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日付 内容 2003/9/26(金) というわけで、ジムカーナシーズンが早くも終わってしまいました。上期末ということもあって、やり遂げたい仕事に集中するあまり、ほとんど家に居ない生活スタイルに変わりつつあり、今は全く走ろうという気が起きません(笑)。困ったことに、土日を含めて2時間という時間を作ることがほとんどできない毎日に陥っています(疲)。
#毎晩飲んでるからだとか言わないように(笑)
今シーズンは自分のイベント参戦の他に神奈川を盛り上げるお手伝いに明け暮れていた上、帰国後慢性的な平均13時間労働が続いているため、年間を通してそんな感じだったんですけどね。頂いたメールを全てきちんと読む時間すらないほどでした。
そんな昨日、帰宅してメールを開くと、「○○会の件」という懐かしい、以前とてもお世話になった方からの直メールが。「とーぜん、○○会には出席なんだよね?楽しみにしてるよ」との内容に、????。急いで今年のそれ関連のMLメールを探すこと小一時間。ありました。「○○会の相談」から始まり、「○○会のアンケート」、「○○会のお知らせ」的タイトルのメールがわんさかと・・・。しばし呆然としてしまいました。
何しろ、私の人生上でお世話になった人ベスト5に入る方との会である上、何年かに1度しか会えない方なので、これだけは何があっても外せないのです。と思っていたはずが、その案内を見逃していたなんて・・・。普段、帰宅して何十通ものメール全てに目を通す時間なんて全くありませんので、直メールのタイトルを見るので精一杯。時間を作ってまとめて直メールは読んで返信するようにしているのですが、ML関係は後で見ようとタイトルすら見ずにソートしていたんです。ソートしたらもっと見ないですよね(反省)。自己嫌悪に陥りました。
幸いにして○○会予定日は、他のお誘いはあったものの予定は確定していない日でしたので、万難を排して参加することを即刻決めましたが、ほんと、焦りました。
ジムカーナに深くかかわってきたことは楽しかったし、良かったと思ってるし、今後も継続することは間違いありませんが、それによって、大事なことをおろそかにしているんではないかと、しばらく考え込んでしまいました。
シーズンオフです。そう、貴重なオフですから、やらなくちゃいけないことがたくさんあります。なぜか、今、すごく焦ってます。
時間は自分で作るものですよね・・・。
2003/9/28(日) そうは言っても、来年のジムカーナ活動へ向けた準備を一つ進めています。もう動き始めちゃってるので後戻りは出来ませんが、ま、長いこと悩んだ末の決断ですので、なんとかきちんと進めたいところです。
10年後、いや5年後、いや3年後のジムカーナ環境すらどうなってるか読めない気がしますが、時代に合ったやり方というものが必ずあるはず。現状の型にとらわれず、フットワークを軽くして、そんなところを模索していければと思っています。
2003/10/8(水) シーズンオフに入ったこともあり、しばし現実逃避の旅に出てきました。
最近の若い人は週末を利用して気軽に訪れる街らしいのですが、自分にとってはあまり良い印象は無かったんです。6〜7年前かな、仕事で一人で訪れた時、降り立った空港には機関銃を持った迷彩服の軍人さんが行き来し、アルファベットすら見当たらない、一切文字を読めないドメスティックな雰囲気に怖さを感じたものでした。
今回たまたま航空券が手に入ったこともあって、再度この街を訪れることにしたんですが、何かと忙しい日々が続いていたため、宿を取ったのも1週間前、空港からの足も行けばなんとかなるだろ的に下調べもせずにいざ現地へ。
ところがですね、空港に着いたら昔と雰囲気が全く違うことに唖然。サンフランシスコ空港並の美しさに、「空港建て直したんだぁ」と感動。まずは市内までの足を捜しますが、やっぱりなーんも読めません(焦)。空港の敷地内こそ英語表記があるものの、一歩外のバス停には現地の言葉のみ(涙)。近くのスタッフに聞いても英語が全く通じない・・・。見た目は変わってもやっぱり同じなのね。もう一度空港内へ戻ってインフォメーションで聞いてみますが、どうも自分らが求めているバスでは無いみたいなんだけど、とにかくそれで行けそうなので、言われるがままにこれまたドメスティックなバスで市内へ向かうことになりました。
なんとか市内へ向かえそうだってことで、バスを待ったんですが、どーもおかしい。何がって、昔来た時と空港の名前が違うような・・・。手元には6〜7年前の古いガイドブックがあるのですが、こんな読み方だったっけなぁ、って感じ。それからあーじゃない、こーじゃないと調べたところ、どうやら全く違う場所に新しい空港が2年くらい前に出来たことが判明。ってことは、僕らが降り立った空港は、僕の手元にあるガイドブックにある空港、すなわち僕が昔降り立った空港とは違うってこと。昔の空港は、現在ドメスティックな空港として機能しているらしい・・・。これさ、市内へ向かう前に気づいたから良かったけど、このまま市内に向かってたら、帰りは昔のガイドブックを頼りに、古い空港へ向かっていた可能性大だよ(怖)。いやぁ、ちゃんと調べないと怖いねぇ。次回からはせめて最新のガイドブックくらい持ってくることにします。何せ、文字は読めない、言葉は通じないんだから。
2003/10/9(木) その小旅行、とにかく食いものはうまかった。僕はグルメという言葉とは程遠い、あまり食にはこだわらない、どんなものでもおいしくいただける口なんだけど、今回の旅の目的は食いだおれることだったんです。
