全国アホ・バカ分布考

松本修 (太田出版、1993)

 

関東人は「バカ」といい、関西人は「アホ」ということは、誰でも知っていますね。では、「バカ」地域と「アホ」地域の境界はどこにあるのか? こんな素朴な疑問から出発した、あるテレビ番組の特集がもとで、壮大な方言理論の証明の試みが始まりました。著者は番組のプロデューサーで、言語学の素人ですが、ねばり強い調査とマスメディアの取材力により、専門家も舌を巻く成果をあげました(実際に学会で著者により発表されたそうです)。巻頭口絵の方言地図が、本書のすべてを物語っています。

日本語の言葉の新しい表現は常に京都(上方)で生まれ、その流行は周辺地域に一定の速度(1年に約1km)で伝わり、何百年もかけて日本列島の北と南の端まで到達する。その間に同じ言葉の新しい表現がまた京都で生まれ、前の表現を追いかける。つまり、すべての方言(同じ言葉の異なる表現)は、かつては上方言葉で、ある時代に同じ方言は、京都を中心として同心円上(京都から等距離)に分布する。

これは、かつて柳田國男が『蝸牛考』で唱えた「方言周圏論」ですが、学界では実証性に乏しいとされてきました。「バカ」と「アホ」という、日本人なら誰でも知っている言葉とその方言分布を調べることによって、ここにその見事な実例が示されたのです。ということは、あと4〜5百年すると、「アホ」は東京の方言に、「バカ」は青森辺りの方言になっているかもしれません。

本書では、「バカ」と「アホ」の方言のうちいくつかについて、語源考察までしています。皆さんも、ご自分が若い頃に使っていた、あるいはご両親が使うのを聞いて育った、あの懐かしい言葉に、意外な語源があることがわかるかも知れません。

著述は、件の番組の紹介から始まって、取材と調査、考察の跡をドキュメンタリー・タッチで克明にたどります。スリルと意外性に満ち、エンターテインメントとしても一級。

ところで、『日本語ウォッチング』(井上史雄、岩波新書、1998)は、いわゆる「日本語の乱れ」「言葉の変化」を取り上げて、さまざまな語の古代から現代に至る変化の原因を探っていますが、「新しい言葉は常に東京から地方へ広まるというわけではない」といった表現がたびたびでてきます。かといって上方から地方へ広まった例はほとんど一つも挙げられていません。つまり周圏論はほとんど無視されているので、いったいどうなっているのかと思っていたら、同じ著者の『日本語は年速一キロで動く』(講談社現代新書、2003)では周圏論がたびたび言及され、『全国アホ・バカ分布考』が好意的に紹介されていました。

 

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