巨大生物が活躍した時代の片隅で細々と生きてきた生物たちが、新しい戦略を得て、立ちあがります。
それまでの動物は、親は適当な場所をみつけて産卵し、卵たちは自力で孵化して生き延びていました。したがって、その多くが他の動物の餌食になったり、厳しい環境で死んでしまったりしていました。そのようななか、少なく生んで、確実に子孫を育てる方法を採用する動物たちが現れました。
激しい運動に耐えられる、ターボエンジンのような強力な循環器を備えた鳥類たちは、空を飛ぶという離れ業を見せました。そして、子ども達が飛行技術を身につけるまで、せっせとエサを運んで、大切に育てて、子孫を確実に残す戦術を採用したのでした。
一方、恐竜たちの時代、夜行の習性でなんとかその迫害から逃れていた小動物たちは、胎内で子どもを育ててから出産する戦略に出ました。卵から孵った形で出産し、自力で生きていかれるようになるまで乳で育てる生態によって、彼らは「ほ乳類」と名付けられています。
鳥類と哺乳類の親たちは、昆虫や魚や亀のように卵を産みっぱなしにしないで、苦労して育てるようになったのはなぜでしょうか。環境が余りにも厳しかったからなのでしょうか。
その答えが是非知りたいと思っていたところ、ある考えがひらめきました。川の岸で甲羅干しをしている亀がヒントでした。すでにこれは定説ですが、被子植物と恒温動物と高カロリーの三つの言葉をつなぐと、あるイメージが湧いてきます。
被子植物の種にはカロリーがつまっています。それをエサにして、常に体温を一定に保ち機動力や運動力にすぐれた動物が現れました。鳥類と哺乳類です。しかし、そこには問題がありました。
鳥類やほ乳類は、変温動物の魚類や爬虫類のように卵を産みっぱなしにするわけにはいかないのです。卵は自力では体温を一定に維持できません。ですから、鳥類は産卵後、親が卵を温めて孵化させます。哺乳類は胎内で育ててから生みます。それだけでは済みません。子どもが自分でエサを獲るようになるまでは、親が高カロリーのエサを与えて育てる必要があるのです。
こう考えると、保育・育児という手のかかる世代交代の方法がなぜ選択されたのか、納得できます。おそらく低温になった環境に適応するためのひとつの選択肢だったのではないでしょうか。
わが人類の場合は、さらに複雑な問題を抱えることになりました。直立二足歩行です。二本足で立って歩くようになった人類は、そのために重い上半身を腰だけで支えて、二本の足で立つというかなり無理な姿勢をとるようになりました。
そのため、骨盤が変形し、出産しづらくなったのです。ですから、胎児が十分大きくなるのを待つことなく、未熟のまま出産しなければならなくなりました。
ですから、人類の場合は、他のほ乳類にくらべてかなりの早産だということになります。そのため、出産後も親たちは付きっきりで新生児の世話をしなければなりません。
うつぶせの姿勢で寝かせば、自分で動けない新生児は窒息しかねないほどですから、親はほとんど付ききりです。授乳しなければならない母親に代わって、父親が食糧を調達しなければなりません。女性は、そんな生活力のある男性を選んで、子どもを産むという、家族の原型がここに生まれました。