Preface/Monologue2001年8月


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1 Aug 2001
あい変わらず田部重治の『わが山旅五十年』を読んでいるが、とにかく舌を巻くことが多い。現代の登山者がいかに楽をさせてもらっているか、そしていかに慌ただしいかがよくわかる。

なにせ昔のことだからというのもあるが、白峰三山縦走の記にしても当然南アルプススーパー林道などない昭和二年、甲府から広河原までバスで、というわけにもいかない。第一回目は鳳凰三山の地蔵岳を越えて仙丈ヶ岳に登り、ここから野呂川に下りて両俣小屋から北岳に登ろうとしたが、仙丈ヶ岳で天候悪化のため断念。

一月後、二度目に三山縦走を企てたときは山梨側からではなく静岡側からアプローチして身延線の駅から奈良田まで歩き(バスなどなかったのだろう)、大門沢を遡って農鳥岳、間ノ岳、北岳と登って再び奈良田に戻ってきている。奈良田では村の人々が山のなかで作っているという蕎麦を食してこれはうまいと絶賛してもいる(大門沢の山道の脇にところどころ平坦地があるが、ひょっとして昔これは蕎麦畑だったのか?)。たとえば奈良田から稜線まで大門沢の登りはコースタイムだと8時間強あるが、記録はいつものように淡々と書かれていて、もう少し苦労したとかたいへんだったとか書いてくれているとひ弱なハイカーとしてはありがたいのだがと思ってしまう。

今年の秋には富士山西方の毛無山に行こうかなと思っていると、このあたりの山行記録も出てくる。たった一行で「毛無山を下って本栖湖畔に出た」みたいに書いてあるが、毛無山から本栖湖の湖岸までは低いとはいえいくつかピークがあり、しかも最近のガイドマップに初心者単独行禁止みたいに書かれているササヤブの山域でもある。当時は歩きやすかったのだろうか。驚くことが多い。
5 Aug 2001
白峰三山の画像をupしていませんでした。すいません。

風邪がぎりぎり治ったところで、北岳から塩見岳までを歩いてきました。今度こそは、の北岳山頂からの眺望はまたも外れ。早朝からガスが湧くとは....しかも下山後に晴れ渡り、その翌日は朝から日本晴れ。よくよく北岳とは相性が悪いのか(とは言っても二回しか行ってないけど)。

塩見岳は眺めても登っても良い山でした。ところでその日その日の山行は遅くとも午後3時までには終了させないと、この季節のこの山域では雷雨やら夕立が来てえらい目に遭います。少なくとも、八月一日以降はそうでした。すぐ向こうの山稜から響くカミナリを聞き、その稜線に落ちる稲光を見ながら、ハイマツと砂礫しかないこちら側の稜線を金属製ストックを持って歩くのは、ちょーっと度胸がいりました(ひょっとしたら無謀?)。
9 Aug 2001
山行記録を書くというのはけっこうエネルギーが必要なものです。どこそこに何時到着出発というレベルなら山行中に書いていますが、どこがどうだったとかそのときどう思ったとかは帰宅してから思い出しつつ書くもので、年に数回しか山に行かないのであればかなりの長さのものを何日もかけて書くというのも楽しい作業なのですが、わりとよく出かけるようになった昨今では精神的負担に感じることもままあります。

書くためには表現欲求が出てこないとだめなんですが、いろいろな理由でこれが抑制されることがあります。最近ではあまりに面白すぎる本を読んで心を占めたままが故に山の記録を書く気がおきないという状態で、このおかげで先日の「北岳〜塩見岳」になかなか着手できません。殴り書きすらできない状態です。

ある意味自分をうちのめしてくれた本の名は『スターガール』。芸能界の話でもSFでもありません。基本的には高校を舞台にした恋物語なのですが....と、ここでうまく説明ができれば心の整理がついて次の物事に着手できるんですけど。主人公の男女は高校生ですが、ここで「なんだ子供向けか」と思ってしまうと大損をします。なぜかというと....あ、だめ、やはり整理できない。

かなり前から小説をあまり読まなくなってきているのですが、学校の夏休みに合わせたわけではなく最近ひさびさに何冊か読んだなかでの一冊です。
13 Aug 2001
以前から予定していた夏山(二つの南ア山行)をこなしてしてしまって、今年の夏はもう終わりとなりました。春先からこのあたりに焦点を合わせて準備してきたので、ちょっと気が抜けた感じに陥っています。

ここで気を取り直して秋になったら行ってみたい山とかを書き出して予定表をつくってみると、意外と山に行ける期間が短いことに気がつくのです。一泊以上の山行を念頭に考えると、9月の中頃から10月の上旬までは雨なので行かないものとし、師走となる12月も大掃除やら何やらで外出できないと思えば、実際には10月半ばから12月の半ばまでの2ヶ月が自由の利きそうな期間となります。しかも毎週出かけられるわけではないので、たとえばテントを担いで行けるような山は年内ではかなり少なくなるのでしょう。

