Winged-White 雑感 2003/12 Notes
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【天変人和】 2003/12/29

 バム城砦が26日の地震で全壊した。
 インドで会ったバックパッカー中、2番目に人気の高かった遺跡だ。  特にイラン方面から来た旅行者は、口を揃えて絶賛していた。

 写真を見ると、本当にボロボロだ。
 日干しレンガの「泥の城」、雨の少ない地域だったので、たまたま奇跡的に現存していたと聞く。  それが、地震で失われてしまうとは。 無念だ。

 しかし、遺跡の損壊など二の次――こんな悠長な感傷は後回しだ。

 今は現地の方々の命が数多く奪われ、また生存者も凄まじい危機に遭遇している。
 かつての阪神淡路大震災も、寒中の夜明け前に発生した大災難だった。  ましてや人口8万人のバムで死者が2万人(28日現在)となると、その被害や生存者の悲しみの甚大さも推して知るべしだ。

 前にも似たようなことを書いたが、隣国の戦争やテロなど児戯に思えるほどだ。  人間同士がいがみあっている場合ではない。
 早くも政府は支援を決定。 兵庫県も独自に支援物資の移送を開始した。
 「同盟国」より「地震国」としての支援は、僕も大いに支持する。  いや実際、イラク派遣部隊をそっくりこちらに回してもいいと思う。
 他のことはともかく、イランと国交断絶下でありながら、人道支援を即座に取り決めたブッシュ大統領にも、地震国としての敬意を表したい。

 僕も、レンガ除けとレンガ積みなら……つまり体だけなら、飛んでいきたいくらいだ。  頭(技術)とカネが無いのが、つらい。

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【「君が代」の原意】 2003/12/23

 今日は天皇陛下のお誕生日なので、少し「君が代」についてお話でもしましょうか。
 広辞苑などを見るとすぐに出てくるんだけど、古今和歌集に初句が「我が君は」で始まる歌があり、これが原歌ということになっている。
 古今集「賀の歌」の部に収められている。 「賀」・「賀の祝い」は長寿の祝いだ。 天皇陛下は70歳になられるとのことなので、ちょうど古希の「賀の祝い」を迎えられたことになる。

 しかし、原歌の「我が君」を古語辞典で調べると、単なる二人称の(親しみを込めた・目上の人への)「あなた」となる。  また、御前で歌われた歌なら、詠み人はハッキリしていてもいいはずだ。(何らかの事情か、撰者本人の歌か?)
 元々の歌は、身の回りの誰か(天皇陛下かもしれないけれど)に対して、長寿を祝い歌ったものと考えても差し支えないと思う。

 恋愛の対象に歌えば――ラブソングになる。
「我が君」も、英語で言えば「マイ・ダーリン」になってしまう。
 (……陛下には恐れ多くて、使えないような気がする……)

 例えば、長寿を迎えた夫の誕生日に妻が、
「ねぇあなた、いつまでもいつまでも、元気でいてね」
 と囁いているようなシチュエーション。
 なんとも慈しみあふれる光景じゃないだろうか。
 (実は、高齢化社会にも完全にフィットしているノダ。)

 例えば……ちょっと賀の歌とはズレるんだけど、一人の女性を愛してやまない男が、
「あなたへの想いは、いつまでも永遠です」
 と恋文に書く。
 苔のむすような地表で小石が大岩になることはありえないが、そんな小理屈をひっくり返すような、熱烈な想い――その想いが、清々とした川の流れを時間軸として、永遠に続くと言っているのだ。 すごい恋歌じゃないか。

 ちょっと寄り道した感もあるが、少なくともまごころ抜きに歌えるものではない。
 原歌の意味を含めると、君が代へのブーイングは、回りまわって人の情にブーイングしているという、なんとも奇妙な行動に思えてくる。
 反対に、元々純粋な愛情を表現していた歌が、軍国主義に利用されてしまった経緯を考えると、これは相当理不尽な話だ。

