第91回: ゴッホ展−−孤高の画家の原風景−−(東京国立近代美術館)

今年は、連休に入る直前になって鼻水が止まらない日がありました。帰宅後というか就寝前に発熱。花粉症かと思っていたら風邪だったのですね。翌日の「みどりの日」以降3〜4日、微熱が残ってしまいました。ようやく風邪が抜けた5月4日に竹橋の東京国立近代美術館( http://www.momat.go.jp/ )に足を運び、標記の展覧会を見てきました。

3月23日から始まっていた本展も会期は5月22日(日)までと先が見えてきましたが、会期中無休です。しかも会期終了までの木・金・土・日は午前10時から午後8時まで開館しているのも嬉しいところです。というより、混雑のため入館するまでに1時間30分前後待つことも考えられるので、余裕をもってでかけたいところです。事実、私が行った4日の午後は、会場に着いた瞬間、思わず「えっ!!」と声を上げてしまいました。建物の前の庭から沿道まで長い行列が並び、チケットを購入したあと、入館できるまでの待ち時間が私の場合は「80分」。じっさいに入館できるまでにかかった時間は、だいたいその予想どおりでした! 観覧料は当日(一般)が1500円。東京国立近代美術館のサイトから割引のページをみつけてプリントアウトしていくと、100円引いてくれました(笑)。

本展はゴッホの作品を収蔵する美術館として有名なファン・ゴッホ美術館( http://www.vangoghmuseum.nl/bisrd/top-1-1.html )とクレラー=ミュラー美術館( http://www.kmm.nl/index_flash.html#voorpagina )両館の協力を得ています。全体の構成(章立て)は、

第 1 章 宗教から芸術へ
第 2 章 農民の労働 芸術のメタファー〈オランダ〉
第 3 章 闇から光へ〈パリ〉
第 4 章 ユートピア〈アルル〉
第 5 章 模写/最後の風景〈サン=レミ、オーヴェール=シュル=オワーズ〉


となっています。展覧会のタイトルと先の2つの美術館の協力があったなどといわれるとちょっと勘違いしてしまいますが、本展はゴッホの作品だけで構成されているわけではないのです。たとえば1999年の秋にザ・ミュージアムで開催された「ゴッホ展」は(拙HPでも取り上げました ← こちらからどうぞ)彼の作品ばかり70点ほども集めた回顧展でした。それが今回は違って、ゴッホ自身の作品は約30点、ゴッホに影響を与えた他の作家たちが約30点、それに関連するモノの展示などがいっしょになされているのです。本展を見始めたときには、その違いに少しばかり肩すかしを喰らったような気すらしたのですが、見終わったときにはそんな印象は吹っ飛んでいました。そのあたりを簡単に書き留めておきましょう。

全体はゴッホの生涯に沿って、ほぼ編年体で作品が展示されていると思えばいいでしょう。さいしょは、父親と同じ聖職者の道へ進もうとしていたゴッホが志を翻す「第 1 章 宗教から芸術へ」から始まります。ゴッホの作品である《開かれた聖書のある静物》(1885年)は、横長の画面中央に聖職者であった父親が説教台に置いて使った分厚く大きい聖書が描かれ、画面右下にはフランスの自然主義文学の巨匠エミール・ゾラの著作が描かれています。つまり、宗教ではなく世俗の世界で生きていくぞという決意表明(それは同時に父親の職業を継がないという意思表示でもありました)となっています。初めて見た作品でした。

「第 2 章 農民の労働 芸術のメタファー〈オランダ〉」。画家としてスタートしたゴッホのオランダ時代は色彩が暗めなのですが、早い時期から才能を開花させていたことを窺わせます。《織機と織工》(1884年)は1999年のザ・ミュージアムに来ていたと記憶していますから再会(ただし日本語訳題は異なっていたと思います)。《馬鈴薯を食べる人々》(1885年)も共感がもてました。同時にヨゼフ・イスラエルスという画家が描いた《食卓を囲む農民の家族》(1882年)という作品もすぐそばに展示されていましたので、当時の農民の姿を真正面から見据えて描いていた画家たちがいたことを知ることができました。

「第 3 章 闇から光へ〈パリ〉」。このあたりから色彩は明るさを増し、それに印象派の影響をも受けています。ポール・シニャックの《ポルトリューの灯台》(1888年)は新印象派の点描主義による作品ですが、当時のゴッホもこの手法を採り入れています。この章で展示されている作品数は多いので、[印象派]と[浮世絵]の部に分かれていました(それと[小説]というのもあったような気が・・・)。でも、それらの中から印象に残る作品を挙げるならば《芸術家としての自画像》(1888年)をとりましょう。

「第4章」の場所はアルル。そこにゴッホは芸術家村のようなものを作ろうとし、ポール・ゴーギャンとの共同生活も始まりました。やがて二人は芸術論の違いから緊張した関係が生じ、ゴッホは自らの耳を切り落とすという事件を起こしました。《種蒔く人》(1888年)は1999年以来の再会。いうまでもなくミレーのそれをもとにしつつ、ゴッホ独自の味わいをくわえた作品です。もうひとつ今回の展示のなかで目玉のひとつに数えられている《夜のカフェテラス》(1888年)も印象に残ります。縦長の画面に夜空の濃い青と黄色い星、カフェテラスといっても石畳に面したもので、暗い夜というイメージとはほど遠く、軽やかな夜のカフェとでも形容したくなる作品です。この章では、ゴーギャンの作品はもとより、セザンヌ、シニャックなどの絵画も見られます。

「最終章」はゴッホが晩年をおくったサン=レミとオーヴェール=シュル=オワーズが舞台です。サン=レミではドラクロワやミレーの模写を多く手がけています。オーヴェールに移ってから描かれた《糸杉と星の見える道》(1890年)は、多用されている曲線が醸し出す一種異様な力強さが印象に残りました。

さて、感想を記すとついゴッホの作品中心になってしまうのですが、じっさいに会場を歩いてみるとゴッホの弟で画商を営んだテオの存在が大きくクローズアップされているように感じられました。テオを通してゴッホは多くの画家を知り得ましたし、彼らの作品から影響を受け、自分の創作に活かしていった様子が要所要所で確認できました。1999年の回顧展では獲られなかった成果だと思います。ただ、ゴッホの作品が30点というのはたしかにまとまった点数ではありますが、さきの回顧展が70点でしたから、どうしても物足りなさを感じてしまうのでした。まあ、贅沢すぎるクレームではありますが・・・。
【2005年5月9日】


トップページへ
展覧会の絵へ
前のページへ
次のページへ