日本語は進化する

―情意表現から論理表現へ―

加賀野井秀一 (NHKブックス、2002)

 

古来の大和言葉に、大陸から伝わった漢語と漢字を取り込んで作られた日本語は、幕末から明治初期の時代に、どのような姿をしていたのか、ということから本書は始まります。私たちはだれでも、その頃に書かれた文章を多少は読んだことがあるので、だいたいの想像はつきますが、それにしても第1章で紹介される、同一人物による7つの文体を見ると、当時の日本語が「分裂」どころか「四分五裂」していたと著者が力説するのがよくわかります。

今日の私たちは、日記や手紙を書くときも、論文やレポートを書くときも、常体と敬体の違いや、同じことを表すのに語彙を選ぶことなどを別にすれば、文体を変えているなどという意識はほとんどありません。ところが、明治初期の人たちは、そうではなかったのです。何かまとまったことを書こうとするとき、まず文体を選ばなければならなかった。どの文体を選ぶかは、その人の職業や社会的地位や年齢や、その他さまざまな社会的状況による制約を受け、そして誰に向かって何を伝えるのかといったことに依存していたのです。そして、ある文体を選ぶと、必然的に思考の道筋はその文体によって縛られ、自由な発想ができなくなる。

これは書き言葉ですが、話し言葉はどうだったのでしょうか。私たちは友人知人と話す時、職場で上司と話す時、デパートの店員に話しかける時など、語彙や丁寧さの度合いを多少は変えるものの、日本人なら誰でも大体同じような言葉と口調と「文体」で話します。ところが明治初期の人々は、同じ土地に住んでいても、そのしゃべり方はその人の職業や身分、年齢などによってかなり違っていました。互いにほとんど通じないといってもいいくらいです(家族以外にはおそらく職業や社会的地位などが自分とは著しく異なる人と話す機会が少なかったのでしょう)。それに加えて、未だ「標準語(共通語)」が確立されていなかったのです。

このような状況では、多くの人々に向けて自分の考えや思いを述べ、語るなどということはとてもできません。当時ラジオやテレビがあったとしても、未だ話されるべき「たった一つの日本語」がなかったのです。では新聞はどうだったのか。これはもうほとんど、私たちが高校で習った「漢文訓読体」です。いったい誰が読んでいたのかと疑いたくなります。

ほんの120〜130年前のことです。ヨーロッパ先進国の言語がすでに16〜17世紀には、語彙や文法上の細かい点を除けば、ほぼ今日の姿になっていたことを思うと、大変な違いです。

しかし、早くも明治30年代には、漱石の『猫』(明治38年、1905年)にみるとおり、今日の日本語にかなり近いものが確立されます。ここに至るまでの劇的な変化とその変化をもたらした要因については、本書の第2章と第3章に、そしてその後における日本語の洗練と論理的・分析的表現法獲得の歩み、つまり西洋諸言語へのさらなる接近については、第4章と第5章に書かれています。著者は必要に応じて、古代・中世にまで遡って、日本語の表現の特徴とその変遷を跡付けています。

表題にある、日本語の「進化」とは、日本語を話すすべての人々に、ある一まとまりの内容を正確に効率よく、情緒的要素を交えずに、伝える方法の確立、すなわち「論理性」の獲得への歩みのことだったのです。なぜそれが「進化」なのかというと、不特定の相手に対する意味内容の正確な伝達こそが、近代社会における言語の最も重要な働きだからです。

最後の章では、男女言葉や敬語の考察を踏まえて、西洋諸言語とは違った日本語固有の論理性を確立する可能性を探っています。

 

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