「君が代」と等しく、先の天皇陛下もそうだったかもしれないし、国民もまた、いいように巻き込まれていたようなものかもしれない。  アジア蔑視は、「天皇の下での人類平等」という往時の理想とは全く逆だし、『鬼畜英米』として進んだ戦争も「四海同胞」の精神とは相容れない。  軍国主義は、全てを歪曲し、悪意を塗りつける。 一方で、そうさせない責任は、昔も今も民意にあるとも言えるのだが。


 室町時代に初句が「君が代は」に変わり、現在の形の「君が代」となる。
 江戸時代初期に日蓮宗の僧侶隆達が著した「隆達節」の冒頭にあるそうだ。
 こう言ったら不敬に思う方もいるかもしれないけれど、要するに替え歌なのだ。
 替え歌といっても、元の意味をちゃんと玩味していないものは値打ちが無い。 「君が代」はそうではなかった。  替え歌の方が祝いの席などで歌い継がれてきたこと自体その証左だし、「オリジナルを超えた替え歌」と言えるかもしれない。

 オリジナルからたぐれば、この歌は天皇陛下への絶対服従・絶対崇拝を誓う意味合いのものではなく、まごころの敬愛と祝賀を、天皇陛下、またはこの世の中自体に捧げようといった意図があることを、自然と導き出すことができる。
 天皇制を廃してなおこの歌を排撃しきれなかったのは、原歌から脈々と流れる、この本質が底流にあったからではないだろうか。

 この点では、僕はこの歌を国歌と制定することにやや反対だった。  この歌の本質は、、愛国心を助長する材料として『歌わせる・歌わせられる』ような形式的な代物ではなく、もっと有意で自発的なものに思えたからだ。 「国歌」では無いけど、「国歌」として歌う歌がある――こういうあいまいさも、調和を重んじる日本独特の、絶妙なセンスだったと思う。


 現在の国歌としての「君が代」のあり方については言及しない。  上に述べた原意を含むと非常に優れた歌であるとも思うし、また一方では、直接戦前日本の害を被り、この歌を全体主義・軍国主義の象徴と捉えている方々の気持ちも、しっかりと汲まねばならないと思っているからだ。 安直な賛否はできない。

 しかし、一つだけ国歌へのフォローをしておこう。
「God Save The Queen」を歌っている国の歴史は、色々ヒドイ部分もあるが、議会制民主主義の発展の歴史も含んでいる。  オペラの終わりには必ず国歌が斉唱され、観衆はなごやかに天下太平を祝い、また願う。  平和でなければ、のんびりオペラなど見ていられない。
 「Bohemian Rhapsody」で「オペラ座の夜」は終わらないノダ(コラコラ)。


 我が君よ永遠なれ、平和よ永遠なれ。



オマケ:
 今までで多分一番感動した君が代は、つい最近のラグビーの国際試合で、アメリカ人のグリークラブ(??)が歌った君が代。  外国人が歌ってくれたことよりも、純粋に楽曲として素晴らしかったです。 ウットリしました。
 だって……君が代でハモるんだもん……。

オマケ2 (2004/2/4追記):
 この前の大相撲初場所の千秋楽で、朝青龍が「君が代」を歌ってた
 僕の彼に対する好感度は大いにアップ♪した。
 正直言って、全体主義的に『歌わせられる』のは好きではないが……
 どうも外国の人に歌われると、ヨワイな。

 「君が代」の論議はさておき、日本への最大の敬意だ。
 彼の出身国モンゴルとそこに住む人々にも、より敬意をもって接したく思った。
 もし叶うなら……モンゴルの国歌も、ぜひ演奏してさしあげましょうよ。
 礼には礼を、当然のことでしょう?

