感覚の違い
煽るとか煽られるとかいう事についてだけれど、自分が普通に走っていて、その後ろにぴたりと張り付かれたように感じた時、あっ、なんか煽ってきてるなあって思うけど、意外とその煽っているとされるクルマのドライバーはなあんも考えず普通に走っているだけってこと、けっこうあるのかもしれない(なんか車間距離が近いなあと思ってなにげに後ろのクルマの中を見ると、助手席の人と楽しそうにお話していた、なんてことはよくある)。
そうだとすれば、当然それは漫然運転だという見方もできるけれど、速度や道路状況に応じた「安全な車間距離」が人それぞれ違う為、たまたまその感覚の両極端の人同士が運悪く出会って前後に並んでしまった場合、お互い不愉快だったり不安な思いをすることにもなるのだろう。
何かこういう風に書くと、日ごろ車間距離をあまりとらない人達を弁護しているみたいにも聞こえるけど実際そんなことは全然なくて、そういう人達は常に自分の前を行くクルマに対して無意識にプレッシャーをかけ続けていると言えるわけだし、実際その短い車間距離ゆえに不測の事態に備える余裕がなくなり、いつか大きなしっぺ返しを食らうことになると思うのだ。出来る事なら何処かで止まって、走って行って教えてやりたいくらいである。

「教育的」指導
以前、2tトラックで配送の仕事をしていた事があり、たまたま同僚の運転するトラックの助手を一日する機会があって、その時の彼の運転と考え方にちょっと驚かされた。
終始時間に追われる仕事だから多少飛ばすのは仕方ないかもしれないけれど、それにしてもかなりのスピード。そして車間距離が短く、とても荷物を満載したトラックの走り方とは思えなかった。
助手席でそんなことを考えながらうんざりしていると、斜め前を走っていた普通乗用車が、ためらいながら、ちょっとぎこちない感じで車線変更してきた。見ていてそれほど無理な感じには思えなかったが、同僚は途端に前に入ってきたそのクルマを煽り始めた。見ると、そのクルマを運転しているのは若い女の子のようで、しっかり後ろに初心者マークがついていた。
おもわず「初心者なんだからいいじゃないか、これぐらい」と言うと、彼は
「俺は今、こうやって社会の厳しさというものをあの子に教えてやってるんだ」
と、こともなげに言ったのである。そう、彼はそのクルマのドライバーがまだ若い女の子で、免許取りたてである事も承知の上で煽っていたのだ。
「急な割り込み」をされて苛ついた上での言葉かと思って彼の顔を何気なく見ると、彼は、前のクルマに今にもぶつかりそうな運転を続けながら口元にかすかな笑みを浮かべて実に楽しそうに彼女を追いまわしていたのである。
「教えてやっている」。彼の言葉には悪びれた感じや開き直ったようなニュアンスはなく、あくまで精神的に(そして物理的にも)高みにいる自分が、彼女に教育を施してやっているという気持ちでいたようである。
なんだかこの体験で他のクルマをちょっとしたことで執拗に煽る人達の気持ちの一端を垣間見たような気がしたのであるが、世の中には自分以外の誰かを「教育」したい人がなんだかとても沢山いるような気がしてきて、自分もどこかで「教育」されることのない様に、もっと運転うまくならなくちゃいけないなと、気持ちを新たにさせられた出来事でした(てゆうかそういうことじゃないと思うんだけど・・・)。
関連日記●
見られてる
普段街中を走っていると、自分は普通に走っているつもりなのになんか知らんが後ろのクルマが車間距離を詰めてくる時がある。決してのろのろ走っているわけではなく、全体のクルマの流れに合わせて、むしろ出すべきスピードはきちんと出して走っているのに、相当お急ぎのご様子で、どんどんこちらにプレッシャーをかけてくる。
自分の場合、後ろから理不尽に煽ってくるクルマに対しては、基本的にそれに応じて加速もしないし減速もしない。場合によってはまるでそこにそんなクルマなど初めから存在しないかのように自分のペースで走り続ける。一旦何らかの反応を示してしまえば、相手は自分の「攻撃」が有効であると判断し、さらにその行為がエスカレートしていくからだ。
ドライバー自身も余計な動きは見せない。煽っているクルマのドライバーは、常に前のクルマの車体以上にドライバーの反応そのものを注視しようとする。どんなに煽ってもそのことに気づいてもらえなければ、わざわざ危険を犯してまで煽っている意味がないからだ。
だから私は、こんな時決して顔を上げてルームミラーを見ない。ドアミラーを使って、首は回さず目線だけでちらっと後方確認。こちらが意識していることを相手に悟らせないようにしてあくまで淡々と走り続ける。これだけでもだいぶ自分を落ち着かせる事が出来る。
後ろからのプレッシャーに負けてスピードを上げてしまったとしても、事故れば自分の責任なのだ。
関連日記●
負けるな、女の子
緩い下り坂を走行中のA車と、その後ろにぴたりと張り付いた状態で走っているB車。

