Preface/Monologue1999年2月


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4 Feb 1999
ついに風邪をひいて今週はさんざんな状態だ。38度の熱が三日続いただけでも久しぶりなのに、その三日目には仕事で職場に出ざるを得ない状態。因果な商売だな。

風邪だろう、とは思うものの、咳もくしゃみも鼻水も出ない。ただ無性に胃が痛かっただけ。今はかなり収まっているが、かつて背中にまで来た胃痛を経験しているだけに最初はかなり進行をおそれたものだったが、それほどのこともなくて現在はやや快方に向かっている。しかし金曜日に予定していた人間ドックはキャンセル。この状態でバリウムを飲んだり肺活量を調べるために力一杯息を吐いたり、負荷心電図を取るために自転車をこぐ気はしない。

夕方になったらまた熱が出てきた。ふとんに入らなければ。38度線突破が四日連続になったらさすがに困るぞ。

(お知らせ:「以前のPreface/Monologue」は今まで時間軸の降順に並べていましたが、今回より昇順に並べるようにしました)
6 Feb 1999
風邪で寝てばかりいると、そのうち熱があっても寝ているのが苦痛になってくる。こういうわがままを身体が言うようになるというのは、直ってきた証拠かな....

そこで、古い記録のリニューアルなどしてみたりするのであった。
あー、早く初夏の頃にならないかな。寝床から勢いよく飛び出していける日の長い季節が待ち遠しいわ。
10 Feb 1999
先週一週間ひいた風邪のおかげで、山もクライミングも中断している。この前の土曜日、翌日曜日に山に行く予定を立てたのだが、そのあとで幕岩にクライミングに行こうというお誘いが来た。先の約束を優先してお断りしたものの、結局風邪の後遺症やらなにやらで山にも行けずじまい。典型的な共倒れ。今週にはいって、よしこんどの日曜こそ山だ!と予定を組んだら、また「幕岩リターンマッチがあるんだけど行かないか」とのお誘い。タイミングが悪いとしか思えない。

本日の水曜は水曜でインドアのクライミングを再開するぞ!と週明け早々に職場の人と約束しながら、なんと会社のミーティングが夕方6時半から9時までの予定で入ってしまった。これって素面な時間帯はちょっとで、すぐ飲み会になだれ込むパターンなんじゃないか、と思うのだが、久方ぶりのセクションミーティングなので無下に断るわけにもいかず、泣く泣く晩のクライミングはキャンセルする羽目に。

熱だしてからどうも予定がうまくかみ合わない。単にあせっていろいろ予定を詰め込みすぎているのかもしれないけど。インドアのクライミングは、しかたないから木曜の祝日にまわすことにしよう。(遊ぶことばかり(笑))
11 Feb 1999
本日、神奈川県では寒そうな雨が降っている。なんか外に出たくないな。でもいろいろ予定があってこれからでかけなきゃならない。腰が重いな。

訂正:「常山」の記述のなかで、備中松山城主三村元親は常山城主上野高徳の妻鶴姫の子、などと書きましたが大間違いで、実際には鶴姫の兄だったことが判明(玉野市homepageによる)。玉野市史の記述を私が読み違えたためで、おかげで少なくとも30過ぎの三村氏主君を18歳以下の少年に仕立ててしまうという大失敗。というわけで、お詫びして訂正します。
16 Feb 1999
もう火曜日の夕方だ....月曜からいきなり徹夜作業が発生して、まる二日仕事だった。こういう週は速く終わってしまうものなのだよな。

ところで一昨日の日曜日、よく晴れわたった一日、私は足慣らしのために初めて重登山靴(単革)を履いて山に行ってみたのだった。選んだのは山梨県東部に峰を連ねる大菩薩連嶺の南端の滝子山。標高は1,500メートルほどだが、甲府盆地を渡ってきた風が笹子峠の周辺にぶつかって雪を落としているかと期待していた。

結果は、さんざんだった。ストレス発散のために行ったのが、かえってストレスを増大させてきてしまった。何がたいへんかと言って、雪の有無以前に、重登山靴が固くて固くて(そういう仕様なのだが)、両足の小指の第二関節が靴に擦れて痛くて痛くてしかたがない。最初の一時間、まだ山道に入らない段階で「こりゃだめだな」と悟った。

