気まぐれ生活日記

199910

ここは「きまぐれ生活日記」
「日報」で書ききれなかったことや、クルマの運転にあまり関係のないことも書いていきたいと思います

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10/30

11月から「ケータイ運転」が改正道交法で処罰の対象となる。何もかも法で取り締まる事に抵抗感がない訳ではないが、実際街中でケータイかけながらのふらつきのろのろ運転や、ノーウインカー右左折等がこれだけ目につくようになると、正直反対する気持ちはもうない。

運転中「退屈だから」と友達に電話するようなお子様をまず取り締まって欲しいのは言うまでもないが、「仕事」を理由に運転中のケータイ使用を正当化しようとする人達をこそ、有無を言わせずきっちり取り締まってほしい。その為の明確な根拠を取り締まる側に与える法改正であると個人的には思っている。

「仕事」で急いでいたからスピード違反が大目に見てもらえるのか。「仕事」で荷物を運んでいるんだから規定の何倍もの量を積んで不安定な走りをしていいのか。もしこれらのことをして人をはねても「仕事中」のことだからと許してもらえるのか。

迷惑運転に仕事とプライベートとの区別なんかない。事故ってしまえば皆同じ、である。

10/26

今日もしつこく高速ネタを・・・

高速道路を走っていていつも思うのは、どのクルマも概ね車間距離がその速度に比して非常に短いということ。

車間距離を確認する為に所々に設けられている標識や白線をもとに、前方のひとかたまりのクルマを見てみると、例えば時速110キロ前後ぐらいのスピードで走っている場合でも、それぞれのクルマの車間距離は50メートルもないことが多い。
そんな状態で走り続けたら、先頭車両にもし何か大きなアクシデントがあった時、そのひとかたまりが揃って道連れにされるかもしれない。

このように高速道路上でダンゴ状態になって走り続けることを「串に刺さる」と言うが(
うそ)、目の前にこのような状態を見つけても、私は決してこの集団には加わらない。最後尾のクルマからきっちりと車間距離をとって走り続け、その際、たとえば後ろのクルマからプレッシャーをかけられるような事があったとしても、前を詰めたりなんかしない。

たとえ自分のすぐ目の前でどんな事故が起こったとしても、絶対自分はその事故に巻き込まれない。絶対自分
だけは助かってみせる。いつもそういう気構えを持ってハンドルを握る事が大切だと思う。

車間距離どんなにあけたって追突されりゃ同じ、と考えることもできようが、少なくともその状況(多重玉突き事故)の中で「加害者の一人」になる可能性はぐっと少なくなるはずだし、前が空いている分操作の自由度も高いと言えるはずだ。

私は、串に刺さらない(^^;

10/24

高速道路上にある「ゆずりあい車線」がよく分からない。

もともとはゆるい上り坂が長く続く場所で、荷物をたくさん積んだ大型のトラックやダンプがその区間の制限速度を維持することも困難な場合に、後続のクルマを先に行かせる為に緊急避難的に用意された車線のはずだ。

それなのに現状は、その場所にさしかかると多くのクルマはいっせいに自分のクルマの持つ有らん限りのスピードを出し始め、目の前を走っている自分より少しでも遅いクルマを蹴散らしまくる、まるでサーキットのような区間になってしまっている。

今回高速に乗った時、時速70k制限のところにその「ゆずりあい車線」があった。

70k制限といっても、ちょっと前まで皆100k以上で走っていたのだから、全体の流れとしての速度は殆ど落ちていない状態だ。

その場所で、いつもだったら迷わず左に寄って後ろのクルマ達を先に行かせるのだが、今回、自分の前に一台も他のクルマがいなかったこともあってつい魔がさして、このままこの車線を走り続けたら、時速何キロぐらいまで後ろのクルマはぴったりついてくるのか試してみたくなった。

