V:「生きづらさ」について
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(9) 「赤い糸」や「天職」は本当にあるのですか

太宰治の「思い出」に自分の小指と運命の人の小指をつなぐ「赤い糸」の話しがあります。この作品のおかげで、「赤い糸」はこの世界のどこかに存在するはずの「ただ一人の異性」を象徴する言葉になりました。

そのような異性に出会うことができれば、本当に幸せなことでしょう。しかし、そのような幸運な人はどれだけいるのでしょうか。

本当は逆の話しではないか

実は意外に多くの人が「赤い糸」の異性にめぐり会っていると思います。それはどこかに存在するはずの「赤い糸」の人を探すのではなく、めぐり会った異性が「赤い糸」の人だと思われるようになった人のことです。

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天職は存在するのか

ヨーロッパの宗教改革の時代に活躍したカルヴァンという人が世界史の教科書なんかにでてきます。「人の職業は神に呼び出されて命ぜられたもの、つまり天職である。だから、職業に励み、大いなる利益をあげてもなんらやましいことではない。むしろ、それは天職を命じた神の偉大さを表すものである。」カルヴァンはそう考えました。

こうした考えが広まったイギリスやオランダやフランスは早く産業が発達し、近代社会が成立しました。カルヴァンの思想は時代の声を背景にひろがりました。

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これも本当は逆の話しではないか

「calling」という単語を辞書で調べると「職業、天職」と説明されています。callingとは誰が「呼んでいる」のでしょうか。神です。

しかし、めったにその声を聞くことはできませんから、自分の職業を天職と感じられる人の多くは、その職業で成功をおさめることができた人に違いありません。「赤い糸」の人と同じように、先に事実があり、あとでそれが「運命の人」であったり、「天職」であったりと解釈が成り立つのです。

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「赤い糸の人」も「天職」も苦しみの原因

「赤い糸」の異性も「天職」も、振り返ってみればそうだった、ということなら、「よかったね。」とハッピーエンドです。しかし、存在するかわからない「赤い糸」の人やあるかわからない「天職」を探しもとめる日々は苦しみの毎日です。それが得られなければ、「だめな人間」と、自分を責めることにもなりかねません。

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恋愛ドラマや偉人伝に魅せられて

多くの少年少女が美しい恋愛ドラマや偉人伝に魅せられて、未来に希望を託し、日々の頑張りのエネルギーにしてきました。思春期の少年少女はなぜ、恋愛小説や偉人伝に憧れるのでしょうか。

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「山のあなたの空遠く」

「山のあなたの空遠く、幸い住むと人の言う。」ヘルマン・ヘッセのこの詩は思春期の少年少女に芽生える共通の感情をうたった作品として、広く知られています。両親のもとで育ち十代になると、人は両親から自立したいという欲求にかられます。見慣れた日常を離れて、「もっと遠くへ」という熱情の虜になっていきます。

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ゴールが見えない近代社会

「赤い糸」の人も「天職」も、満たされない青年が未来に託した夢でした。いつかはわからないが、必ず訪れるはずのその時を信じて、つらい日々を耐え続ける心の原動力となりました。

実は、「いつの日にか」という期限延長の思想は、近代の資本主義の原理とよくマッチした感性に支えられています。これは決して訪れることのないゴールに向かって不断に努力し続けることにしか安らぎをおぼえられない近代社会特有の心性なのです。

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逆転の発想はなぜおきるのか

人は生活のため、給料をもらうために働きます。大切なのは給料の額であり、仕事の内容ではありません。仕事の内容や意味は経営者が決めることです。経営者も利潤を上げることを優先しますから、だれも仕事に意味を求めることはできないのです。

いわば、偶然に過ぎない仕事を余儀なくされる人にとって「天職」とは永遠の謎、めくられず裏のまま残されたカードのようなものです。私たちはまず、意味のない事実を受けいれることから始めるしかないのです。


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