6/3 バリ島着 昨夕ブロモ山を出発し、大型バスに乗り換え、5:00AM真っ暗なデンパサールのバス停に着いた。途中フェリーで海を越えたようだが、う とうと寝ていてよく覚えていない。道はスマトラに比べ格段にいいようだ。 ![]() ウブドの街に入り、タクシーの運ちゃんがホテルを探してくれる。はじめ連れて行かれたところはきれいなところだったが高すぎて、トイレだけ借りて出た (まだ下痢は続いている)。「もっと安いところは無いか?」・・・ということでSURINADI H.S(一泊30,000Rp)に泊まることになった。シャワーつきで、庭に池があり、そのむこうに小川が流れているようだ。せせらぎの音が聞こえる。安 い割にはなかなかいい感じだ。 昼ごろまでごろごろし、街に出た。日差しがきつい。道端のいたるところに花が置かれている。心豊かな風習だ。なるべく安そうなレストランを探し、入って みる。物価は今までいたところよりもやや高いようだ。オープンカフェのようなところで陰に入ると涼しく心地よい。
音楽もまさにトランスを起こしてしまうような、金属的な音が主体の複雑なリズムで独特だ。 一番前に陣取ったが、引き込まれてしまった。観衆は日本人と思われる観光客が、今までの町にはなく多かった。
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6/4 自転車(マウンテンバイク)を借りる。ネカ美術館へ行ってみる。山あり谷あり結構な運動になった。 展示はバリ絵画のスタイルの変遷をスタイル別に展示してあり、平面的で、色を抑えたものが多い。総じて古い絵画に良いものが多いように感じた。バリ絵画 に影響を与えた外国人の作品も飾られていたが、あまり良くなかった。美術館で学芸員をしているというニョマンという若者が声をかけてきた。学芸員とは言っ てもアルバイトのようなものらしい。兄は絵描きでウブドスタイルの絵を描いているそうだ。夜、ケチャを見た後、近くのお寺でオダランの儀式があるので行か ないかと誘われる。 バリ島といえばケチャだと思っていたので楽しみに見に行った。多くの日本人がしかもなぜかみんながみんなカップルで見に来ていた。ちゃんとした客席がで きていて、舞台の上でケチャが行われる。こっけいな面白さもあり楽しめたが何かイメージと違う・・・
![]() お祈りの儀式に参加。祭壇に向かって地べたに正座し、花を指先にはさみ、手をあわせて3回拝む。その後花は耳と帽子にはさむ。額に米粒をつけて修了。 境内は日本の祭りと同じように、出店が並び、大勢の人がくりだしている。女性ガムラン楽団が音楽を奏でる。夕食にブタの丸焼きを食べた。皮と肉をそぎ、 ライスと一緒に紙皿に盛られ、唐辛子のソースがかけられている。皮がパリパリでおいしかった。
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6/5 自転車でゴア・ガジャ、イエ・プルを周る。 ゴア・ガジャではサロンを着用しなければ入れず、貸し出し用のものがある。昨日教わった巻き方で腰に巻き入った。石窟の入り口はおどろおどろしい彫刻が 施されている。本当はこんな簡単に観光客が入ってはいけないところなのだろう・・・沐浴場といわれるところは常に水が湧き出しているのだろう。水の中に魚 がすんでいた。
![]() 最後にイエ・プルへ行ってみる。昨夜行ったサモアンティガ寺院の近くだ。石の壁面に働いている人などの彫刻が施されているのだが、まあただそれだけだ。 おばあさんが一人熱心に掃除をしていたが、急に「この遺跡は・・・」と説明を始め、お金を強要された・・・ 遺跡を出たところにレストランがあり、昼食をとっていると、日本人の女性が5,6人入ってきた。現地の若い男がガイドしてきたらしい。若い男はさかんに 近くにきれいな滝があるから見に行こう等と誘うが、女達はもう歩くのにうんざりしているらしく、軽くもてあそび、「じゃあね〜」等と日本語で言い放ち、け らけら笑いながら消えていった・・・・すごくいやな日本人だ・・・・ 若い男は呆然と女達を見送ったあと、めざとく私を見つけ、今度は私に売り込みを始めた。 「明日、オダランの儀式で海まで歩くんだが、一緒に行かないか?130,000Rpで連れてってやる」ちょっと値切って行くことにした。「名前をプトゥと いい、この近くに住んでる。ガムランの楽団員で明日は演奏する。彫刻も造っている・・・」とバッグの中から小さい木彫りの人形を取り出した。「これを買わ ないか?」「いやそれはいらない・・・」と、明日5:30AMに待ち合わせの約束をし別れた。
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6/6![]() ![]() 5:30AM、すごい雨が降っている。宿の近くの交差点でプトゥと待ち合わ せ、バイクで彼の家へ。装束を借りサモアンティガ寺院へ行くと、もう出発しているらしく、白い装束の人たちが大行列を作っている。女性はカラフルな民族衣 装の人もいる。プトゥは天秤棒で鉄琴のような楽器を担ぎ楽団に加わった。その後に続いて私も歩き始めた。だんだんと日が昇ってくるとすっかり雨もやんだ。 緩やかな 下り坂をただひたすら歩いていく。楽団は常に演奏を続けている。いくつもの楽団、旗、御輿のようなものがあり、各地域ごとに別れているようだ。 小学校の横を通り過ぎると、子供たちが、窓から体を乗り出して歓声を上げている。交差点では警察官が交通整理をしている。おじいさんおばあさんから子供 までみんな淡々と歩いている。プトゥの楽器は重そうだ。2人で楽器をつるした房を担ぎ、後ろの人が演奏しながら歩いていく。かなりつらそうだ・・・時々前 後交代しているらしい。 ![]() ![]()