アクセルを目いっぱい踏み込みどんどん加速する。しかし、どんなにこちらのスピードが上がっても、後ろのクルマが離れて行く気配はない。

そしてついに、私がこれまで一度も出したことのない速度域にまで達した時、バックミラーには、さっきと全く変わらない車間距離で後ろのクルマがついてきているのが見えた。

「ゆずりあい車線」が終わり、アクセルペダルを戻して一気に減速すると、うしろのクルマもやはり同じように減速しつつ、そのまま右車線を走り抜けて行った。

不思議と恐怖感はなかった。ただ馬鹿な事しちゃったなという思いで、そのあと少しだけ憂鬱になった。

分かったこと。自分の前のクルマとの車間距離が少しでも開くと、途端に今度は自分が後ろのクルマから煽られるので、とにかく「ゆずりあい車線」のある区間では、ひたすら出せるだけのスピードを死にもの狂いで出し続けるしかないのだ。

と言う訳で、結局私も「気がふれたような速度」で走ってしまいました。

もう二度とやりません、ごめんなさい。

10/21

昨日と今日、久しぶりに高速に乗った。

やっぱり今回もいました。気がふれたような速度で駆け抜けていくクルマ。

工事規制の為二車線が徐々に一車線になる所で、なくなる車線の方から突如現れた感じで、気がついた時にはあっという間に私のクルマの直前に飛び込んできていた。

けっこうこういう所には駆け引きみたいなものがあって、あのクルマまでは自分の前に入れてやるけど、その後ろはもう入れてやらない、とか考えたりするけど、もう全然そんな事考える間もなく、なす術もなく(^^; 、という感じでした。

たまたまその時私のクルマの前には他のクルマがいなかったので直後にブレーキを踏まれることもなく、そのクルマはその後工事区間を過ぎるとさらに速度を上げ、右車線だけをずっと走り続けて他のクルマをゴボウ抜きしてすぐに視界から消えていきました。

どれほどの急用があればこんなスピードを出せるのか一度聞いてみたいもんです。

高速上で覆面に捕まったドライバー達の言い訳集、なんてあったら是非見せて頂きたい。そう思いませんか?

10/16

きのう、歩行者用信号が赤になっている横断歩道のところで、一人のお年寄りがいかにもそこを渡りたそうにして、目の前を通りすぎていくクルマに向かってひらひらと手を振っているのを見た。

クルマは当然目の前の信号は青なので皆びゅんびゅん通り過ぎていく。私ももちろん信号に従ってそのお年寄りの前を通り過ぎたのだが、その時思った。

お年寄りの中には、道路を横断する際、自分が渡るかどうかの目安を信号が青か赤かという事よりも、目の前の道路をクルマが走ってきているかどうかで判断する人がいるのではないだろうか、と。

これは、例えば若い人達が違法である事を承知で、クルマが来ないか左右を確認して赤信号を堂々と渡るのとは違い、初めからその交差点に信号機があることさえよく分かっておらず、住宅地内の路地を歩くような感じでクルマの通行の有無だけを自分なりに見て渡ろうとするお年寄りが実際にいるのではないかという事である。

つまり、どう言ったらいいか難しいけど、交通社会の決まり事とかを超越してしまった人達も、私たちと同じように外を一人で歩いているということだ。

よく「小さな子供とお年寄りを見たら赤信号だと思え」という標語を聞くけれど、この標語を、単に「交通安全週間」のお題目として聞き流すんじゃなく、よりリアルなものとして自分の中にインプットしておかないと、今後の高齢化に伴い、ますますお年寄りが犠牲となる事故が増えていくのではないかと思うのだ。

私の場合、あるいは不遜な言い方になるかもしれないけれど、以前からこの標語を「小さな子供とお年寄りを見たら爆弾だと思え」というふうに読み替えています。

10/14

そこまでやるかの危険回避誰かのクラクションを追加しました。

10/10

ビスタアルデオのCM(鶴田真由の出ているやつ)の曲はカーペンターズですね。

割といい感じかな、と思って見ていましたが、いろいろ聞くところによると、熱心なカーペンターズファン?からすると相当に不快なCMなんだそうです。

理由はよく分かりませんが、もしかしたら、自分の中の大切な思い出の1ページが壊されるようなイメージがあるのかもしれません。

あるCMを制作して、見る人にどういうイメージを持たれるか、それを完全に予測するのはとても難しい事なのでしょう。

今盛んにやっているファンカーゴのCMは、自分はただ単にあの早口が耳障りであまり好きではないのですが、最後のせりふ「どこで何しようと私たちの勝手でしょ」の一言が多くの視聴者の反感を買っているようです。