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【吹けば飛ぶよな】 2003/12/16

 ちょっと地元大阪の話に帰ろ。
 僕は元々、屋台とか好きやねんけどなぁ。  実際、そこで酒飲んだことも唄とたことも無いけど、「青空カラオケ」の撤去、ちょっと寂しい気もするなぁ。

 まあそんなこと言うても、テナント料とかマジメに払ろて、この不景気にもめげんと商売してはるお店の人からしたら、ズボラカマしとるワケやしな。  移動でけん屋台が屋台かっちゅうのも疑問やし、騒音でコアラが寝れへんちゅうのも、なんやかわいそうな話や。
 僕からは、何ともよーゆわんわ。

 せやけど、「カラオケ唄います!」て抗議しとった女性の選曲は、大したもんやと思う。
『吹けば飛ぶよなこの屋台、哂って壊すならさあ壊せ』
 かっこええやんか。  ――坂田三吉ゆかりの地で、この歌を「人情の挽歌」として唄とたんちゃうかな。 「歌唄い」としての誇りだけは、しっかり感じさせてもろたで。  まあウマイかどうかは何も言わんけど、そこがミソやったりするワケや。


 この辺りで行政が色々するのは、何かとややこしい。
 十年ほど前、天王寺公園は整備された。  結局何をしたかというと、ホームレスの締め出し。  近所に移らざるを得なくなった彼らは、商店街が閉まった夜遅く、しずしずとダンボール街を作るようになっていた。

 当時、ある団体のご好意で、彼らに毛布や弁当を配給したことがあった。
「兄ちゃん、おおきになぁ〜」
 彼らの美しい瞳が、どれほど僕の心臓を貫いたことか。 『いや僕はもう、ただついてきて配ってるだけで、これ用意したん僕ちゃうし……』  僕ごときにはまったく釣り合わない、純粋な感謝の銃弾に撃たれていた。

 と思っていたら、一緒に配給していた女の子は、僕以上に感謝されていた。
「姐ちゃんはベッピンさんで、優しーコやなァ。
 ワシな……姐ちゃんのためやったらな、
 何っぼでもダンボール集めたんでぇ!」
『そーれは、いらんやろー』と、フツーにツッコんでほしかったのかもしれない。
 おっちゃん渾身の「ボケ」だったのかもしれない。  でも……さすがに愛想笑いしかでけんかった。

 別に情にすがるわけでもないし、何もかも一緒くたに考えるわけでもないけれど、 こんな純朴な人々が社会から排斥されていること自体は、非常に納得がいかなかった。
 だって、この周辺は――コテコテの大阪人情のメッカなのだから。


 話をキタに移す。
 先日、梅田のど真ん中の生垣の中、死後2ヶ月も経過していた遺体が発見された。  雑踏と嬌声の行き交う、関西随一の繁栄の場で、だ。
 たくさんの人々が周囲で奏でる音を、独り死にゆく彼はどんな思いで聞いたのだろうか。  どんな人か一切知らない一人の死が、僕にはこの一年で一番寂しい死だったように思える。
 安らかにそれらの音を祝福しつつ、天に昇っていったのであってほしい。  生きている者の勝手な願いにすぎないのだが。

 先ほどの「唄います!」女性に倣い、The Policeの「Message In A Bottle」を、鎮魂歌に捧げたく思う。

 ――無人島でボトル・メッセージを流し続けていたオレは
 ある朝、千億ものボトルで砂浜が覆われた光景を見る
 まるでオレなど孤独ではないかのように溢れかえり
 千億の漂流者が、それぞれ孤独に
 帰り着く家を見つけようともがいている――

 僕も、彼と何も変わらない。
 一人の漂流者に過ぎない。


※ この歌、インドX連発その4.【戦慄のシャー=ジャハーン】 のラストシーンとも、リンクしてるよなぁ……。

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【Good Job !!】 2003/12/14

 よかったよかった。

「やっとかいな、もう冬やで」という感はあるけど……。
 とにかく、人命が奪われる確率が、減った。

 『全土が制圧された』(?)地域で、敗残者が捕縛されるのはまったく普通のことなのに。  いや、「よくやった」と称えるべきだろう。
 フセイン〔元〕大統領の拘束によって、少なくとも自力武装蜂起のモチベーションは下がる。  やはり犯罪抑止の第一は、逮捕率の上昇だ。

