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バンコク空港で乗り換える。免税店でドリアン飴なるものを見つけお土産に買う。なにかビニールの袋の上からにおって来るようだ。バンコク 空港でだいぶ時間をつぶした。日本行きに乗り込み飛び立つ。
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飛行機は無事にフライトしているようだ。朝ごはんに日本食が出た。なんだか味が無い・・・しかし、日本茶を飲んだ瞬間ホッとした。 「あー、なんて日本食って優しいんだろう・・・」。
 無事成田に着き、両替を済ませ、成田エクスプレスで新宿まで出ることにした。車両には私しか乗っていない。新宿が近づきアナウンスが入る「只今この電車 3分ほど遅れております。皆様には大変ご迷惑をおかけしております・・・」一人で馬鹿笑いしてしまった!たった3分で大げさな・・・すっかりアジア時間な 私であった。
 家に帰ると父が先に送ったお土産を開けていて、タイの笛などで遊んでいた。父の体調も変わりなく、とりあえず大成功ということにしておこう。
<編 集後記>
 「太陽に近づく」という「パフォーマンス・太陽に向かって歩く」の延長線上で構想されたこの旅であったが、旅の先々でさまざまな文化、人、自然に出会い とても有意義な旅にすることができた。旅のレポートを完成するのに、3年も要してしまったが(これは単なる怠惰です・・・)
3年たった今も、日記を読み写真などを見返すと、ありありと当時の情景が思い浮かんでくる。簡潔にまとめるためずいぶん端折った部分も多いが、あとは飲み 屋あたりで直接吉澤に尋ねてください。
 その後、ブキッラワンで大洪水が起こったり、ブキティンギのYosiからも「最近手術をしてお金が無い。お金を送ってくれ・・・」というような内容の、 スペルの間違った英語でつづられた手紙が届いたりした。そしてこの度のスマトラ島地震である。貧富の格差や自然災害が彼らを襲っている。どうにもできない 自分がもどかしい。いつか時間と金ができたら、もう一度彼らを訪ねてみたい。彼らが幸せに暮らしていることを願っている。
 この旅に援助していただいた武蔵野美術大学、こころよく送り出してくれた父をはじめとする家族に感謝したい。
2005年6月19日 吉澤和芳

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