「本能のおもむくままに」と言ったりします。「欲望を抑えきれなかったんです。」こんな言い方をしたりもします。
性欲は本当に本能なのでしょうか、性行動は人間の理性を超えたことなのでしょうか。以前からの疑問です。
多くの魚はメスが水中に産み落とした卵にオスが精子を振りかけて生殖をします。その役割を得るためにオスは互いに争ったりもします。
一方、交尾する動物も多くいます。彼らは、訳知りな先輩に教わったり、ポルノ雑誌を見たりして学ぶわけではありません。だ
から、動物の性行動が本能だという議論には納得できるのですが、話が人間のことになると分からなくなってしまいます。
メスの性器にオスが性器を挿入し、しかもピストン運動をすることで射精に至るというプロセスを誰かから学ぶことなく、人間が本能で行ってきたとはどうしても考えられないのです。
夢精は自然に起きます。オナニーも「発見」だったかも知れません。しかし、セックスは多くの場合、「発見」ではなかったと思います。
確かに、相手を必要とするセックスを「発見」するチャンスはそれほど多いとは思いません。社会的にそれを規制する仕組みがさらにその機会を奪っていますから、「発見」する前に、言葉をとおして「学習」してしまうのかも知れません。
人間のセックスについては別のアプローチが必要なようです。
(ここで言う「学習」とは生物の実験でモルモットなんかが試行錯誤をくり返して何かを身につけていく意味での学習ではなく、人間が言葉をとおして学ぶ意味での「学習」です。)
人間以外の動物は特定の期間しか生殖活動をしないとされています。繁殖期を迎えると発情し性行為をします。しかし、人間(例外的にボノボも人間と同様、日常的に性交するそうです。)は季節にかかわらず性行為をし、子孫をつくることができます。
ですから、自然ではなく意図的にセックスをします。つまり、人間のセックスは本能だけに支配されているとは言い切れないのです。
山暮らしの熊は雪の季節になると冬眠します。親自身ですら食料が手に入らなくなるからです。ましてや、そんな時期に子供を育てることなどできるはずがありません。
しかし、ペットの犬や猫にも発情期があります。牧場の牛も決まったときにしか子供を産みません。それとも、食料に心配のないペットや家畜はいつか年中子供を生むようになるのでしょうか。
繁殖期のメカニズムは食糧だけの問題ではなさそうです。
「二本足で立って歩くようになり、産道が狭くなった女性は未熟なまま子供を産み、一年間はかかりっきりで保育に専念するようになった。その間、男性の世話を受けなければならなくなった人間の女性は、性的な魅力で男性を引きつける必要があった。
女性の体がそのように変化し、人間はいつも性行為をすることができるようになった。」
こういう仮説があります。信じますか。
説明の仕方はいずれにせよ、人間の性行動は季節的な制約を受けなくなり、今では避妊によって妊娠からも自由になりました。
自然から解放された人類は文化として性行動をするようになったのです。このことは何を意味するのでしょう。