ウブド

6/3 バリ島着
 
昨夕ブロモ山を出発し、大型バスに乗り換え、5:00AM真っ暗なデンパサールのバス停に着いた。途中フェリーで海を越えたようだが、う とうと寝ていてよく覚えていない。道はスマトラに比べ格段にいいようだ。
 しかし、 また利きすぎのバスのエアコンにやられ、腹を壊す・・・バス停に着くなり、トイレに駆け込んだ(この度で、食べ物や水にやられたことは無かったが、ずいぶ んとエアコンにやられた)。トイレから出てくると、一緒にバス降りた連中は跡形も無く消えている・・・1人ぽつんとしていると、タクシーの運ちゃんが声を かけてくる「どこへ行くんだ?」「ウブド・・・」「120,000Rpで連れてってやるよ」「高いよ!」・・・・と、真っ暗な中1人でいてもしょうがない ので、75,000Rpまで値切ってタクシーに乗った。
 ウブドの街に入り、タクシーの運ちゃんがホテルを探してくれる。はじめ連れて行かれたところはきれいなところだったが高すぎて、トイレだけ借りて出た (まだ下痢は続いている)。「もっと安いところは無いか?」・・・ということでSURINADI H.S(一泊30,000Rp)に泊まることになった。シャワーつきで、庭に池があり、そのむこうに小川が流れているようだ。せせらぎの音が聞こえる。安 い割にはなかなかいい感じだ。
 昼ごろまでごろごろし、街に出た。日差しがきつい。道端のいたるところに花が置かれている。心豊かな風習だ。なるべく安そうなレストランを探し、入って みる。物価は今までいたところよりもやや高いようだ。オープンカフェのようなところで陰に入ると涼しく心地よい。
 夜はレゴンダンスを見に行った。スゴイ・・・今まで見てきたダンスとは質を異にする。男性のバリスの舞が圧巻だった。眼を大きく見開き瞬きをしない。緊 張した手足から尋常でない迫力が伝わってくる。「覚醒の舞」といった趣だ。女性のやや腰を落とした基本姿勢はジョグジャのラーマヤナ舞踊でも見られたが、 日本の舞踊とも通じるものがある。これは東洋的なものなのだろうか?バレーとはまったく出所が違うような気がする。
 音楽もまさにトランスを起こしてしまうような、金属的な音が主体の複雑なリズムで独特だ。
一番前に陣取ったが、引き込まれてしまった。観衆は日本人と思われる観光客が、今までの町にはなく多かった。
6/4
 
自転車(マウンテンバイク)を借りる。ネカ美術館へ行ってみる。山あり谷あり結構な運動になった。
 展示はバリ絵画のスタイルの変遷をスタイル別に展示してあり、平面的で、色を抑えたものが多い。総じて古い絵画に良いものが多いように感じた。バリ絵画 に影響を与えた外国人の作品も飾られていたが、あまり良くなかった。美術館で学芸員をしているというニョマンという若者が声をかけてきた。学芸員とは言っ てもアルバイトのようなものらしい。兄は絵描きでウブドスタイルの絵を描いているそうだ。夜、ケチャを見た後、近くのお寺でオダランの儀式があるので行か ないかと誘われる。
 バリ島といえばケチャだと思っていたので楽しみに見に行った。多くの日本人がしかもなぜかみんながみんなカップルで見に来ていた。ちゃんとした客席がで きていて、舞台の上でケチャが行われる。こっけいな面白さもあり楽しめたが何かイメージと違う・・・
 そし て、ニョマンの兄の車でサモアン ティガ寺院へオダランを見に行く。彼の家で装束をを借りる。正装でなければ入れないらしい。サロンの巻き方を教えてもらった。
 お祈りの儀式に参加。祭壇に向かって地べたに正座し、花を指先にはさみ、手をあわせて3回拝む。その後花は耳と帽子にはさむ。額に米粒をつけて修了。
 境内は日本の祭りと同じように、出店が並び、大勢の人がくりだしている。女性ガムラン楽団が音楽を奏でる。夕食にブタの丸焼きを食べた。皮と肉をそぎ、 ライスと一緒に紙皿に盛られ、唐辛子のソースがかけられている。皮がパリパリでおいしかった。
6/5
 