Aが、この先の二又を右折しようとする。さっきからBにプレッシャーをかけられ少なからずあせりを感じていたAは、少しでも早くBに道をあけようとして、おもわず、見通しがあまり良くない場所であるにもかかわらず、赤のショートカットラインで曲がろうとしてしまう。これはとても危険な行為である。
万一その時、その道を対向車Cが上ってきていたら、最悪AとCとはまともに衝突することになる。
そうやってぶつかってしまえば、それはAとCとの間で起こった交通事故であり、Bに対して責任を追及しようとしてもまず無理である(ヤバイ!と思ってBが逃げればそれまでである)。
そして、あくまでAが加害者、Cが被害者ということになるだろう。
だから、AはどんなにBから煽られていると感じても、曲がる十分手前からしっかり減速をして、進行方向が良く見える青のラインで右折を完了しなければならない。
この状況で、気の弱い女の子などであれば、どうしても恐怖心から赤に近いラインで曲がろうとするかもしれない。でもよく考えてみてほしい。いくら恐かったからといって、自分と全く関係のない誰かを巻き込んで事故を起こすのと、今少しの間だけ煽られるのと、どっちが自分にとって一大事なのかと。
煽られた時、逃げるように右左折してはいけない。
似たような状況の時、私自身このような比較を頭の中ですることによって、気持ちがすっと、嘘のように平静になる。
負けるな、女の子。

実際に曲がる時は、何よりも、(1)早目にウィンカーを出して、(2)きちんと減速を完了してしまう事が大切。
この際、間違っても(1)と(2)とを逆にしないこと。(2)を先にしようとすると、Aのブレーキランプが点灯したのを見て、その時点でBが強引に追い越しをかけてこないとも限らず、非常に危険である(上図)。
期待されるクルマ
後ろのクルマから無用に車間距離を詰められないようにする為には、“期待されるクルマ”にならないことが大切である。
片側2車線の道路では、先を急ぐクルマは、少しでも流れの速い方の車線(流れが速そうに見える方の車線)を走ろうとするだろう。

左車線、右車線共に同じぐらいのスピードで流れている時、A車(黒)が、自分の前のスペースが空いているからといって、何気なく加速して前のクルマの後ろに付いたとする。
それを見ていた後方右車線のB車(赤)は、左車線の方がより速く流れていると判断して(と言うよりついつられてと言う感じで)、車線変更をしてA車の後ろにピッタリと付くことになる。
それはA車が期待されるクルマになった為に他ならない。A車自身が急いでいて前のクルマを煽ってでも先に進もうとしているのならそれでも一向に構わないだろうけれど、ただ漫然と何も考えずに加速してこのような状態になったのだとしたら、少しの間ではあるがB車はA車にとって、とても目障りな存在となるだろう。
本当に些細な事だけれど、自分で煽られるきっかけを作らない為に、意識していて損はない。
自分の場合、斜め後方から「来たな」と思ったら、しようと思っていた加速をいったんやめ、そのクルマを自分の前に入れてしまう。相手はタイミング良く滑り込んだつもりで気分もいいだろう。それでいいのだ。
流れを無視してポンと飛び出すと、後ろにドンと付いてくる。期待されている証拠です。
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