しんで安政のプロフィール
1942年
1961年
1969年
1972年
1974年
1978年
1981年
1987年
1990年
家 族
現 在
【役 職】
私の歩んだ道
新天地を求め仙台へ 昭和47年早春のことです。東京で印刷デザイン会社に勤務しておりましたが、東京の雑踏がいやで新天地を求めた先が宮城県仙台市でした。 創業と大地震 印刷団地のM社に2年間お世話になったあと、昭和49年4月印刷デザイン会社を興しました。お蔭様で仕事は順調に推移し、機械を4台から6台に増やして1週間目、昭和53年6月あの宮城県沖大地震に遭遇し、機械は全壊したのです。残ったのは借金だけ。 悲しんでいる暇はありませんでした。借金に借金を重ね出版への道を模索したのです。 当時誰も手がけていないマンガ同人誌に着手。 マンガ同人誌と横領事件 昭和60年代は若者のマンガ同人誌が一大ブームとなり、運良くその波に乗ることができたのです。仕事が順調になる一方で、昭和59年、経理事務員の横領事件が発覚し、わずか4カ月で、1,200万円の不明金が出ましたが、結果として示談したものの回収は惨たんたるものでした。 人生の転機 人間はどんなことで人生が変わるかわかりません。私はこの事件によって人生が変わったといっても過言ではありません。 泥棒にも3分の理 「あなたね、人のものを盗った泥棒が悪い、悪いと言うけどね、泥棒にも3分の理があるんだよ」と言われた仙台中央警察署の刑事さんに「え? なんですって?」一瞬私は耳を疑いました。 「刑事さん、泥棒の味方をするのすか?」と言ったほどでした。 それから暫くして「自分にスキがあったから事件が起きた。最大の問題は自分にある」その意味が解って来たのです。 事の本質を学ぶ 今まで歩んできた人生は何だったのか、ぞんざいに生きてきた自分に悔しさが込み上げて来たのでした。 宮城県中小企業家同友会の経営指針づくりに参加し、 「何のために会社を経営しているのか」 「誰のための会社か」 「社長とは何か、社員とは」 「真のリーダーとは」 「お客様とは」 「地域に密着するとはどんなことか」 など、経営の根本から学び始めたのです。 「社長は誰でもなれるが経営者にはなれない」 これほど痛烈に刺さる言葉は他にあるでしょうか。 今までの自分を恥じ、一から出直して今日に至っています。 「社長がかわれば会社がかわる。会社がかわれば社員がかわる」この言葉も同じです。真のリーダーとはどうあるべきか。事の本質を学んだ次第です。