自転車でゴア・ガジャ、イエ・プルを周る。
 ゴア・ガジャではサロンを着用しなければ入れず、貸し出し用のものがある。昨日教わった巻き方で腰に巻き入った。石窟の入り口はおどろおどろしい彫刻が 施されている。本当はこんな簡単に観光客が入ってはいけないところなのだろう・・・沐浴場といわれるところは常に水が湧き出しているのだろう。水の中に魚 がすんでいた。
 ゴア・ ガジャの先の考古学博物館まで足を延ばし、いくつかの大きな寺院を周った。
 最後にイエ・プルへ行ってみる。昨夜行ったサモアンティガ寺院の近くだ。石の壁面に働いている人などの彫刻が施されているのだが、まあただそれだけだ。 おばあさんが一人熱心に掃除をしていたが、急に「この遺跡は・・・」と説明を始め、お金を強要された・・・
 遺跡を出たところにレストランがあり、昼食をとっていると、日本人の女性が5,6人入ってきた。現地の若い男がガイドしてきたらしい。若い男はさかんに 近くにきれいな滝があるから見に行こう等と誘うが、女達はもう歩くのにうんざりしているらしく、軽くもてあそび、「じゃあね〜」等と日本語で言い放ち、け らけら笑いながら消えていった・・・・すごくいやな日本人だ・・・・
 若い男は呆然と女達を見送ったあと、めざとく私を見つけ、今度は私に売り込みを始めた。
「明日、オダランの儀式で海まで歩くんだが、一緒に行かないか?130,000Rpで連れてってやる」ちょっと値切って行くことにした。「名前をプトゥと いい、この近くに住んでる。ガムランの楽団員で明日は演奏する。彫刻も造っている・・・」とバッグの中から小さい木彫りの人形を取り出した。「これを買わ ないか?」「いやそれはいらない・・・」と、明日5:30AMに待ち合わせの約束をし別れた。
 夜はパダン・トンガル集会場でケチャを見た。昨日のよりも格段に良かった。ケチャのほかにトレナジェンガラというトランスに入った少女が踊る舞や、馬に 憑かれた男が火を蹴散らして転げまわる舞?などバリダンスとはちょっと違った、土着的な芸能だ。
6/6

 
5:30AM、すごい雨が降っている。宿の近くの交差点でプトゥと待ち合わ せ、バイクで彼の家へ。装束を借りサモアンティガ寺院へ行くと、もう出発しているらしく、白い装束の人たちが大行列を作っている。女性はカラフルな民族衣 装の人もいる。プトゥは天秤棒で鉄琴のような楽器を担ぎ楽団に加わった。その後に続いて私も歩き始めた。だんだんと日が昇ってくるとすっかり雨もやんだ。 緩やかな 下り坂をただひたすら歩いていく。楽団は常に演奏を続けている。いくつもの楽団、旗、御輿のようなものがあり、各地域ごとに別れているようだ。
 小学校の横を通り過ぎると、子供たちが、窓から体を乗り出して歓声を上げている。交差点では警察官が交通整理をしている。おじいさんおばあさんから子供 までみんな淡々と歩いている。プトゥの楽器は重そうだ。2人で楽器をつるした房を担ぎ、後ろの人が演奏しながら歩いていく。かなりつらそうだ・・・時々前 後交代しているらしい。
 5時間 ぶっ通しで歩き、目的地の海岸に着く。すでに大勢の人が到着し、砂浜に座っている。海はすごく波が高く泳げそうにない。海に向かって祭壇を作り、供え物が 並べてある。各所で仮面演劇や人形劇(ワヤンクリのような)が繰り広げられている。私もプトゥの楽団の横に座った。楽団は席に着くと休みも無くまた演奏を 始めた。ゴングや鉄琴のやわらかい金属音が響きわたる。プトゥはベース担当らしく大きめの鉄琴でひたすら同じフレーズを繰り返している。お祈りの時間にな り、鐘の音とともに黙祷をするように静かになり、昨日やったようなお祈りをした。波の音が聞こえてくる。山の民が海の神と交流する。山の神をお連れしたと 言うべきか・・・
 お祈り も終わり、海の家みたいなところで昼食をとる。1時間ほど休み、帰路に着く。大行列が今度は緩やかな上り道を進んでいく。帰りは途中のギャニャールという 町のサッカー場で一休み。芝生に座っていると近くにいた男たちが声をかけてくる。「日本人か?日本ではコーヒー1杯いくらぐらいだ?」「300円ぐらい だ」「一般の人は月どれぐらい稼ぐ?」「20から30万円・・・」彼らは一生懸命Rpに計算しなおし、「それじゃあ、俺たちとあまり変わらない生活をして いるんだなあ・・・」と言ってニコニコしていた。彼は警察官で安定した収入があるらしい。
 再び歩き始める。周りの老人・子供も疲れを見せず歩いていく。私自身も足も痛くならず、それほど疲れた感じはしない。西日が正面から降り注ぐ。女性は新 聞紙などで日差しを避けながら歩いている。日も暮れかかった6:00PMやっとサモアンティガ寺院に戻ってきた。御輿を蔵に入れ、祭りは終わる。プトゥの 家で夕食をとった。妹が作っていてくれたようだ。彼はぐったりして「もう体がぼろぼろだ・・・1週間ぐらい仕事はできないよ・・・」。あれほど重い楽器を 担いで1日中歩いていたのだ。「実は父が病気で寝たきりなんだ・・・」と打ち明けられ彼のお父さんの寝床に案内される。顔色の悪い老人がベッドに横たわっ ていた。「頼む!俺の彫刻を買ってくれないか?」等と頼まれ、気はすすまなかったがアトリエに案内され彼の作品を見せられる。ほとんどはみやげ物の域を出 ていなかったが、なかなか良い仮面があったので、値切って買ってあげることにした。彼のお父さんへの見舞いのつもりだ。
 それにしてもよい体験をした1日だった。
6/7
 
