Preface/Monologue2001年9月


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トムラウシ。五色岳から化雲岳への稜線から
ここまでのCover Photo:トムラウシ−五色岳から化雲岳への稜線から
2 Sep 2001
土曜の朝からかぜをひき、比較的好天の土日だというのに大きな山にはどこにも行けず。それでも土の道の感触を靴の裏に感じ取りたく思えば、けっきょく「困ったときの鎌倉頼み」というわけで、連れと一緒に日曜の昼から北鎌倉あたりの山を軽く歩き、山頂で手作りのおにぎりを食べて帰ってきました。

その体調の悪い土曜日ですが、近場で七都県市合同の防災訓練というのがあり、日ごろ間近で見ることのできないヘリが目の前に着地するわ、いまだ人気の衰えない首相が防災の挨拶に来るわで、周辺住民が大挙して見物に集まり防災訓練なんだかお祭りなんだかわからない状態に。何を隠そうわたしもちょっとだけ見に行きました(「純ちゃん」が来ているとは知りませんでしたが)。

おかげで地元の商店街も開店休業中のところが多かったらしく、風邪にめげず散髪しに行った先もその状態のようで、店は最近来始めたアルバイトの男性がいるばかり。仕事の合間にテレビを見て笑っているような兄ちゃんだからかヒゲ剃りが超横着で、帰宅して電気剃刀を当てなければならなかったほど剃り残しが多い。カットの腕はまぁまぁでしたが、いちばんうまいのはマッサージでした。次からは店のおやじさんがいることを確かめてから店に入らなくては....。
6 Sep 2001
昨日夕刊の報道によると、特殊法人の「電源開発」は新潟県で進めていた湯之谷揚水発電所の建設計画を中止することにしたそうです。昨今の経済状態の悪さゆえ電力需要の伸びる見込みがないためあきらめざるをえなくなったとか。

越後駒ヶ岳の麓にある「駒ノ湯」はこの発電所が仮にできたとすると水没の運命にあったのですが、これで存続することになりました。しかし何よりなのは、イヌワシの営巣地がこれでしばらくは安泰だということです。どうも開発側はあの手この手で計画を推し進めようとしてきたようですが、イヌワシに象徴される自然を守ろうとしてきた人々の手によって計画の見直しが幾度となく余儀なくされ、その間に不況がのっぴきならない段階にまで至り、結果的に無駄な開発計画に終止符が打たれたと思えます。
9 Sep 2001
那須連山はほとんどが栃木県の山ですが、最高峰の三本槍岳は福島との県境にかかっています。ここから北方には鋭く尖った旭岳、甲子温泉を麓に湧かす甲子山と並び、さらに背後には台形の大白森山に富士山型の小白森山、さらに奧には二岐山(ふたまたやま)が名の通り二つの丸い頭を突き出しています。この二岐山とセットで語られるのが麓の二岐温泉で、ここに泊まって山に登るのがよくガイドされています。

ひなびた温泉と言われる二岐温泉ですが、七日の午後三時、雷が落ちたかと思えるような大音響と地響きが襲います。空には雷雲などなく、不思議に思っていた地元の人々に真相が知らされたのは出来事から九時間近くたった夜の十一時半過ぎ。深夜の村役場を訪れたのは自衛隊員でした。応対した宿直職員に説明して曰く、「演習の弾が温泉の近くに当たった」と。

この温泉地の近くには「陸上自衛隊布引山演習場」というのがあり、そこで榴弾砲の射撃訓練をしていたところ、実弾が演習場外に飛んでいってしまったそうです。言ってみれば実弾を込めて拳銃の練習をしていたら練習場の外に弾が飛んでいってしまったようなもので、冗談ではありません。

「場外に飛んだ」というのはすぐわかったらしいので、即座に地元に連絡をすればよいものをと思えるのですが、なんでこんなに遅れるんでしょう。こんな連絡体制では本当の有事の際に役に立たないでしょうし、なにより自衛隊が守るはずである国民の信頼と協力が当てにできなくなるおそれ大です。最初からそんな気がないというのでしたら別問題ですが。
12 Sep 2001
関東を直撃した台風が去って一息ついていると、海の向こうから信じられないようなニュースが。