 発表にあった『35年間イラク人を苦しめたテロ独裁は終わった』には、
「そのうち何年アンタらがテコ入れしたんだよ?」と、
 皮肉の一つも言いたくなるが――
 何はともあれ、イラク国民の多くはもとより、派遣予定の自衛隊員のご家族も、少しは胸を安らげたことだろう。  日本政府にとってはほとんど奇跡的なタイミング、まるで筋書きがはじめからあったかのようだ。

 もちろん、より油断は禁物だろう。
 混乱を終息させたいなら、今後は連日の泥沼状態と対照的なイメージを作り、士気沮喪を狙うべきだ。  和やかなムードの醸成と、報復攻撃を失敗に終わらせることを、両立しなければならない。
 もう一人の恨みのモグラも、掘り出さなければならない。
 それと。

 自分たちも、やることが終わったら……相応の償い・繕いをした上で、さっさと引き上げるべきだろう。

 ※ 「元」か。 まあ実質的にも「元」かな。 間違いなく今日からは「元」だな。


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【耳ボケ:14】 2003/12/14

 エステのCMより:
 気になるところ……乳首の、隙間?
 またもや画面をカッと凝視。
 しかし乳首の「隙間」なので乳首自体ではない。
 胸の谷間とかでもない。
 乳首二点間の間――空中か?
 くっ、どうやって気にすればよいのだ。  →「足首の隙間」

 よっぽど好きなんだな、ちくび。


 目ボケ・報道トーク番組より:
 ……首相の説明
 詳しくもう一度
 SEX

 く、くわしく?
 なぜか、ここだけすぐにテロップからなくなった。
 →「9日(火)」

 よっぽどたまっとるな、色々と。

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【Sin-Century25〜『お手』に骨】 2003/12/12

 まるで「お手」をしたら、ごほうびの骨を投げ与えられた飼い犬のような気分だ。  日本が自衛隊派遣を決断した途端の、アメリカのイラク利権囲い込み発言か。

「間に合った、ホッ」……? 冗談じゃねえ。  ちょうど「すべり込みセーフ」の形になった日本が、マジでカネの亡者みたいじゃないか。

 血を流すことに決めた今こそ、『専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会』のために、反論すべきではないのか?
 憲法の前文が、泣いてゐる。
「一緒に、嫌われてくれ」……?  アメリカ版の毒まんじゅうだろ、これは。

 お金は大事だよ。 馬鹿にするつもりはないよ。 でも。
「大和魂・売ります貸します」
 そんな看板を、命がけで出て行く隊員に掲げさせたくはない。

 今まで派遣に反対だとは言い切れなかった。  イラク人のためを思えば、アメリカのおかげで綻びた国土を回復することは、給油などで参戦してしまった同盟国としての、せめてもの償いだと言えなくも無かった。
 しかし、利権を口にされた今、すべてがきれいごとに過ぎなくなってしまった。  派遣の大義さえも……奪われてしまった。

「血を流した者が見返りを得るのは当たり前」?
 勝手に戦争を始めて、利権を牛耳るのが、当たり前か?
 百年前の帝国主義と、どこがどう違うんだ?

 現地のイラク人も、もうとっくに知っていることだろう。  一時は新聞の発刊ラッシュだったほど、イラクのジャーナリズムも発進している。

 このまま派遣されると、潔白な隊員の方々には、非常につらい活動になると思う。  ここは国内でさえ『違憲軍隊』と言われ邪険にされつつも、災害時には最大限の活躍をして国土と人々を守ってきたその忍耐力・精神力を、存分に発揮するしかない。  イラクの人々に愛されるよう、現地で実際に心を通わせてゆくことが、一縷の希望なのだ。
 首相の希望とは、少し違った意味合いになるかもしれないけれど、どうかどうか、粘り強くがんばってください。