午前中は寝る。昼過ぎに起きるが、足にはさほどきていない。食事を頼むと宿のオーナーの娘さんだろうか、いつもにこやかに持ってきてくれ る。サンドイッチなど軽食ばかりだが、野菜も新鮮でおいしい。
 夕方近 くになって自転車でアルマへ絵を見に行く。これといったものはなかった。夜、バロンダンスを見に行く。毎日のようにバリダンスの公演が行われている。楽し みには事欠かない。
夕食は宿の近くに出ている屋台で取った。アヤムゴレン(鳥を揚げたもの)だけのメニュウだ。これがなかなかうまい!ご飯にチリソースが合う。若い夫婦で やっているようだ。宿に帰ってバリ島の地図を開き明日からの計画を練る。「自転車で聖なる山アグン山の近くまで行ってみよう・・・」
6/8
 朝食をとり、自転車へまたがる。まずはプラ・クヘン寺院に向けて出発だ。地図 を見ながらひたすら自転車をこぐ。しばらく上り下りが続いたが、プラ・クヘンが近づくとひたすら上りになった。汗がだくだく流れる。途中水を買ったり、公 園で一休みしたりしながら、なんとか午前中に着いた。道の途中、巨大な菩提樹に何度も出会った。大きな木には日本と同じように祠が設けられ、信仰の対象に なっているようだ。
 プラ・ クヘンは山の中腹ぐらいにあるお寺だ。御神体がその山のようで寺院の背後が山になっている。日本の神社を思わせる。境内は苔むしていて、観光客も誰もおら ず 閑散としている。裏山にちょっと入ってみると、地元の人だろうか?ニコニコして寄ってくる。そして勝手にガイドを始める。結局最後は金をせびられた。
 気を取 り直してアグン山に向かって自転車をこぐ。ずーっと上りだ。いい加減疲れたころ、畑の向こうの雲が変に盛り上がっている。かすかに雲間に山の頂が見える。 地図を見てもこの辺に山はアグン山しかない。「おおあれがアグン山だ・・・」と勝手に決めつけることにする。ちょっと雲行きが怪しくなってきた。「アグン 山も見たし引き返すことにするか・・・」と今度はひたすら下りである。途中見晴らしのいい丘の上にレストランがあった。おなかも減ったのでちょっと高そう だが、入ることにした。バイキング形式で75,000Rp。 しかし実に見晴らしがいい。眼下には棚田が広がっていて、遠くには海が見える。いやそんなには遠くない・・・飯を食って海まで行ってみることにした。
 地図とは言っても島全体の地図しかないので細かい道は載っていない。うろうろ迷いながらやっと海岸に出た。誰もいない・・・遠くに島が見える。海は黒っ ぽく波は荒い。誰もいないのに小さな掘っ建て小屋に水やお菓子などを並べた売店は開いている。親父が一人ぼーっとしていた。「ここはこの地図で言うとどこ ら辺になる?」と地図を見せながら英語で尋ねたが英語は分からないらしい・・・海岸線は広々と農園が続き、ホテルなどはなく、観光地ではないようだ。それ にしても人気が無く閑散としている。
 帰り道はなかなか激しいアップダウンが続く。海から上っていく感じなので上りの方が多い。細かい道が分からないので、大きな街道を走ったが、ディーゼル 車が多いのか空気が悪くて閉口した。どうにかこうにかウブドに戻った。自転車の旅も面白そうだな・・・そういえば自転車旅行のヨーゾーさんは今頃どこを 走っているのだろう・・・