![]() 再び歩き始める。周りの老人・子供も疲れを見せず歩いていく。私自身も足も痛くならず、それほど疲れた感じはしない。西日が正面から降り注ぐ。女性は新 聞紙などで日差しを避けながら歩いている。日も暮れかかった6:00PMやっとサモアンティガ寺院に戻ってきた。御輿を蔵に入れ、祭りは終わる。プトゥの 家で夕食をとった。妹が作っていてくれたようだ。彼はぐったりして「もう体がぼろぼろだ・・・1週間ぐらい仕事はできないよ・・・」。あれほど重い楽器を 担いで1日中歩いていたのだ。「実は父が病気で寝たきりなんだ・・・」と打ち明けられ彼のお父さんの寝床に案内される。顔色の悪い老人がベッドに横たわっ ていた。「頼む!俺の彫刻を買ってくれないか?」等と頼まれ、気はすすまなかったがアトリエに案内され彼の作品を見せられる。ほとんどはみやげ物の域を出 ていなかったが、なかなか良い仮面があったので、値切って買ってあげることにした。彼のお父さんへの見舞いのつもりだ。 それにしてもよい体験をした1日だった。
午前中は寝る。昼過ぎに起きるが、足にはさほどきていない。食事を頼むと宿のオーナーの娘さんだろうか、いつもにこやかに持ってきてくれ る。サンドイッチなど軽食ばかりだが、野菜も新鮮でおいしい。 ![]() 夕食は宿の近くに出ている屋台で取った。アヤムゴレン(鳥を揚げたもの)だけのメニュウだ。これがなかなかうまい!ご飯にチリソースが合う。若い夫婦で やっているようだ。宿に帰ってバリ島の地図を開き明日からの計画を練る。「自転車で聖なる山アグン山の近くまで行ってみよう・・・」 |
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6/8![]() ![]()
![]() ![]() 地図とは言っても島全体の地図しかないので細かい道は載っていない。うろうろ迷いながらやっと海岸に出た。誰もいない・・・遠くに島が見える。海は黒っ ぽく波は荒い。誰もいないのに小さな掘っ建て小屋に水やお菓子などを並べた売店は開いている。親父が一人ぼーっとしていた。「ここはこの地図で言うとどこ ら辺になる?」と地図を見せながら英語で尋ねたが英語は分からないらしい・・・海岸線は広々と農園が続き、ホテルなどはなく、観光地ではないようだ。それ にしても人気が無く閑散としている。 帰り道はなかなか激しいアップダウンが続く。海から上っていく感じなので上りの方が多い。細かい道が分からないので、大きな街道を走ったが、ディーゼル 車が多いのか空気が悪くて閉口した。どうにかこうにかウブドに戻った。自転車の旅も面白そうだな・・・そういえば自転車旅行のヨーゾーさんは今頃どこを 走っているのだろう・・・ ![]() ![]() |
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6/9![]() 展望台のようなところで鷺を待つが、一羽も見ることはできなかった。人もほとんど来ず、昼寝をして帰った。木陰の風が心地よい。 夕方レゴンダンスを見に行く。女性の独舞が、緊張感に満ち満ちていて引き込まれた。仮面のダンスは滑稽でありながら、おどろおどろしい雰囲気も漂わせて いる。
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6/10 朝、外へ出るとばったり吉葉君に出会う。異国の地で3回も出会うとは・・・とりあえずお茶でもすることにして近くのカフェに入った。しば らく話していると奥から日本人のおじさんが出てくる。大島さんといってこのカフェのオーナーだそうだ。仕事をリタイアしバリに移住。ここの他にもインター ネットカフェを経営しているそうだ。若いころは仕事の合間を縫って今で言うバッグパッカーのような旅をして、世界一うまいドリアンを探すのがテーマだった そうだ。バリの話をたくさん聞いた。「バリの男と結婚した日本人女性に幸せな人はいない・・・」「働くより盗んだほうが稼げると言う価値観・・・」中でも 「日本 人観光客から、ぼって儲けようという商売のやり方」が特に気に入らないそうで、「ここで日本の商売のやり方を若いやつらに教えてるんだ」という。さら に・・・単なる観光じゃないな・・・とにおわせる日本人カップルも加わり話が弾んだ。結局コーヒーが酒になり、大島さんに勧められたアラックという強いス ピリッツとライスワイン(甘いどぶろくのような酒)でしこたま酔っ払い、1日そのカフェで過ごしてしまった。さらに吉葉君とほかのレストランに行き食事を して帰った。飲みすぎでダウン・・・すぐ寝た。 |
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6/11 旅に出てからちょうど2ヶ月、まだまだ旅を続けたかったが2ヶ月間と期間を決めていたので帰ることにする。荷物をまとめ、デンパサール空 港行きのバスに乗る。デンパサールはさすがに都会だ。ペナン島でだまされそうになったことを思い出す(あの詐欺師、デンパサールに2つもホテルを持ってる と か言ってたっけ)。空港で飛行機の時間を待ち、免税店でお土産を少し買った。バンコク行きの飛行機に乗り込む。ジャワ島の上空を飛んでいるようだ。眼下に 雲の上に頭を出した火山群が見える。日が暮れると、ぽつぽつと家の明かり?が星のようにまばらに浮かんでいる。遠くに盛り上がった積乱雲。雲の中で幾すじ もの稲妻が走る。いよいよ帰途に着いた。
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