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ステキなわが町利府
私の一般質問要旨
――近い将来避けて通れない問題が二つある。一つは市町村合併であり、二つは男女共同参画社会づくりだ。町当局の考えを尋ねる。
一、市町村合併と利府町の対応と町長の慎重論の根拠について伺う
●本日採り上げる二つの問題は、今後避けて通れない重要な問題であります。対応の遅れや一歩誤ると大変な事態を招く恐れがありますので、誠意あるご回答をお願い致します。
●町長は合併に慎重論であると聞いています。慎重論といえば聞こえは良いが、時と場合によります。殊、合併問題に関して言うならば慎重論は通用しません。誰のための町づくりかを考えたとき、町民と共に行動して居なければならないはずです。既に遅きに失した感があります。
●私自身、基本的には合併に反対の立場であります。しかし、
「利府町の将来を思うとき」「誰のための町づくりかを考えたとき」「子や孫達にとって幸せな選択は何かを考えたとき」「未来永劫に発展する町づくりの為にはどうすれば良いかを考えたとき」私論を前面に打ち出すことは避けるべきだと考えます。大切なことは私論、わたくし論に捉われることなく、五十年、百年先を見据えた大局的な視点に立って判断することだと考えます。
●利府町においても過去に大混乱を招いています。昭和二十八年に町村合併促進法が制定され、今日の「利府町」になるまでに十四年間の年月を経ています。昭和三十二年、知事より塩釜市と合併するよう勧告を受け、議会において全員協議会を開き了承しました。ところが、合併反対期成同盟から反対の申し入れを受けた議会は、その申入れを拒否したため、翌昭和三十三年には、村長のリコール署名運動に発展し、村長は辞職するという結果を招いています。
その後九年にわたり、紆余曲折するわけです。そして昭和四十二年、仙塩地区市町村合併協議会が多賀城町の合併脱退の通告を受け、合併は不調となり解散となりました。
その結果、利府村を「町」にすることを決め県に申請。同年十月二日認可されたという経緯があります。
●この平成の合併においても、去る六月六日の朝日新聞記事によると、茨城県五霞町と埼玉県幸手市が今年四月に法廷合併協議会を設置し、五霞町が幸手市に編入することで決まっていたのですが、久喜市との合併優先を掲げる市民グループが幸手市長の解職リコールをしたとあります。これとて住民の意見を無視し、合併協議会が勝手に先決した結果であります。
●八月三十日の河北新報・声の交差点をご覧になった方も多いと思いますが、若柳町の植田さんという方の「住民主体の合併論議を望む」は核心に触れていますので読んで見ます。
●若柳町は栗原地域合併協議会に入り、合併に向け積極的に取り組んでいる。先日も「新しいまちづくり住民ワークショップメンバー募集のお知らせ」が配布された。それによると、合併はもう既定の事実として、町民に「新市建設計画の作成」への参加を呼び掛ける内容になっていた。
私たち町民がいつ合併を認めたのか。合併に関するアンケートはあったが、それは合併の賛否を問う住民投票ではない。合併について賛成と反対の声を取り上げて、町民が意見を述べ合う場は一度も設けられていない。
●「最初に合併ありき」ですべてを進めていくことが町民の幸せにつながるのか。栗原地域合併将来構想には「市民一人ひとりが、新しく出会ったみなさんとのコミュニケーションを大事にしていきます」とある。しかし、住民が意見を言い合うことができない町なのに、合併するだけでどうして理想的な市ができるのだろうか。
●町当局には住民の声をよく聞くようおねがいする。将来の「新しいまちづくり」は、合併問題を含め、住民が意見を出し合い住民が決めるという民主主義の基本を守ってほしい。
とありました。まさにその通だと思います。
●わが町の基本理念は、「私達一人ひとりが主役となって、健康と生き甲斐を育む自然・文化・産業が調和した魅力と躍動感のあるまちづくり」です。その理念から外れることのない様民主主義の基本を守っていただきたい。
●常々町長は「開かれた町民総参加の町づくり」を唱えておられます。しかし、いまだ何ひとつ町長の考えが打ち出されていません。平成17年3月まであと僅か一年六か月しかないというのに、町民に説明が無いと言うのはおかしいと思います。安閑としていて良いのでしょうか。こういう時にこそ「開かれた町民総参加の町づくり」の花を開かせるチャンスではありませんか。町長の慎重論の根拠をお尋ねします。
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