何しろ全く字が読めないので、古いガイドブックを頼りに店を探したりする訳です。一文字目は、左が丸と十で右が大、とかそんなレベルで店を探します(おいおい)。「こんにちは、ありがとう、ごちそうさま、これください、おいしい、一つ、二つ、三つ、四つ、ビールの銘柄」など、事前に覚えた生きるのに必要そうな現地の言葉を頼りに、英語か日本語のメニューがあるらしい店を選んで入っては、3日間を過ごしてきました。
しかし、個人的に一番美味しかった店ってのが曲者で、事前情報とは違い、店に入ると現地の言葉のみ。鶏肉ベースの鍋みたいなのがウリの店だったんだけど、スタッフが言ってることが全く理解できません。メニューもないし(涙)。しょうがないので、一方的に知ってる言葉を並べたところ、無事その鍋とビールをいただくことができました。でも、ほんとこれはうまかった。泣けるくらい。夕方中途半端な時間に入ったんだけど、現地の人でごった返していました。唯一の後悔は「ごはん」の言い方を知らなかったこと。つーか、そんなものがあるのかどうかも分からんのだけど・・・。
と、まぁ、ひたすら食って来ただけの3日間でしたが、今回の二泊三日旅行の一人分総費用はSタイヤ1本半以下・・・。考えちゃうのは僕だけ?(笑)
2003/10/20(月) オフのついでのいろいろなことにチャレンジしています。
こんなのいつ出来たんだよ。って本気で思ってたのですが、ようやく行ってきました。どうやら、2001年の9月4日にオープンしたそうな(違う?)。その頃を振り返ってみると、丁度夏休みを取って、NewYork〜KeyWestに行ってた時期らしい。さらに翌週にはあのテロ事件が起こったこともあって、それどころじゃなかったですからねぇ。
今回、偶然入場券をゲットできたので(そんなんばっかだな)、いざ会場へ訪れることになりました。園内はいろんな国のイメージなんでしょうかね、ふーんって感じ。例によって非常に微妙な天候で、夕方からは時折雨が降り始め、花火が中止になったのは残念。偶然、神奈川を引っ張る某チームのGC8ドラに会ってしまったのはご愛嬌ということで。
その中に、運転テクニックの幅を広げるため(?)のアトラクションがあったので、運転してきました???。アップダウンにタイトコーナーが連発して、ちょっくら危ない運転だったけど、ご覧の通りみんな楽しんでくれたようです(爆)。つーか、これって、Universal Studiosにありませんでした?
でもさ、どうなの?俺的には、1回行ったからもういいやっていう印象だったんですけど・・・。結構人気あるんでしょうか?ここ?
2003/10/30(木) そろそろ、年末のことを考える季節になりましたね。
丁度上の写真をスキャニングしていて思い出したので、2年前の年末の写真を引っ張り出してみました。大晦日に宿泊先近くの遊園地に仲間と行ったときの1枚です。
年越しは毎年とある仲間と過ごすことが暗黙の了解で決まっているのです。別に事前の連絡が無くても、お互いなんとなく年末の予定は入れずに空けておくようにしているから不思議と言えば不思議。
高校時代の年越しくらいからだから、もうかれこれ、17〜8年になるのかな?これまでの人生における年越しの半分はこいつと年を越していたことになるのか(驚)。
このサイトでも少し触れているけど、実は僕は2000年から2001年にかけてU.S.で暮らしていたんです。いわゆる客員研究員としての留学ってやつで、その間は日本に帰国してはいけない条件になっていたんですよ。となれば、残念だけど、この時ばかりはしょうがないよなって思ってたところ、「行くから宿取っといて」との連絡が。そしたらほんとに来ました、野郎二人で(爆)。急だったもので、車で行けるカジノの街に宿を取って、結局カジノで年越し。
これで確定したことは、こいつがどこの国に転勤になっても今度は俺が行かなくちゃならんてことでしょうね。
そんなわけで、今年も年越しが近づいてきました。久しぶりにいろいろ考えられる時間があるので、今大忙しで調査中です。Millionaireを夢見るパターンも検討中ですが、チケットが入手できなければ例によって近場で紅白歌合戦鑑賞となります(笑)。
っていうか、かんとくは未だかつて私と二人で年を越したことがありません(爆)。2003/10/31(金) この上の写真ですが、久しぶりだったんです、遊園地のジェットコースター乗ったの。
なんて言うか、自分で自動車競技なんかやってるせいか、安全が保障されたジェットコースターなんて面白いわけ無いじゃんって、なんとなく小ばかにしたようなところがあったのです。
しかし、その言葉を完全撤回せざるを得ない衝撃を受けました。マジで凄かった、このジェットコースター。片手にカメラを持って、サングラスしちゃダメだって言われてたのに、そのまま乗ったんですが、一大決心で買ったサングラスが飛びそうで抑えるのに必死で、シャッターを押すどころの騒ぎじゃありませんでした。微妙にビビッてる感じで恥ずかしいんですが(笑)、こいつはおもろかったよぉ。あまりにも予想以上の怖さに、長いよぉ〜、ってマジで思っちゃったくらいだから。
落差70mの傾斜65度ってのは、ほとんど垂直落下みたいなものですね。むしろ垂直落下よりGが前に残ってる分だけ恐ろしい。上の写真の撮影ポイントだったと思うんだけど、体が完全に投げ出され、上へ上へと飛び出そうに感じる。必死で踏ん張ってたんでしょうね、降りたら足がガクガクでしたから(笑)。
1回1000円くらいだったけど、これは安いと思えましたねぇ。最近のジェットコースターってみんなこうなんでしょうか?