まだ8月も半ばを過ぎていないというのにこういうことを考えるのもどうかとは思いますが、根拠のない予定ばかり立てていていつの間にか実行できないまま終わってしまったと嘆くよりは、実現できる予定を早めに立ててそのなかでも大事なものを重点的に現実化させるほうが、あとあと後悔の度合いが少なくて済むだろうと思ってのことなのでした。

16 Aug 2001
出たばかりの秋の号の山岳雑誌を手にとってグラビアのページをめくると、そこには澄んだ空気の中に穏やかな笹原の稜線を広げる山が写っていて、まんなかに一筋、彼方の山まで続く山道が伸びています。そこここに紅葉の木々が散らばっていて見上げる空はいかにも爽やかそう。「ああ、こんな季節にこんな山に行きたいー!」と、夏バテ気味の「山の虫」が頭の片隅で動き出すのでした。
19 Aug 2001
台風が来ていて不安定な関東地方の天気ですが、ちょうど合間の晴れた日曜日、ほとんど山歩きをしたことのないひとたちと東京都のオアシス高尾山にハイキング。「高尾山」は同行した方たちからのリクエストで、ここならコースがいろいろ取れるし、そのどれもが登り一時間から二時間のあいだで初めてのひとでもなんとか歩けるだろう時間だし、いざとなれば登りも下りもケーブルカーが選択できるので計画する者としてはわりと安心してガイドしたのでした....と言いながら歩いたのは自分も初めて歩く琵琶滝コース。途中には小さな沢の流れの中にある飛び石を伝って登る箇所とかあって、こんなところを歩くとは思わなかった〜という感想もあったのでした(でも変化があって面白かったでしょう?)。

山頂部ではかき氷やところてんを食べたりおみくじを引いたりしながらぶらぶらと歩いてケーブルカー乗り場近くの山上ビアガーデンへ。ここで日暮れていく景色を見ながらバイキング形式の食事を摂りつつビールやワインを飲んで、いい気分で下山したのでした。いっしょうけんめい歩く山も達成感があっていいですが、こういうゆとりの山も肩が凝らなくていいですね。歩いているさいちゅうから筋肉痛になったみなさんご苦労さまでした(笑)。二三日続けてしっかりストレッチしましょう。
22 Aug 2001
この20日にNHK総合で放送された『ノンフィクションドラマ・遭難』というのを見ました。時は1964年、地元の高校山岳部の生徒五人が冬の悪天のなか岩木山に登頂した帰途、吹雪のせいで本来下りるべき方向とは逆方向に下ってしまって道に迷い、地元や近隣の山岳会の救助活動も間に合わず、一人を除いてみな疲労凍死してしまったという話です。

ドラマの前後や要所要所で生き残ったかたや捜索に携わったかたたちが映し出され、当時の証言やいまの心境を語る構成。物語は派手な音楽も演出もなく、そのかわりセットなしのオールロケで、てらいのない素朴な感触のまま進みます。遭難した生徒が通っていた高校は現在もあり、そこに現在通う高校生がキスリングを背負って雪山を彷徨し、青森県の役者さんや地元のひとたちが救援にかけつける警察や当時の地域のひとたちを演じていました。遺族のかたたちがいまも遭難地点に献花する情景の後、津軽富士とも呼ばれる岩木山の空から眺めた秀麗な姿で幕となります。

脚色されているだろうとはいえ、こんなに生き生きとした連中が十六歳くらいで死ぬもんじゃないですね....。たとえ道迷いに気づいたはずの時に下山を続けず、山頂小屋に戻って天候の回復か救援を待つべきだった、つまりいくらかは判断の誤りの結果だとはいえ、その代償は当事者の年齢に比べて高すぎるものでした。

原作にあたるノンフィクション『空と山のあいだ』(田澤拓也著)は、放映の翌日、amazon.co.jpでの売上が急増したようです。実はわたしも注文したうちのひとり。
29 Aug 2001
八月ももうそろそろ終了間近です。もうすぐ秋山シーズンなわけですが、勤労者としては今年も二泊以上の夏山にそこそこ行けて、ありがたいことだと思っております。....別に何かの宗教に走っているわけではありません。失業率が遂に5%を超えたとの報道を踏まえての感想です。

世界経済を見るに景気回復までには長くかかりそうですし、個々人の自助努力には限界がありますから、失業対策には真剣に取り組んでほしいものです、我が国の政府には。

自分もいつハローワークに日参する羽目にならないとも限りませんし....。

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