第63回 : フランス・ブリュッヘン指揮 18世紀オーケストラ〜ベートーヴェン交響曲全曲演奏会〜 (東京芸術劇場大ホール)

先日行った展覧会でフェルディナント・ヴァルトミュラーの《ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの肖像》(1823年)を見て、ちかごろベートーヴェンを聴いていないと思った、と書きました(→ こちら へどうぞ)。しかし、久しぶりにベートーヴェンの交響曲を聴く機会をとらえて出かけたのが、11月10日(日)午後に開かれた標記のコンサートです。

プログラムは、《交響曲第8番ヘ長調Op.93》と《交響曲第5番ハ短調Op.67》の2曲。今回の公演には序曲とかコンチェルトを用意していないので、こうしたあっさりした日もあるのでしょう。18世紀オーケストラは、45〜50人ほどの編成でこれらの作品を演奏しました。このホール3階のセンターエリアの前から2列目のひとつが私の席でした。

演奏が始まって感じたのは、このオーケストラの音色が、実に落ち着いた渋い響きだったことです。しかしコンサートが終わってみると、何か物足りなさを感じたのも確かでした。どうしてそう感じたのか考えてみると、2つか3つ理由があるように思えてきました。

まず演奏会場の問題です。今回登場したのは、小編成の、しかもピリオド楽器を用いたオーケストラですから、音量じたい通常私たちが聴くオーケストラほど大きくないわけです。それが2000人収容しようというこのホールを会場に選んだわけですから(しかも私の席はさきほど書いたとおりで、オーケストラから距離があります)、声部の綾を聴こうとしても、なかなか味わえない気がしました。10年前にトン・コープマン率いるアムステルダム・バロック・オーケストラが、やはりこのホールでモーツァルトの交響曲の全曲演奏会を行なったことがありましたが、似たような物足りなさを感じたことを思い出しました。

次に私の中に、ピリオド楽器のオーケストラでベートーヴェンを演奏すると速いテンポになるというイメージと、さいきんモダン・オーケストラのベートーヴェン演奏でも速めのテンポが見受けられるようになってきたというイメージが重なっていて、ブリュッヘンの演奏が私のイメージほどではなかったのです。で、要は肩透かしを喰らったような感じを受けたのです。

ちなみに、さいきん耳にする速めのテンポは単なる流行かというと、そういうものではないようです。1817年、ベートーヴェンはメトロノームにハマりますが、それまでに作った8曲の交響曲の速度表を作って同年暮の《一般音楽新聞 Allgemeine Musikzeitung》などに発表しました。それを見ると、
■交響曲第8番■
第1楽章冒頭 4分の3拍子 付点二部音符=69
第2楽章冒頭 4分の2拍子 八分音符=88
第3楽章冒頭 4分の3拍子 四分音符=126
第4楽章冒頭 2分の2拍子 全音符=84
■交響曲第5番■
第1楽章冒頭 4分の2拍子 二部音符=108
第2楽章冒頭 8分の3拍子 八分音符=92
第3楽章冒頭 4分の3拍子 付点二部音符=96
第4楽章冒頭 4分の4拍子 二部音符=84
という具合です。先年発売されたデヴィッド・ジンマン指揮チューリッヒ・トーンハッレ管弦楽団の演奏(CD)など、テンポの問題をとれば、だいたい上に挙げたような速いテンポです。ガーディナーがサントリー・ホールでベートーヴェンの第1番、第8番、第5番の3曲を一回のコンサートで取り上げたとき(1992年9月27日)も、やけに速かったと記憶するのですが、おそらく上のようなテンポだったのだと思います。

かれこれ10年ほど経つでしょうか、ガリー・ベルティーニが都響で《第九》を振った年がありました。その時配布されたプログラムには、たしかベルティーに自身が書いた小文が添えられていて、次のような内容だったと記憶しています。音楽学者と演奏家の共同作業でベートーヴェンの交響曲の速度について精査したことがあったというのです。ボンのベートーヴェンの住居で当時彼が使っていたメトロノームの置き場所や、ピアノに座った位置からそれを見て速度表示どおり正確に見えるか、またそのメトロノームじたいの性能などなどを調べ上げ、先の《一般音楽新聞 Allgemeine Musikzeitung》に掲げられた表との誤差がどの程度見込まれるかを考えたらしいのです(ベルティーにの演奏も、やはり速めのテンポに特徴がありましたが、いくらか解釈に幅をもたせたみたいです)。こうした解釈の幅がありうるとすると、今回の演奏も、聴き手の私にわからない勉強を、ブリュッヘンがしていたのかもしれません。

それにしても、これまでにないイメージが自分の中に作られつつあることを確認できたのは(いいか悪いかは別として)、自分でもおかしくなってしまいます。ともあれ、私にとってベートーヴェンは、たまに聴きたくなる作曲家の最右翼といえますね。
【2002年11月16日】


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