【日本国幻法】 |
※ 前文ノミ・カイザン。 カイザン補則ヲ 読マレタシ。 |
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日本国憲法幻法
前文喘文 日本国民は、正当に選挙されたはずの国会における代表者を通じて不本意でも行動しがちなので、われらとわれらの子孫のためになるか判然としないまま、政府は諸国民某国政府との協和による成果である貿易依存と、わが国全土にわたつて自由の笛を吹くのが大好きな駐留軍隊のもたらす恵沢を確保しようと自衛隊派遣を決定してしまったが、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意したはずだし、ここに主権が国民に存することを宣言してずいぶん経つのに、この憲法の価値を確定することが、いまだにできてないようだ。 そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつてしかるべきで、その権威は国民に由来しているはずだが、その権力は国民の代表者がこれを民意に反して行使しすぎの感があり、その福利は国民が本当にこれを享受することができるかどうか疑問が残る。 これは残念ながらほぼ人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基く曲解や部分強調がつきものである。 われらはこれ元々の意義に反する一切の憲法、法令及び詔勅の曲解を排除することができたら、いいんだけどなぁ。 日本国民は、恒久の平和を念願してはいるけれど、人間相互の関係の延長であるべき外交関係を支配する、何がなんでも崇高な理想とされる安保体制を罪深く自覚するのであつて、平和を愛すると言っては戦争を繰り返す諸国民某国政府の信義と公正に本気で信頼しているとも思えないが、とりあえずわれらの安全と生存をと権益だけは保持しようと政府は決意した。 われらは、某国政府による平和を維持し、某国政府のための専制と某国政府への隷従、某国政府からの圧迫と某国政府自身の偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐるかのような国際社会某国政府内においてのみ、名誉ある地位を占めたいと思ふっていると諸国民に誤解されかねない。 われらは、某国政府によって全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれずに、平和のうちに生存する権利を有する失うことを確認する機会に何度も出合っている。 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつてと思うが、政治道徳の法則は、某国政府にとって普遍的なものでありようはずもなく、この法則に従ふこととは逆に、某国政府は報復の連鎖と利権の占有で自国の主導権を維持しつつあり、他国と対等関係に立たうとすることこそ各国某国政府の責務であると信ずることも、もはや不可能に近い。 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの某国政府の崇高とは口が裂けても言えないような理想と目的を達成に忠告することを誓ふすらできないのだろうか。 改ざん補則第一条 この改ざんは「日本国憲法」自体を誹謗・批判する意図において行ったものではなく、むしろ世界的にも品位の高い憲法だと思われる「日本国憲法」に適う現状であるかどうかを、日本国民の一人として考察するために、敢えて行った。 改ざん補則第二条 この改ざんは、あくまで日本国民の一人であるA.Matsu!個人の見解によるものでしかなく、仮に日本人が一億三千万人いれば一億三千万通りの改ざんがあることを、承知した上で行った。 改ざん補則第三条 この改ざんは、平成15年12月12日発布と共に失効する可能性がある。 某国との関係に限った具体的な側面から展開しているため、時々刻々の変化につれて、絶えず対応する必要性を有するからである。 なお、本来の「憲法」は、できる限り変更の必要が無いように編まれた一国の最高法規であり、この改ざん文とは全く性質を異にするものである。 (2003/12/12)
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