読売巨人軍発祥の地/津田沼陶芸教室 周辺散歩その3
読売巨人軍発祥の地 (千葉県 習志野市 )
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読売巨人軍 発祥の地
【読売巨人軍 発祥の地
】
津田沼陶芸教室 周辺散歩・その3
(津田沼陶芸教室から 徒歩9分/
谷津バラ園の入り口脇
)
京成本線・谷津駅から 谷津遊路商店街を抜けると、谷津公園。
その公園の中に谷津バラ園があります。
(駅からおよそ500メートルほどのところ)
うっかり見過ごしてしまいそうですが、
谷津バラ園の入り口の右手に、なにやら石作りのベンチのようなものが・・・。
近づいてみると、なにやら厳かな雰囲気が漂っています。
金色の文字で、「読売巨人軍・・・・・・」
「読売巨人軍 発祥の地」とあります。
「え、ジャイアンツの発祥の地は後楽園球場じゃないの?」
「じゃなきゃ、多摩川の練習場とかなら、まだわかるんだけど・・・」
そんな声があがるはずです。僕もはじめて目にしたときには同じ感想でした。
どうして千葉県の習志野市なんかにジャイアンツの誕生した場所があるのでしょう。
以下、習志野市のホームページから仕入れた知識を書いておきます。
1934年(昭和9年)春、正力松太郎氏(読売新聞・社長)は全アメリカ選抜チームを招くことを発表した。
健全娯楽の育成と、日本野球を発展させることが目的だった。
ベーブ・ルース、ルー・ゲーリックらメジャーリーグの一流選手たちが来日するという
報道が伝わると、日本中が沸き立って歓迎した。
対戦する全日本チームは六大学の名選手を中心に編成された。
母校の名誉をかけて参加した日本人選手が集まったのが、千葉県習志野は谷津の地。
ここをホームグラウンドとして練習に励み、技を磨いた。
この時の全日本チームを母体として、東京読売巨人軍(後に読売巨人軍と改名)が誕生した。
※この碑は昭和41年に設置されたものを復元したものだそうです。
ダッグアウトのベンチを模した形でしょうか。
座る部分にはジャイアンツの選手、監督、オーナーのサインや、
手形が押されたプレート(磁器製)がはめこまれています。
ためしにはがれないか、片手でそっと(グッと!)触ってみた・・・
が、びくともしなかった。
良い子は取ってはいけません!
長嶋さん(サインのみ、手形はナシ)、藤田元司、別所さん、山倉、原、中畑、山内さん・・・
川上、正力 亨
、千葉、青田、国松、王さん、土井、末次・・・・
中上、篠塚、江川、西本、松本、鹿取・・・・・・・人選の基準はいまいち分からないけど。
快く応じてくれた、ジャイアンツを愛する選手たちなのでしょう。
剛速球を投げ、ホームランをかっ飛ばして一世を風靡した選手たちの手のあとが
ここに残されています。
選手とは「選ばれた手」と書くのだなぁ、と気づいた帰り道。
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A は津田沼陶芸教室のある場所です。
(
「読売巨人軍発祥の地」は、陶芸教室から徒歩で9分)
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