V:「生きづらさ」について
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(4) いくら勉強してもなぜ成績があがらないのですか

見えない未来に耐えながら、学校では今も学習活動が続けられています。やはり学校とは勉強するところです。ここではこの学習について考えます。

いくら勉強しても成績があがらない秘密

いつもテストの点は10点とか20点とかしかないのに、通知票をもらうと40点とか45点とかついている、こんな経験はないでしょうか。その理由はテストの平均点はだいたい60点になるように決められているからです。

生徒たちが勉強すればそれだけテスト問題は難しくなり、決して平均点があがっていくことがないように教師たちは努めています。「みんなが頑張れば、みんな100点。」そんなやり方をする教師が話題を集めたことがありましたが、その考えが全国に広まることはありませんでした。

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平均点の原理

優秀な人材を見つけることは学校教育の大きな目標でした。ですからみんなが100点では困るわけです。差が大切ですから、勉強すればするほどテストの問題は難しくなり、ゴールは絶えず遠ざかっていきます。ゴールの見えないこの競争について行けなくなった者はゲームから撤退します。

成績とは有能な人材を発見する重要な指標です。その立場からすると、十分には理解できなかった者がいなければ、有能な人材を区別することができません。ですから、生徒が努力すればテストはそれだけ難しくなる宿命にあるのです。

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「わかっていなくてもいいんだよ。」って?

学校のテストは自動車工場の製品テストとは違います。製品テストでは合格しない製品はすべてチェックされ、合格するまで作り直されます。

しかし、学校のテストは満点でなくてもいいのです。ほとんどの高校では25点とか30点で単位を認めています。「すべてを理解できなくてもいいんだよ。得意の分野で頑張れば。」となるわけです。つまり、カリキュラムとして予定された学習内容は必ずしもすべてマスターしなくてもいいことになります。

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一部の人たちのための競争

日本では高校入試、高校の定期考査、大学入試と十代後半の青年たちにはテストが繰り返されます。この厳しい競争を勝ち抜いていく人にとっては人生の決勝戦でもあります。

しかし、半分くらいの若者にとっては「入学させてくれれば、どこでもいいよ。」といった程度のことがらです。ですから高校を卒業した人の多くは、教育課程をつくった文部科学省の担当者たちが考えるのとはおよそかけ離れた水準の学力しかありません。それでいいのです。学校の本質は通過儀礼なのですから。

ならば、若者たちを一部の人たちのための不毛な競争から解放してあげてもいいのではないでしょうか。少なくとも学校の成績のことで家族が崩壊するような事態を避けるためには、そう考えた方がいいでしょう。

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十代で一度社会に出てみる

長期化した通過儀礼としての学校教育を短縮して、希望すれば十代から働くことができるようにします。

一度社会に出てみて、必要性を感じたら学校に戻ったり、働きながら学校に通うことができるようにします。そうすれば、その意義も感じられない学習を強いられることもなくなります。

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自動車教習所の学校モデル

限られた時間で学習する量を競う競争から解放されて、自分のペースで納得できるまで考えマイペースで学習することができれば、学校のイメージは大きく変わるに違いありません。

自動車教習所のイメージです。何歳でも入学でき、いつ登校してもよく、マイペースで学ぶ。人はできないことができるようになれば当然うれしいものです。自然に学ぶ環境ができれば、教育はその内実を取り戻すことができるようになるにちがいありません。

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学校を軽くするには

学校で行われる科目を細分化し、内容ごとに独立させます。例えば理科(物理)の授業も「運動と力」(1ヶ月)とか「電気」(2ヶ月)といった具合です。カルチャーセンターの講座のイメージです。そして合格するまで何度でも学習してもよいことにします。そうすれば教える方も学ぶ方も気が楽になります。成績も合格と不合格のふたつしかありません。

こうすれば成績とか競争とか平等とか学校にまつわるさまざまな物語から解放されるはずです。


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