどうでしょうか。体には異常はなさそうなのに自分の行動が自分でコントロールできず、日常生活や人間関係に深刻な支障が生じるような事態です。「自己という病」とはこのような症状の病です。
  • @自己をコンロトールできない薬物依存

    わかりやすい例では、薬物依存があげられます。一度試した麻薬や覚醒剤の体験が忘れられず、何度も使ううちに、その効き目が切れると耐えられなくなって、どんな代償を払っても麻薬や覚醒剤を手に入れようとします。やがて健康がそこなわれ、社会的にも経済的にも破綻するような深刻なことになってしまいます。アルコール依存にもおなじようなところがあります。

    これらの症状では、薬物やアルコールの常用など原因がはっきりしていますが、ギャンブルや買い物や万引きなどが止められなくなってしまう他の依存症のように、原因がわかりにくいケースもあります。

    依存症のメカニズムや治療法については、さまざまな研究や試みが行われていますが、ここでは、依存症に限らず、自分をコントロールできなくなる症状やその背景について考えてみます。

    Aストーカー・DV

    自己コントロールができなくなる事例として、ストーカーやDVがあげられます。その被害が急増しているストーカー行為やDVについて考えてみます。

    ストーカーの場合について言えば、その加害者は相手から拒絶されたり、警察から警告を受けても、その行為(つけ回す、監視・脅迫など)がやめられません。拒絶や警告が受け入れられないのです。その行為を否定しようとします。あるいは、頭では分かっていても、そのような行為に自分を駆り立ててしまう感情をコントロールできません。(以後、このような状態を「自己コントロール不全」と呼ぶことにします。自分の感情や行動を自分でコントロールできず、日常生活に支障が生じている状態といった意味です)

    DVについても、「自己コントロール不全」という点では同じです。暴力は相手のためだと思いこんでいたり、暴力がいけないことだとは分かっていても、抑えきれずくり返してしまい、そんな自分をどうすることもできない状態になっています。

    最近では、法律によって被害者を保護できるようになりましたが、加害者が自分の身勝手な思い込みを自覚しなければ、根本的な解決にはならず、再び同じようなことが起きてしまいます。ですからカウンセリングなどの「治療」が必要だと最近では認識されるようになってきました。

    このように考えると、どこか「依存症」に似ているようにも思われます。対象が薬物やギャンブルではなく人であるだけで、その症状は「依存症」の一種とすら思えます。

    Bひきこもり

    次に、自己コントロール不全という視点からひきこもりについて考えてみます。

    ひきこもりから立ち直ろうとしている若者や、子どものひきこもりに苦しむ親の集まりに参加したときのことです。「一年の猶予をあげるから、家を出て自立できるように準備しなさい」と親から言われたとしたら、どうしただろうかと質問してみました。すると、即座に帰ってきた答えは、「その日まで、何もしない」でした。

    無意味な質問だったと、恥ずかしくなりました。なぜなら、彼は自立できないから、ひきこもっていたのですから。しかし、そこまで親に頼ってしまう気持ちが理解できません。親が先に亡くなってしまった時のことを考えないのだろうか、親に甘えているだけではないか、と思いたくなります。

    ひきこもるようになる原因は、いじめなど深刻な例もありますが、ちょっとした挫折がきっかけになることもあります。多くの場合それらは乗り越えられていくようなことですが、彼らには、「自信がない」、「性格的に無理」、「我慢してまで頑張れない」など、「些細なこと」がひきこもる原因になってしまいます。

    しかし、彼らは、部屋から出て、働いたり、人と交わったりすることをほんとうは強く望んでいるのだそうです。それができないのです。そんな自分を責めつづけて苦しんでいるのです。つまり、自分の意志でひきこもっているように見えますが、自分をコントロールできなくて、その結果ひきこもってしまうのです。そういう意味で、「ひきこもり」も「自己コントロール不全」だと言えます。

    C「自己コントロール不全」は異常?

    自分の感情や行動をコントロールできないことは、誰にもあることです。完全にコントロールできている人はむしろ例外的ではないでしょうか。ただ、生活に深刻な支障をきたすまえに、多くの人はそんな自分を軌道修正して、なんとかバランスをとっているだけです。ですから、他のことで気を紛らしたり、ときには周りの人にあたったりしてその欲求不満を解消したりするわけです。

    それでは、生活に支障をきたすほどの状態にまで、なぜおちいってしまうのでしょうか。そこにはどのような背景があるのでしょうか。

    「こころが弱いから」、「そんな性格だから」。すぐにそんな答えがうかんできます。しかし、それだけでは、他の言葉に言い替えただけで、なんの説明にもなっていません。その背景が見えてきません。

    たとえ、「こころの弱さ」や「性格」のせいだとしても、そういう人は少なくありません。しかし、誰もが深刻な「自己コントロール不全」の状態におちいるわけではありません。そうなってしまう分岐点はどこにあるのでしょうか。

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