 でも、その前に……派遣される隊員のためにも、日本の名誉ある地位のためにも、普遍的な政治道徳の法則のためにも。
 日本政府として相応の反論があっても、いいはずだ。

(※ 12日午前に、福田官房長官が「望ましいことではない」と、コメントしていた。  国連・EUをはじめ海外ではかなりの反発が生じ、米国のネオコンでさえ「愚かだ」と明言している。)


 今回は、朝鮮戦争を思い出した。
 戦後の大復興はここから始まった。 始まってしまった。
 「特需」で大きく稼いだことに物申すつもりはない。  しかし、現地での地獄絵図を尻目にした形の好景気は、ある意味で隣国の人々の恨みを買ってしまったことも確かだ。  経済活動では、稼いだ側に全く悪気が無くても、稼がれた側にとっては許しがたい結果を残すことがある。


 ……というわけで、久々サブファイル→【日本国幻法】

【Sin-Century24】

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【離れ業を探す】 2003/12/07

「アメリカとは違う」――こんなこと、どうやって自衛隊がアピールできる?
 しかし、あくまで安全に派遣したいなら、こうしたイメージがほしい。
 いかにも「アメリカにくっついて来ました」で、攻撃力の無い部隊など、テロ組織の餌食にすぎない。


「テロには屈しない」、これは当然の話だ。

 しかし元々――この地震国日本が「(テロ)攻撃する」と言われたところで、なんぼのもんじゃろ?
 今も東海やら南海やらが控えているそうだし……雷と火事をすっ飛ばしても、まだ某国の「オヤジ」の方がコワイ(というか要注意)。 他、台風や津波、洪水に土砂崩れ、噴火に火砕流、自然災害だけでもここ日本では相当怖いものが多い。
 人災でも、居直り強盗だって十分怖い。 さっきすっ飛ばしたが放火も怖い。
 そこに……オマケでテロが付くだけ。
 なんだか、脅しとしては全然ピンとこない。

 まあ9.11のような首謀者自身も予想できない大惨事になることもあるから、用心はすべきである。

 だが、ちゃんと用心さえしていれば、「屈しない」どころか、政府見解としては相手にする必要がない。  「復興支援」においては、部外者のアルカイダに何を言われる筋合いも無いのだ。 (ついでに言えば、部外者の日本が国連やイラク新政府の要請なしに当地に踏み込むのも、実は筋が通っているとは言えない。
※ 12/9の首相会見によれば、国連は「イラクの復興支援は、各国が主体的に行う」ことを要請していたらしい。  すごく投げやりな感じだ。


 「屈しない」と言えば言うほど、かえって「アメリカ支援」を際立たせているような気がする。

 こう考えると、なぜこの言葉が呪文のように繰り返されているか、不思議に思えてくる――アメリカの受け売り、民衆への洗脳かしら。 
 それとも、政治の中枢が狙われていると考えて、「永田町は、テロに屈しない」と言ってるのかな。  うーん……それもやっぱり、言う必要がないほど当たり前なんだけど……あまりムキにならず、しっかり用心してください。

 さらに、なぜかイラクは今アルカイダの資金源(『肥沃な土地』by国連)となりつつあるそうだ。  これほど本末転倒なことはない。 現在、この戦争は「対テロ」どころか、テロ拡散の温床になっていると……? (12/8:なんとアルカイダがイラクに移住するという。 砂糖壺を見つけたようだ。)
 これではあまりにひどい、アメリカも対処を考えていないわけではあるまい。  あくまで「現時点の」状況として考え、早期の好転を願うが、「テロに屈しない」という主張で自衛隊派遣を急ぐこともまた、現状には全くそぐわないように感じられる。


 それでも派遣するとなると、本当に大変だ。
 拠点撃滅の作戦遂行能力を付与されない防衛隊が、アメリカの友軍として攻撃にさらされる。  これでは囮部隊同然だ。 犠牲のみを増やす派遣は、後の日米親善をも汚しかねない。
 したがって、派遣するなら、たとえ蟷螂の斧と笑われようが、一命でも多く残る方策を色々講じなければならない。


