赤ちゃんにとって、生まれて以来、自己の全存在をゆだねてきた母親は、百パーセント信頼する対象です。それでは、母親以外の人との関係はどのように成りたつのでしょうか。
言うまでもなくそれは、その人物と母親との関係を基軸にしてつくられていきます。つまり、その第三の人物が母親と親密な関係にあれば、赤ちゃんはその人物を母親と共有するかたちで受け入れることになります。そのことをきっかけにして、赤ちゃんと第三の人物との関係がきずかれていきます。
この時、それまでに母親に十分に依存することができていなければ、赤ちゃんはこの第三の人物と安定した関係をきずきにくくなります。形の上でそれが可能であっても、いつも不安をかかえた関係しか望めないのではないでしょうか。
それでは、母親との間で十分な依存関係が体験できない状態とは、どのような場合が考えられるでしょうか。
十分な保護が与えられる環境で育つことが、赤ちゃんには何よりも大切なことでした。それを糧にして体がしっかりして、活発に体を動かして周りの世界と自分との関係を理解し、人と共に生きていく自己をきずいていけるわけです。
親から「ネグレクト」を受けて育った赤ちゃんのように、それが不十分であったり、不安定な形でしか保護されなかったりすれば、当然そのことは赤ちゃんのその後に大きな影響を与えないわけはありません。どのような影響が考えられるでしょうか。
まず、空腹が満たされなかったり、くり返し不快な状態に放置されていたりすれば、深い充足感を体験することはまず望めず、常に欲求不満の状態にさらされることになるでしょう。ときに乱暴に扱われたりすれば、大きな不安感を抱え持つこともあるでしょう。
このように、生存について不安定な状態に置かれれば、感情の核に自己肯定感のようなものが十分なかたちで形成されないことが想像されます。
つまり、本来なら母親との関係によって形成されるはずの<me>としての最初の「自己」が、歪んだかたちでしか形成されないことになるのです。このことについて、もう少し考えてみたいと思います。
最初に形成されるはずの<me>としての「自己」が、歪んだかたちでしか形成されなかった場合、幼児のその後にどのような影響が生じることになるのでしょうか。
まず、相手を安定して受け入れられないため、共通体験に基づくライブ体験が成立しづらくなります。その結果、イメージの世界にも歪みが生じてきます。それに関連してとりわけ重要なのは、イメージの自己とライブの自己の関係です。
イメージの世界で次々に生みだされていくイメージの自己に、一貫性が保てるのは自我の「はたらき」によるのだと前節で説明しました。自我は、イメージの世界を参考にして、自己保全を最優先するかたちでイメージの自己を整理・統合して、ライブの自己を準備します。その過程を次の図に示します。
図(自我のはたらき)
自我はイメージの自己を整理・統合し、ライブの自己を準備するだけです。また、イメージの自己はライブの自己から独立して存在しているわけではありません。イメージの自己の根拠はライブの自己にあります。また、ライブの自己が活動をする局面でその行動規範の基になるのがイメージの自己です。
つまり、イメージの自己とライブの自己は循環しながら互いに影響し合う関係にあり、この循環に揺らぎや乱れが生じれば、イメージの自己は更新されなくなり、ライブの自己は的確な行動がとれなくなってしまいます。
乳幼児期に親の虐待を受けた子供が大人になって、安定した人間関係がきずけなくなるのには、こうした背景があると考えられます。