第90回:瀧口修造 夢の漂流物(世田谷美術館)

2月5日(土)から始まっていた本展の会期は来る4月10日(日)までです。休館日は毎週月曜日で、入場料は一般800円。本展を見るために、2月の下旬に7〜8年ぶりに世田谷美術館( http://www.setagayaartmuseum.or.jp/index.html )に行ってきました。実は同じ月の上旬に横浜美術館で開催されていた「マルセル・デュシャンと20世紀美術」展を見て、世田谷での展覧会にも主な出品作家の一人としてデュシャンの名前が挙がっていましたので行ってみたいと思ったのです。それから幅広い交友関係をもっていたことで有名な瀧口ですから、そのことが彼のコレクションにどう作用したかということについても、興味がありました。ちなみに拙HPで瀧口修造をとりあげるのは、1999年の10月に世田谷文学館( http://www.setabun.or.jp/ )で行なわれた「瀧口修造と武満徹展」(← こちら )に次いで2度目ということになります。

今回は記憶を辿りながら、本展を振り返ってみます。実は、本展のカタログは3月中旬に発行される予定だというので予約してきたのですが、諸般の事情により手元に送られてくるのは4月初旬になると連絡がありました。それを待って書き始めると、会期の終了が近づいてくるため、不完全になるのは承知のうえでレポートし、興味のおありの方には直に足を運んでいただこうと考えた次第です。

瀧口の終の棲家、新宿区西落合の書斎の写真にはインパクトがありました。図書や書類はもちろん、額入りの写真や美術品かと思しきモノたちに囲まれて、その空間の中心には、笑顔で談笑している瀧口修造その人が写っているのです。とても居心地がよさそうです。

そこにあった「夢の漂流物」としては、瀧口自身の作品、瀧口と別のアーチストのコラボレーション、瀧口と交友のあった芸術家から寄せられた美術作品やモノたちとさまざまです。さいしょの方で、瀧口自身の抽象的な作品(絵画だっかか版画だったか判然としません・・・)があり、次いでたとえばジョアン・ミロが絵を担当し瀧口がテキストを受けもった絵本などがありました。また、瀧口は詩人でしたので雑誌に発表した詩なども展示されていました(その一部は、武満徹によって音楽化されています)。いましがた、交友のあった芸術家と書きましたが、国内外を問わずとても広いです。だから、瀧口のもとに寄せられた作品群は見ていて楽しかったですし、美術作品ではないものであっても交友の証となる写真などを見ていると、生きた時代が少し離れた知らない人だというのに、瀧口の人柄までが偲ばれるような気になったりもしました。

印象に残った作品をいくつかアト・ランダムに挙げておきましょう。さいしょに岡崎和郎の《電球》(1969年)です。見た瞬間には「なんだ、フツーの電球じゃないか」と思えたのですが、電球の中が何かフツーじゃないような気がしたもので、腰を低くしてみると、光の差し具合が変わって電球の中に花(もちろん人工的な)が置かれていることがわかりました。危うく通り過ぎるところでしたから、驚くと同時にただの電球だと勘違いしないでよかったとホッとしました。こうした発見が、おそらく人それぞれにあるだろうと思われるのです。大きさも色も異なる石ころと貝殻を箱に詰めたものもありました。これは瀧口自身が収集品で《Souvenirs de Cadaques》(1958年)といい、ダリ邸を訪れた際に集めてきたものらしいです。美術品と呼ぶには抵抗がありますが、でも見ていて楽しかったですよ。瀧口修造、中西夏之、武満徹、岡崎和郎、荒川修作、多田美波、赤瀬川原平、加納光於、野中ユリの9人による《漂流物 標本函》(1974年)などは、この展覧会のサブタイトルとして付された「同時代・前衛美術家たちの贈物 1950s〜1970s」をそのまま思いおこさせてくれました。そして(たぶん)さらに進むと、武満徹の描いた水彩画などもありましたし、そのあたりのコーナーでは「実験工房」(← これって瀧口の命名です)のコンサートで演奏された音楽作品がBGMで聴けたりもしました。

現代の前衛的な美術作品が、現実と切り離された難しいものかといえば、一部そうしたものもあるとは思いますが、むしろ日常や日常接しているモノに対する柔らかな眼差しから生まれているように思われ、興味が尽きませんでした。
【2005年3月24日】


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