第81回:幻のロシア絵本 1920−30年代展(東京都庭園美術館)

2001年に「ポスター芸術の革命 ロシア・アヴァンギャルド展」が開催され、拙HPでもとりあげたことがありました(← こちら です)。このたび、同じ美術館でソヴィエト(ロシア)の同時期の絵本をテーマにした展覧会があることを知り、見に行きました。雑誌『芸術新潮』2004年8月号の特集「ロシア絵本のすばらしき世界」をあらかじめ読んでいけば、当時活躍したソヴィエトの絵本作家のこと、日本で影響を受けた画家たちのことなどもわかります。さらに、10冊の絵本を選んで、別刷りの日本語訳をつけて復刻版をつくりセット販売するなど(分売は、展覧会場のみ可だそうです)の準備も整っています。さらに図録も、会場だけで売られているわけではなく、『幻のロシア絵本 1920−30年代』(芦屋市立美術館・東京都庭園美術館監修)として市販されています。いずれも淡交社( http://tankosha.topica.ne.jp/ )が出版しています。

会期は、すでに7月3日(土)から始まっていて、9月5日(日)まで。休館日は、第2、4水曜日ですから、これからのことでいえば8月11日と8月25日です。そして、入館料は一般(当日)が1000円です。

1920年代から30年代にかけてのソヴィエト(ロシア)では、新しい国づくりの理想に燃えた画家や詩人たちが絵本の制作を手がけました。画家だけ取り上げてもウラジーミル・レーベジェフ、ウラジーミル・コナシェーヴィチ、ウラジーミル・タンビ、エヴゲニー・チャルーシン、ダヴィート・シュテレンベルク、ミハイル・ツェハノフスキー、ウラジーミル・タトリン、ヴェーラ・エルモラーエワ、ウラジーミル・マヤコフスキーらの名が見出せます。マヤコフスキーとかタトリンといったところは、絵本とどまらず、画家としても有名でしょう。特に20年代の作品は、ほのぼのとしたなかに、さまざまな工夫が凝らされた絵本が多く生み出されています。美しい絵本もあれば、構成主義風のものもありました。会場を回ってみて嬉しかったのは、先ほど挙げた復刻版が別刷りの日本語訳とともに、ホンモノの絵本のそばに置かれているのです(10点だと思います)。これは何をいっているんだろうと思ったときに、日本語訳を確かめたり、前後の物語の展開を知ることができるのです。こうした試みは、単にモノを展示するだけでなく、内容を来館者に充分に伝えようとする努力だと思いました。

私が気に入った絵本のいくつかを挙げておきましょう。
《サーカス》(詩=サムイル・マルシャーク、絵=ウラジーミル・レーベジェフ 1925年刊)。人物や動物のかたちが面白く、決してリアリズムではないのですが、画面からユーモアが感じられました。《荷物》(詩=サムイル・マルシャーク、絵=ウラジーミル・レーベジェフ)は、版を重ねるごとに絵柄が変化しています。『芸術新潮』誌によれば「抽象的な表現にたいして当局からクレームがついた結果と思われる」とあります。きっと、そうなんでしょう。《食器はどこから?》(詩=N.スミルノフ、絵=ガリーナ・チチャーコワ+オリガ・チチャーコワ 1924年刊)。これは絵自体が構成主義によって描かれている面白みがあります。《紙とハサミ》(文・絵=レフ・ユージン+ヴェーラ・エルモラーエワ 1931年刊)も面白かったですね。文字どおり、紙とハサミを用意して、絵本から人間や動物を切り離して組み立てます。こうした工作をする楽しみまで味わえる絵本があったのですね。

しかし、ロシア絵本の興隆は長くは続きませんでした。まず、32年に造形芸術のグループが解散を命じられます。やや遅れて36年、レーベジェフらレニングラード派の絵本が批判のやり玉にあげられたのだそうです。会場には、この時期の絵本も展示されていますが、20年代の創意あふれる絵本は影を潜め、なんと退屈な絵だろうと思う内容に変化していきます。「社会主義リアリズム」にもとづく絵しか許されなくなったからです。それと経済状況が厳しかったのか、豆本といったほうがわかりやすいほど小さい絵本も増えました。これではダメだ、という感想が自然と湧いてきます。さらにいうと、子ども向けの絵本といえども、おとぎ話ばかりが生み出されていたわけではありません。軍備や戦争の必要を説いたものや、経済計画に関するものもありました。子どもたちに、大人の社会を教え込もうというわけです。

さて、もうひとつ興味の対象があります。それは、ロシア絵本を収集したり、自分(たち)の創作に活かそうとした日本人たちがいたことです。吉原治良(よしはら・じろう)、小西謙三、原弘、柳瀬正夢といった画家たちです。ここに挙げた4人が力を合わせてなにかを成し遂げたという意味ではありませんけれど。ただ、吉原と小西は、ロシア絵本の日本版とでもいえる《スイゾクカン》という絵本の仕掛け人であったり(小西)、作者であったりするのです(吉原)。その後、「アサヒ・コドモの会」の月刊機関誌『コドモの本』に、1932年から35年にかけて、ロシア絵本の翻訳が多く掲載されるようになります。こうした影響を受けていたことは、ついぞ知りませんでした。
【2004年8月3日】


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