6/9
 鷺(サギ)の集まる町があると言うので自転車で行ってみる。長い上り坂に家具 工房がずらっと連なっている。道沿いの小さい、地元の人しか入らないような食堂に入ってみる。地元のおっちゃんだろうか客が入ってきてもずっと寝そべって タバコをふかしている。チリソースで煮た魚とライスを注文。ハエが多いのが気になったがなかなかうまかった。さらに道を上って行く。町の入り口だろうか大 きい張りぼての人形がお出迎え。甘い造形の中途半端なリアリズムが可笑しみを誘う。
 展望台のようなところで鷺を待つが、一羽も見ることはできなかった。人もほとんど来ず、昼寝をして帰った。木陰の風が心地よい。
 夕方レゴンダンスを見に行く。女性の独舞が、緊張感に満ち満ちていて引き込まれた。仮面のダンスは滑稽でありながら、おどろおどろしい雰囲気も漂わせて いる。
 街中のオープンカフェで、大勢の人がテレビに群がっている。ワールドカップ日本対ロシア戦を放映していた。思わず足を止めて見入る。ビールを注文して、 サッカーを見ることにした。大体の人が日本を応援しているようだ。日本が得点を入れて勝った。となりにいたおじさんが声をかけてくる。「私は日本に彫刻を 教えに行ったことがあるんだ。」ニョマンさんといい彫刻家らしい。ニョマンはこちらの言葉で三男を意味するのだそうだ。日本人の女性が2人入ってきた。 ニョマンさんと知り合いらしく同じ席に座った。なかなかの美人だ。バリダンスを習うために1年以上滞在しているのだそうだ。ちょっと話をして帰っていっ た。帰り際、先日見つけた屋台でアヤムゴレンを食べる。いよいよ帰る日も近くなってきた。
6/10
 
朝、外へ出るとばったり吉葉君に出会う。異国の地で3回も出会うとは・・・とりあえずお茶でもすることにして近くのカフェに入った。しば らく話していると奥から日本人のおじさんが出てくる。大島さんといってこのカフェのオーナーだそうだ。仕事をリタイアしバリに移住。ここの他にもインター ネットカフェを経営しているそうだ。若いころは仕事の合間を縫って今で言うバッグパッカーのような旅をして、世界一うまいドリアンを探すのがテーマだった そうだ。バリの話をたくさん聞いた。「バリの男と結婚した日本人女性に幸せな人はいない・・・」「働くより盗んだほうが稼げると言う価値観・・・」中でも 「日本 人観光客から、ぼって儲けようという商売のやり方」が特に気に入らないそうで、「ここで日本の商売のやり方を若いやつらに教えてるんだ」という。さら に・・・単なる観光じゃないな・・・とにおわせる日本人カップルも加わり話が弾んだ。結局コーヒーが酒になり、大島さんに勧められたアラックという強いス ピリッツとライスワイン(甘いどぶろくのような酒)でしこたま酔っ払い、1日そのカフェで過ごしてしまった。さらに吉葉君とほかのレストランに行き食事を して帰った。飲みすぎでダウン・・・すぐ寝た。
6/11
 
旅に出てからちょうど2ヶ月、まだまだ旅を続けたかったが2ヶ月間と期間を決めていたので帰ることにする。荷物をまとめ、デンパサール空 港行きのバスに乗る。デンパサールはさすがに都会だ。ペナン島でだまされそうになったことを思い出す(あの詐欺師、デンパサールに2つもホテルを持ってる と か言ってたっけ)。空港で飛行機の時間を待ち、免税店でお土産を少し買った。バンコク行きの飛行機に乗り込む。ジャワ島の上空を飛んでいるようだ。眼下に 雲の上に頭を出した火山群が見える。日が暮れると、ぽつぽつと家の明かり?が星のようにまばらに浮かんでいる。遠くに盛り上がった積乱雲。雲の中で幾すじ もの稲妻が走る。いよいよ帰途に着いた。


<<Gunung Bromo   バ ンコク経由で成田へ(編集後記)>>


   


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