アメリカにある110階建ての世界貿易センタービルにハイジャックされた航空機が2機、立て続けに突っ込み、ツインタワーであるビルは二棟とも倒壊したと。ワシントンでも国防総省が同じ目に遭ったとか。

WEB上でこのニュースを読んだときは事の重大性がさっぱりわからなかったのですが、慌ててつけたテレビで黒煙の上がるニューヨーク市街の映像を見ると、これはもう戦争の情景なのでした。きっと半世紀以上前のパールハーバーがこんな感じだったのでしょう。

いずれにせよ、被害にあった人たちができるだけ少ないとよいのですが。....とはいえ、特攻をかけた飛行機は旅客機だそうで、乗り合わせた乗客の身になると言葉もないです。....しかしなんですかね、犯人達は英雄気取りなんでしょうかね。まるで理解できません。
13 Sep 2001
山のてっぺんだけではなく、数でもなく、山への接し方、山に登るうちにじぶんの中に見えてくるもの、そんなことがらが気になる人にお薦めの本。

平凡社ライブラリーから出ている上田哲農『日翳の山 ひなたの山』。背筋の伸びた山の空気が詰まっている画文集です。オリジナルは1958年の刊ですが古びた感じはしません。1,300円。

なお、昨日付の当"Monologue"は、「忘れないために」書きました。
18 Sep 2001
1999年9月末に北海道の後方羊蹄山でツアー登山の遭難死、というのがありましたが、今年7月末に当時の添乗員とその上司が業務上過失致死の疑いで書類送検されたそうです。(『岳人』2001年10月号 #652 による)

この事件は、台風通過後とはいえ暴風警報発令中に14人を添乗員1人で引率して山に登り、昼頃に女性二人と男性一人が行方不明になりながら下山。男性は翌日救出されましたが、女性二人は残念ながら山頂の火口北側にて遺体で発見された、というものでした。かつてこの"Preface"で採り上げたこともあります。

今回の送検は、「全国でツアー登山中の事故が頻発する現状に対し、ツアー会社への安易な登山計画を改める警鐘の意味もある」とのことです。この事件が起こった1999年は、ツアー登山者関連の遭難が28件発生し、うち死者5人、負傷者17人であったと。全てが全て「天候軽視」というわけではないでしょうが、ツアーであろうとなかろうと、少なくとも天候が悪ければ「山はやめとこう」くらいの余裕を持ちたいものですね。

....しかしこの夏は雷鳴の中登ったなぁ。言動が一致してないような気もする....。
24 Sep 2001
例年なら秋の長雨に祟られる今の時期には珍しく、彼岸の連休というもの関東地方は快晴続き。これを見逃す手はなく、群馬県は吾妻線沿線の山を訪ね、ついでに長年宿題のままだった本白根山にも行ってきました。

白根山近辺ですが、残念ながらこの前の台風でナナカマドの葉っぱが落とされてしまい、緑の笹の海に輝く紅葉は見られませんでした。地元のバスの運転手さん曰く、「今年はダメみたいです」。「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉の通り秋の気配が平地でも感じられますが、山の上は日差しが強くて、わずか4時間ほど歩き回っていただけなのに腕や顔がかなり日焼けしてしまいました。

しかし湿度が低くなってきているせいか昼を過ぎても眺め良し。上毛の山々はもちろん、冠雪の富士山でさえ浅間山の左脇彼方に小さく遠望できました。しかし浅間山の噴煙はうっすらとではありますが火口から煙突の煙のように出ていて、登山規制が緩和されたというのが信じられないくらいです。本白根山の三角点峰への分岐付近からは、北アルプスは槍穂高から後立山連峰まで指呼できます。その手前には北信五岳も勢揃いしていて、とくに背の高い高妻山が空を背景に目立ちます。かような次第で、展望の点では文句のつけようのない山でした。
30 Sep 2001

今年の紅葉は例年に比べてゆっくりだそうです。

風呂の薪を焚く煙が似合う山里に行きたいです。

秋の日差しが湯面に映える、静かな温泉にも行きたいです。

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