V:「生きづらさ」について
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付録:「生物」の復習ノート
  •  「自己」について、哲学や心理学といった人文科学系分野のテーマとして取りあげると、議論があまりにもひろがり、話がかみ合わなくなってしまいがちです。そこで、生物学的な切り込みから始めて、議論の方向をあらかじめ絞りこんでおきたい。そんな思いで、第二章として以下の文章を書きました。
  •  読み返してみて、内容が生物学的なことに傾きすぎ、学問的な厳密さも担保できている自信が持てませんでした。
  • したがって、高校生物の教科書の見出し程度の知識で、生物の歴史をとおして観ると、「自己」とはどのような姿になるのか、補足として最後に付け加えることにしました。
  • 次の結論だけで十分、という方は、この章を読む必要はありません。

  • 岩石や砂や水や氷しかなく、生き物がいない地球を想定してみてください。そこに「自己」という存在を考えることができるでしょうか。もし、そんな地球に「自己」と言える存在があるとすれば、それはどんな「自己」でしょうか。

    たとえば、雷や嵐あるいは日食から甦る太陽、月の満ち欠け、干ばつの季節を終わらせる恵みの雨などに大きな意志のようなものを感じた時代がありました。それらの自然現象の背後に神の意志が及んでいると考えた人びともいました。

    しかし、現在ではそのような考え方は、宗教や感情移入だと見なされ、そこに何らかの意志をもった存在を想定する人は減ってきていると思います。

    それでは、生物がいる地球はどうでしょうか。どこからか飛んできて腕にとまった昆虫や草むらから突然現れた見慣れない小動物。次の瞬間、何をしてくるか想像もできません。ペットの猫や犬でさえ、何を考えているか皆目見当もつかないこともあります。やはり、「自己」と言うと、どうしても生物という存在を前提にしないではいられません。

    したがって、生物として「自己」を論じるとどうなるか試みてみます。

    23.自己はこうして始まった

  •  生物の誕生をとおして、「自己」とは何かを考えます。そのため、まず、生物と非生物の境目にあるウィルスについて考えてみます。
  • ウィルスは生物ではない!?

    ウィルスは生物ではない、と初めて聞いたときは強い違和感をおぼえました。「インフルエンザ!」ウィルスのように人体に侵入して、ひどい高熱を引き起こし、ときには死に至ることも少なくないあのインフルエンザの「病原菌」が、生物ではないとはどういうことだ、と反論したくなります。すでにそれが間違いなのだそうです。

    「病原菌」とは細菌のこと。ウィルスと細菌は別物。つまりウィルスは「菌」ではないのです。細菌は光学顕微鏡でも見られますが、ウィルスはその百分の一から千分の一と小さく、電子顕微鏡でしかその姿は見えません。もし1qの細菌がいたとすると、小さいウィルスは1〜10メートルの大きさにしかなりません。ですから、ウィルスは細胞の中にまで侵入し、その中で自己増殖をし、そこから次々と他の細胞に侵略するのです。

    しかも、細菌には抗生物質が効くのですが、細菌ではないウィルスには効きません。ただ、特別のワクチンでその増殖の勢いを抑えることが出来るだけなのです。ウィルスと細菌の違いは何なんでしょうか?

    1.ウィルスはただの化学物質

    ウィルスと細菌の違いはその大きさだけではありません。ウィルスも細菌も自己増殖します。そのため自分の複製を作るための「ひな型」であるDNAをもっています。(RNAだけのタイプのウィルスもありますが、単純化のためここでは省略します)

    しかし、「ひな型」であるDNAだけでは自己増殖できません。DNAの複製であるRNAをつくり、そのRNAが特定の化学反応を促し、様々なタンパク質を作るのです。

    ドーナツの製造にたとえて単純化すると、次のようになります。

  • ドーナツ形をした「型枠」を作るため、旋盤で金属を加工して、分厚くて堅くて丈夫な「ひな型」(=DNA)を作ります。
  • 「ひな型」に合わせて、薄い金属板をプレス加工して、ドーナツ形の「型枠」(=RNA)を作ります。
  • 小麦粉を練って作った生地を、「型枠」でドーナツ形にくり抜いて、油で揚げるとドーナツの完成です。
  • つまり、原型となる「ひな型」がDNAです。これによって、出来上がるドーナツの大きさや形が決まります。「型枠」がRNAです。DNA(=ひな型)の複製であるRNA(=型枠)が食品工場で実際にドーナツの形を作るのに使われます。出来上がるドーナツが私たちの体を形づくっているタンパク質です。

    話が長くなってしまいましたが、多くのウィルスはこのDNAだけの存在なのです。DNAとは「デオキシオド・リボ・核酸」という化学物質の略ですから、ウィルスはただの化学物質だということになります。

    2.ウィルスと細菌の違い

    多くのウィルスは、タンパク質を作るための設計図となるDNA(ひな型)はもっています。しかし、DNAからRNA(型枠)を作る環境(金属プレス工場)や、このRNAからタンパク質を作るための原料(ドーナツの原料となる小麦粉)はもっていません。

    ですから、他の細胞に侵入して、そこで自分のDNAの複製であるRNAを作り、自己増殖するわけです。侵入先の細胞が死んでしまうと、ウィルスはもう自己増殖できませんから、その細胞を基地にしてどんどん他の細胞を侵略していきます。侵略の対象がなくなると、ウィルスは結晶となって、次の侵略対象が現れるのを待ちます。まるで、小型ロボットのようです。

    つまり、ウィルスは侵略する他の細胞がなければ自己増殖できないわけです。生物としては決定的な欠陥があるということになります。しかし、細菌は自力でDNAの複製をつくり、それにしたがってタンパク質を作るための原料ももっているので、自己増殖を続けられるのです。ですから、細菌は自立した細胞であると言えるわけです。

    3.生物の三条件

    アメリカの宇宙開発局(NASA)が「生命とは、ダーウィン進化を受けることが可能な、自立的な化学系である」と定義を発表しています。NASAが発表したというところが面白いですよね。この定義の詳細は省きますが、生命について定義するのはかなり難しいことのようです。

    慎重な科学者たちは、「生命」一般ではなく地球上の「生物」に限定して、次の三つの条件を満たす存在を生物と呼んでいるようです。

    @(細胞膜)細胞膜により、外部から独立した内部環境をもつ。(膜で包まれている)

    A(生殖)自己増殖する仕組みをもつ。(自分のコピーをつくる)

    B(代謝)外部と物質のやりとりをする。(外部から遮断されては生きられない)

    この三つの条件を備えることによって、細胞は自己増殖をくり返し、それを維持できるわけです。この維持されるものこそ、「自己」と言うことはできないでしょうか。

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