加えてこの靴がたいへん重い。一足2キロ近くあるんじゃないか。まるで鉄下駄を履いて歩いているようなものだ。だから脚が疲れる疲れる。結局、過去二回登った滝子山を今回は登り切れなかった。大鹿沢のルートは雪なんてほとんどなく、軽登山靴で十分だったのだが。

いやー、この靴を履くと足首が曲がらないものだから平地だとよたよた歩かされる。山でも急傾斜の登りや下りではバランスが取りにくいことこの上ない。これを履いて稜線を軽々と歩いている人たちが信じられないぞ。いったいどういう歩き方をしているのだろう。

しかしもう重登山靴はしばらくいいや。真剣な冬山もしばらくいいや。軽登山靴に戻ろう。帰りの電車の中でも、履いて座っているだけで小指の付け根が痛くて痛くてしかたがなかった。(ちゃんと履いて合わせて買ったんだが....(泣))
20 Feb 1999
今日の土曜日と明日の日曜日は仕事で自宅待機。ひとに依頼した仕事の完了を待ち合わせなければならない。というわけでどこにも行けない。

こういうときは、今後の山行計画でも練ることにしよう。
23 Feb 1999
連れの職場に泥棒が入る。洒落にならない金額が盗難に....
こつこつとみなで貯めたお金が一晩で消えてしまった。時節柄、全然裕福でない会社だけに、今後が心配だ。

しかし文字通り他人事ではない。慌てて、自分の家の印鑑と通帳のしまい場所を変えた。とにかく、これらを一緒にしておかないという基本原則をようやく実施した。
25 Feb 1999
盗難にあった同居人の職場だが、とりあえず持ちこたえられるらしい。この不景気下に大打撃なはずだが、みなしてがんばっていってほしいと思う。
その職場は新宿にある。警察の話によると、同じ日(日曜日)に同じ手口で中央線沿線の四谷とかでも盗難があったという。「どうもプロらしい」。最初はあまりの手際のよさに、これは内部事情に詳しい人が怪しい、以前在籍していた人の誰かではないか、という憶測も飛んだようである。

ところで本日夜はクライミングに行った。錦糸町のT-WALLに行ってみたら盛況で、どうもどこかの山岳会の有志か何かが集合をかけたらしい。登らず休んでいる時間が長い人も多かったようだ。

夜も遅くなって、受付で草野さんと話し込んでいるポニーテールの若い女性がいるのに気付く。ワインレッドを基調にした服装といい、熱心にジムの中を覗き込んでいる華奢な眼鏡といい、ジムではついぞ見かけない華やかな感じの人で、「こういう人もクライミングをするのか。カッコいいねぇ」と思っていたら、どこかのラジオ局のパーソナリティーだということだった。インタビューに来たらしいが、その内容は東京では流れないそうだ。それも変な話だが。
どうですかちょっと、とでも言われたのだろう、カーディガンに伸縮性のありそうなパンツ、という出で立ちでジムの中に入ってきたが、草野さんが登ってみせるスラブ壁を見上げてぼそっと一言、「これって、高いですね」。

それでも、ホールド何でもありでだが見た感じはすいすい登っていた。こういう職業は怖いもの知らずで行かないと勤まらないのだろう。大したものではある。
27 Feb 1999
今日は半日、東京は自由が丘を歩き回った。理由は、新着の雑記帳をご覧下さい。歩きながら何度も、「あーいい運動だー」と疲れた口調で繰り返しましたわ(笑)。

歩いている最中、東急目蒲線の奥沢駅に近い奥沢神社というところにさしかかり、鳥居に何か巻き付いているな、と思って見上げてみたら、頭が1メートルはあろうかという藁のツクリモノの蛇が頭上すぐからこちらを見下ろしていたのには本当に驚いた。その瞬間、町の喧噪が消えてなくなったようだった。蛇の全長は7メートルで太いところで直径40センチくらいか、鳥居の根本から這い上がって横木を渡りきり、重たそうな頭には10センチはありそうな目玉が二つついてこちらを睨んでいた。

ここは社殿も実に立派で、背の曲がったおばあさんが一人、近所からやってきたのか昼下がりに一人でお賽銭を投げて拝んで帰っていった。

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