ただ、メーカーも馬鹿ではないので、ある意味このようなマイナスの評価をされることは予想していたのかもしれません。

相対的にプラスとマイナスの評価が同時に上がって、それらがぶつかり合い結果的に話題として盛り上がればクルマそのものの宣伝になる、という考えなのでしょう。

いずれにしてもあの早口言葉は、いかにも無理矢理耳の中に宣伝文句をねじ込まれるような感じがして、突然聞こえてくると、おもわず
ゲッとか言いながらあたふたとリモコン探してチャンネルかえちゃいたくなります(いつも間に合わないけど・・・)。

10/9

私の街の走り方「礼はいらないよ!」を追加しました。

10/6

今まで黙っていましたが、実は私「左利き」なんです。

自分の場合、普段の生活の中でそれほど不自由を感じた事はありませんが、例えば、集団生活の中で食事をとる時などは、箸を持つ手が左なので自主的にテーブルの一番左端のところに座ります。そうしないと隣の人とお互いの肘があたって迷惑になるからです。

腕時計は、利き腕にすると邪魔になる為小さい頃から右腕にしていますが、時間や曜日の調整をする時はリュウズが逆になるのでいったん腕から外さないと何もできません(最近、左利き系のリンク!を辿って左利き用の、リュウズが反対側についている時計の通販があるのを見つけてすぐにでも買いたい気になっています)。

ところで、クルマの運転に関しては全く何の不自由も感じた事はなく、私は右ハンドルのMT車に乗っているのですが、ギヤ・チェンジやらラジオ、エアコンの操作等、むしろ左手を忙しく動かす機会が多い分、かえって左利きに有利な作りになっているのじゃないかとさえ思えるのですが、どんなもんでしょう?

そういえば以前、ある人に自分が左利きである事を話したら、「だったら左ハンドルのクルマのほうが運転しやすいんじゃないの?」と言われて自分でもよく分からず返答に困ってしまった事を思い出しました(^-^)。

1999/10/3

今日、久しぶりにカー用品の専門店に入ってみました。

私はあまりこういう店を利用する機会がなく、去年タイヤを1セット買い替えたのと、あとは時々「カーコロン」とかの小物を買いに行くぐらいです。

店の一角に他のコーナーとは少し雰囲気の異なるコーナーがあり、何だろうと思ってそこに近づいてみるとそこは、ハワイのレイやら真っ白なムートンやらジャングルの葉っぱみたいなふさふさやら、なんだかよくわからない、いわゆる今はやりの若者系ドレスアップグッズが山盛りのコーナーでした。
そしてその中にあの、いわゆる
クリアテールと呼ばれるレンズカバーがたくさん並べられていました。

初めてクルマに取り付けられる前のパーツとしてのそれらを見ましたが、間近で見るとそれらはとても大きくて、うまく説明のできない妙な威圧感がありました。

値段を見ると、片方だけで2〜3万円します。つまり、セットで4〜6万。さらにそれに工賃等が加わり、かなりのいい値段になってしまいます。
それでも彼らはこういうものを嬉々として買い求め、装着します。

私は、そのことの不思議さを思うより先に、彼らとの絶対的とも言える価値観の相違に、しばらくの間、茫然とその場に立ちつくしていました(ちょっと大袈裟だけどそんな感じ)。

これだけのお金があったらあれも買えるしあんな所にも行けるしあんなことだってできるのに(^^;、とか言うことはここではすでになんの意味もないだろうし、それだけの出費をして装着した彼らに対して「被視認性」の観点から「安全運転の話」をしたところで、ずっと遠くの方で誰かがなんだか訳の分からない事を言っている、ぐらいにしか聞こえないのかもしれない。


リアウインドウに電線が映っているというのもすごいと思う。