怖ぇぇよ(笑)。
2003/11/1(土) 先日、何年ぶりかで東京モーターショーに行ってきました。主たる目的はジムカーナ界の友人、2002年度神奈川宴会シリーズチャンピオンの結婚式に参列するためだったのですが、その会場が幕張ってことで、一緒に御呼ばれされていた神奈川お騒がせ3人衆とともに、式の前にショーを見学することになったのです。
このところ、極度に偏った自動車ライフを送っているためか、モーターショーにはあまり興味を感じなかったもので、わざわざ混雑の中、足を運ぼうと思わなかったのですが、濃いメンツと一緒ということで、喜び勇んで行って参りました。
日曜日ということもあって、会場は大賑わいでしたが、反対側のブースに行くのが困難な程ではなく、ま、ギリギリ許容できるレベルの混み具合でした。昼飯も適度な値段で待つことも無く食べられましたしね。
最近は、モータースポーツベースの車以外には、ほとんど興味を示さなくなっているのですが、そんな中でも、ポルシェは欲しいなぁ、と本気で思える心をくすぐる車を展示してありました。家が買えるほどの値段でしたけどね。個人的には、燃料電池の車をもう少し見たかったのですが、ホンダのブースは近寄れないほどの混雑だったし、その他は目に付きませんでした。見落としていたんですかねぇ・・・。
しかし、これだけの自動車ユーザーがいるわけですが、モータースポーツ人口ってのはそのうちのほんのごく僅かなんでしょうね。特殊すぎるよなぁ。
そんなモーターショーを通して、4人の一致した意見は、「やっぱこういうのは男同士で来るに限るねっ」ってことでした(謎)。
速報はこちら
2003/11/6(木) 昔、小学校低学年の頃かな、一度見に行った経験があるんです。今回たまたま安く宿が確保できたので行ってきました。箱根。
世間は3連休ですし、丁度芦ノ湖付近は紅葉がきれいな時期。それに加えて箱根一大イベントですから、渋滞は必至でしょう。ということで、電車で行ったんですが、神奈川県央地区からだと、1時間もかからず箱根湯本に到着しますから、とても便利です。
という訳で、箱根一大イベント、大名行列見学小旅行の様子はこちら。
2003/11/10(月) 冒頭でも触れましたが、大事な大事な○○会とやらに参加してまいりました。
その昔、角倉了以という方が鴨川から水を取り入れ、自分の邸宅内に高瀬川という川をひき、京都と大阪とを結ぶ物資の輸送路を作ったそうな。その後京都のど真ん中にあるこの街は港として栄え、これによって京都が繁栄したそうです。ま、自分の家の庭に川をひいちゃうあたりが半端じゃない気がしますが、この邸宅が残っていて、いわゆる高瀬川の源泉が今も尚この庭を流れています。 といった某大学教授の会場紹介で始まった○○会。この邸宅にて開催されたのでした。
実を言うと、自分にとっては正に見分不相応とも言うべき会でして、偶然が偶然を呼んでこういう方々と交流できるようになったわけですが、自分はこんな生き方をしていていいのだろうか?とまじめに振り返ってしまうほど、刺激的かつ影響力のある方々との集まりに、身が引き締まる思いで1日を終えました。
参加されている皆さんというのは、言わば業界のスペシャリストとでも言えましょうか。私なんぞとは普段接点など無い、その身分を聞いたらこっちが引いてしまうような方々なのですが、その肩書きに反して気さくな方が多くて、何かほっとさせられるのも確かです。こういう方々と若いうちに出会っていたら、随分違った生き方をしていたかもしれないなぁ、と痛感しました。ほんと、後悔するほど。
景気も決して良いとは言えませんし、政治不信も募ってか先日の総選挙も投票率は低く、明るい話題が少ない世の中ではありますが、自分にできることを良く考えて、高い位置に目標を定め、一日一日を大切にしていかなくちゃならんなぁ、と考えさせられた1日となったのでした。
かといって、突然驚くようなことができるわけではありませんが、2000票も取れれば市議会議員になれるのかぁ、と、取らぬ狸の皮算用をしたことは内緒です(笑)。