 試案1:
「アメリカに利するためには、一兵たりとも兵を出さない」と明言する。
 その上で、「イラク人のためだけに、派遣する」とする。
 ……誰がこんなこと明言できるだろうか。 言って意味のある人はほとんど一人だけだが。 言ってみれば事実上は大嘘になるわけだろうし。
 でもこのくらい言わなければ、自衛隊への攻撃を無意味化することはできない。  このくらいしれっと言えるような、外交術を展開してほしい。
 要するに、今同盟国に悪者扱いされるのはアメリカの名折れとして派遣を諦めてもらうか、それとも名を捨てて実を取るかの、二者択一をアメリカに迫るのだ。 こちらも命がけなのだし。  どうせ「無礼千万」と怒るだろうが、毎度のことだ。

 試案2:
 自衛隊は到着後直ちにモスクを作り、全員に朝夕の礼拝を義務付ける。
 政教分離・信教の自由から考えて、実現不能かもしれない。
 しかし今回は派遣の性質が極めて特務的だし、身を守るために最善を尽くさねばならない。  礼拝に限らず、諸々の「郷に入れば――」を実践し、少しでも多く現地の人々の心証を得るべきである。
 幸い、日本人の多くは、「どんな神にも素直に祈ることができる」というおおらかな才能を持っている。 「アラーの他に神無し」とまでは言えないものの、土地土地の神を尊敬することは、できるはずだ。  ……できない人など、派遣リストから削除すればいい。

 試案3:
 無人の地を一から緑化・開拓し、新しい町を造る。
 『誰もいない所でしか活動できない』のならば、そこに人が集まり、安全に暮らせるような場所を造ればいい。  相当な労力を要するが、ロケーションさえしっかりと選定すれば、それだけの価値はある。 何年かかるか分からないが。
 なにしろわが国の防衛専門隊が守るのだから、ここの治安は完璧だ。  町の内部は銃刀爆発物を完全にシャットアウトし、心から平和を望む人々だけが、その門をくぐることとする。  周囲の人が自ら銃を捨て、それがイラク全土へと波及するような安らぎこそ、日本が植えるべきものだろう。
 力で抑えつける者には、決して真似できない支援を期待したい。


 いずれも現実的には困難な机上論だが、元々の派遣のあり方が非現実的なので、何がしかの離れ業を考えざるを得ない。  ある意味真珠湾攻撃と同じだ。  奇計は上計に如かず、兵を起こさずに済むならそれに越したことは無い。 「うそこニュース」に書いてもよかったんだけど、今回は解説付きで書きたかった。)

 反対に、離れ業と言っても……間違っても盧溝橋事件みたいなことが生じ、なし崩しの事後承諾で一気に国軍化するようなことには、絶対にならないでほしい。 もちろん信じてはいるけれど、千変万化する情勢では、制圧か全滅か、といった局地的な決断を迫られるような事態に遭遇する可能性も、無いとは言えないのではないだろうか。
 カネも出した。 給油もした。 イージスも出した。 その上で今なぜこんなに派遣にこだわるのか――ただでさえ、北清事変(義和団の乱)だとかシベリア出兵だとか、満州国、国際連盟脱退、さらには利権侵略と、ロクでもないことばっかり思い出すのだ。
 テロとかよりも僕はここに、一抹の不安を感じている。


(2003/12/07) 戻る

【耳ボケ:13】 2003/12/04

 ケータイのCMより:
 パソコンよりも冷戦よりもスゴイ……
 妻夫木どの、冷戦は終わってござるぞ。
 むしろ時代は対テロとかでござる。

 パソコンよりも零戦よりもスゴイ……
 妻夫木どの、戦闘機マニアでござったか。
 「ゼロ」じゃなくて「レイ」とは、なかなか通でござるな。  →「ゲーセン」

 かなり長い間、何だかサッパリ分からなかった。
 ゲーセン、行かないもんナァ……。
 (なに? 聞き間違える=最新ケータイのターゲットの枠外、か?
 ままま、マズイぞ……確かに僕には、その比較感はピンとこないけど……。)

