第37回 :ポスター芸術の革命 ロシア・アヴァンギャルド展 ステンベルク兄弟を中心に(東京都庭園美術館)

東京都庭園美術館← ここは、ど〜こだっ??
そう、答えは東京都庭園美術館です。JR目黒駅東口から徒歩約7分(または地下鉄南北線白金台駅下車約5分)の場所にありますが、詳しくは、この美術館のホームページでご覧いただきましょう(→こちらへどうぞ)。そして、この美術館はアール・デコ様式の建築として名高い旧朝香宮邸なのです。さいきん、1933年の竣工時の工法を用いて、外壁改修工事が終わって間もないとのこと、撮ってきた写真をご覧いただこうと思い立ちました。もちろん、今回行った展覧会の会場です。

見終わってから、面白さのあまり思わずカタログを購入してしまった、そんな展覧会でした。会期は、この2月10日(土)〜4月1日(日)で入館料は一般・大学生が700円です。[休館日は第2・第4水曜日です。書き忘れていましたm(__)m・・・2月17日補記]今回は松本瑠樹氏の膨大なポスター・コレクション(2万点にも及ぶといいますから驚きです)から、ロシア・アヴァンギャルドのポスターを104点選び、構成されています。具体的には第T部=映画ポスター第U部=プロパガンダ・ポスターという二部構成です。とりわけ目玉は、第T部に数多く出品されているステンベルク兄弟の、今見ても斬新なポスターの数々と言ってよいでしょう。

「ステンベルク兄弟?」と思った私は、平凡社の百科事典(CD-ROM版)で下調べをしましたが項目が見当たらず、けっきょく何年か前に読んだ亀山郁夫著『ロシア・アヴァンギャルド』(岩波新書 1996)の中にその名を見出しました。でも、全然覚えていなくて・・・。会場に展示された解説その他をもとにまとめると、兄ウラジーミルは1899年生まれで1982年に没。弟ゲオルギーは1900年に生まれ1933年に事故死しています。二人のポスター制作活動は、弟ゲオルギーの死によって幕を閉じたと言います。この兄弟は舞台装置や街頭装飾の分野でも前衛的な創作を行って、1925年、パリのアール・デコ展覧会では舞台装置により金賞を獲得したそうです。会場がアール・デコ様式の建築物というのも奇遇だな、と感じました・・・。

第T部の映画ポスターは、ステンベルク兄弟の作品が相当数にのぼりますが、加えて他の作家たちの手になる「構成主義の映画ポスター」というコーナーが置かれていました。後者にはロトチェンコ、ベルスキー、ドルガッチ、プルサコフ等々の名を挙げておきましょう(といっても便宜的なものとお考えください。重要と思われる作家を、選んで列挙するような知識はありませんので)。これらのポスターは、どういう映画なんだろうかと、わくわく興味を持たせるようなポスターが多かったです。こうして第T部は見応え充分でした\(^o^)/

さて、注目すべきステンベルク兄弟に戻りますが、次のHPをご覧ください(→ Stenberg's Gallery )。次の作品が見られますよ。
    1)愛のまなざし/1923年
    2)裏切者/1928年
    3)危ない奴ら/1927年
    4)A commonplace story/→今回の展示にはなし(!)
    5)十月/1928年
    6)三百万の行方/1926年
    7)将軍/1929年
    8)ムーラン・ルージュ/1929年
    9)死の宙返り/1929年
   10)カメラを持った男/1929年
   11)ジミー・ヒギンズ/1929年
上に挙げたほかにも、一点一点のポスターがデザインと構成の斬新さ、色のコントラストなど、どれをとっても見入ってしまうようなポスターでした。

さて、第U部のプロパガンダ・ポスターです。1914年〜1941年までに制作された作品が展示されていました。1914年に制作された作品は、カジミール・マレーヴィチによるもの。1915年にシュプレマティスム(非対象絵画)を発表したマレーヴィチの、その前年のポスターは、「反ドイツのポスター」「反オーストリアのポスター」という2点。プリミティヴで後者などは牧歌的にすら見えてきます。「へえー」と思った作品でした。次に印象に残るのは、マヤコフスキーの詩集『声のために』(1923年)に付けたリシツキーのデザインの数々。実験的な詩集と実験的なデザインの共同作業が興味深いです。これで、もしロシア語がわかればなお良しということになるのでしょうが、それは無理(涙・・・)。本展では、1930年頃からの社会主義リアリズムを標榜するものは概して硬い印象のポスターで、インパクトの強さという点では疑問が残ります。フォトモンタージュを駆使したものも、どちらかというと発想が単純というか、デザインや構成に新機軸が打ち出せていないものが多いように見受けました。こちらも1920年代後半のものが少し混じりますが、大半は1930年代に入って制作されたものです。

こうして見てくると、レーニンの死を一つの境に、以後、スターリンが政権を固めるにしたがって創作の枯渇化が進んだという類の説明が説得力をもってきそうな気もしますが、ロシア・アヴァンギャルドについては様々な角度から検討が加えられているようです。あまり即断しないようにしたいと思います。
【2001年2月14日】


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