※ スミマセン、「スゴイ」じゃなくて、「アツクなれる」とか「ワクワクする」とかだったかも。  オンエアされるバージョンが変わっちゃって、確認不能でした。


(2003/12/04) 戻る

【むしろ動乱を欲すか】 2003/12/01

 民間貨物機の砲撃をした集団は、集団側の言葉(11/30フジ「EZ!TV」より)を信じれば、だが――
○ あらゆる既存の集団と関係ない、独自の新しい集団だそうだ。
○ 米軍の軍用機だと誤認していたらしい。
○ 『現場の農民も祝福した』というのは、武装集団をやり過ごすための農民の社交辞令だろう。  これをして、「テロ行為をイラク国民も歓迎している」とは評価できない。
○ 『石油利権の99%は米国に譲るから、我々に1%を保証しろ』という声明にはさすがに笑ったが、国の1%の利権は新興の小集団にとっては相当虫のいい話だ。 背後で操る組織があれば、こんなチンケな声明を出されては困る。  カムフラージュかもしれないが。

 まとまった武器を手に入れ徒党を組んで、何でもいいから武名を上げる。  そんな風潮が出始めているのではないか。  平和ボケの日本では想像もできないが、これは……群雄割拠の前段階じゃないだろうか。

 「桃園の誓い」が今、イラクのそこかしこでなされているのかもしれない。
 しかし、当事者以外がワクワクできる類のものではない。 三国時代も戸籍上では人口激減時代、つまり少なくとも多くの民衆が国の管理から放り出された時代だった。

 もしテロ行為やゲリラ活動が今後も続き、手を焼いた(or政権が変わった)アメリカが投げ出してしまった時には ――まさに以前のアフガニスタンと同様の状態になる。  なまじ石油があるので、よけい血なま臭くなるかもしれない。 現地の人にとっては災難この上ない。
 で、イラクが国内のある集団で武力統一されても、結局フセイン第2弾……。
 『イラクの自由』よ、どこに行くんだ?


 先日、二人の日本人外交官の命が奪われた。  派遣されようとしている自衛隊員の安全がさらに懸念される。  しかし派遣の是非はともかく、アメリカ主導にしろ何にしろ、民主的な統治を実現することだけは、賛成だ。
 群雄割拠なんて冗談じゃない。

 ただし、中途半端な制圧と不信感の中で、外部の思惑通りに一国が推移することなどあるだろうか。  米軍は武装勢力を徹底的に壊滅し、蜂起の芽を未然に摘まねばならないだろう。  軍事的には完全に占領し、他勢力を武装解除しなければならない。 それができてない。

 外国軍隊が駐留している時限りの、実効支配力の伴わない一時的な民主化になる事こそを心配する。 日本は一体何回このような失敗をしただろうか。
 「国際貢献」、「テロに屈しない」という言葉は耳に心地よく響く。  しかし、「シベリア出兵」の二の舞……後から見れば全くの徒労に、なりはしないだろうか。


(2003/12/01) 戻る

2004/2/4追記分の余談:

(朝青龍の礼を尽くした行動は、)
 昨年日本の首相に左手で握手しやがったどこぞの小娘2人組とは、エライ差だ。
 あれにはマジでムカついた。
 右手でビデオを撮影したまま。 そんなもん、言い訳どころか論外だ。 ふざけるな。

 首相への文句はいっぱいあるけど(いやホントに多いんだけど)、それとこれとは話が別。  曲がりなりにも僕らの国の最高指導者への無礼は、なんか自分自身をコケにされたような気分だった。

 が……これ、ほとんど話題には上らなかった。
 星野阪神が有終の美を飾る直前だったのだ。
 さらに、西欧の国家元首が相手だったら少しは話題にもなっただろうけれど、ここ日本は、左手での握手に侮蔑のサインを読み取る習慣の無い国だった。

 後の東京でのライブはおカワイソウに大失敗だったらしいが、因果応報という感もしなくはない。  ま、音楽会社のスタッフは本当にカワイソウだったけどね。
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