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ここまでのCover Photo:お天気山の下山地点から鹿沼の鳴蟲山(と思う)を見上げる
1 Dec 2024
高崎へ。駅から徒歩10分ほどの中央ぎんざ商店街にある喫茶店”コンパル”に、プリンアラモードを食べに。先月上旬に高崎に来たものの、通り過ぎただけで街中に寄れず、だいぶ前に食べたフルーツパフェの続編としてようやく二度目の訪問が実現。缶詰ものをなにも使っていないプリンアラモードは至福の極み。メロンやパインに並んで柿が添えられているのが季節感十分。
山姿で座っていると店主の方に声をかけていただいた。これから下仁田に行くと言うと、荒船の方?と。山は明日登りますと伝えると、帰り際に気をつけて行ってらっしゃいと言ってもらえた。
それから上信電鉄に乗って下仁田へ、先月上旬に金剛萱に登った折のジオサイト巡りの続きを。今日は先日まわれなかった大桑原の褶曲と宮室の逆転層を見て、下仁田町立自然史館を訪ねる。
四ツ又山方面に徒歩移動中、南牧川に青倉川が合流するところ、長源寺橋を渡る手前で南牧川に落ち込む斜面に”跡倉礫岩”の露頭を見る。礫岩というので石がごつごつと出ているのかと思ったらそうでもなく、漫然と眺める砂岩と見分けがつかない。しかし顔を近づけてみると確かに礫が含まれている。色からして、その中に花崗岩らしきがある。
礫岩に取り込まれたこの花崗岩がいったいどこから来たのか、それが未だ不明だという。これが下仁田中心地から眺める御岳や大崩山、川井山などの跡倉クリッペ(根無し山)の故郷がどこなのかわからない、という問題なのだという。
その跡倉礫岩の実物を目にしてなんだか感無量である。なんということのない岩が、じつは大いなる謎なのだ。研究史は優に80年を超えるらしい。何億年か前に生成されたらしい岩を眺めながら、しばらく遠い気分に浸っていた。
さて大桑原の褶曲と宮室の逆転層。前者は跡倉礫岩の露頭から徒歩20分ほど。後者はさらに20分くらい歩く。
大桑原の褶曲は一見すると地層が褶曲してV字型(向斜)になったように思えるが、実際には山型(背斜)に褶曲したのが90度以上傾いているというもの。後者は完全に天地が逆転した地層の重なりで、上が古く下が新しい。しかしいくら見ても上下にひっくり返っている実感がわかない。重たそうな粒が下で軽そうなのが上に溜まるのが逆になっている、と事前に見た説明では書かれていたが、よくわからない。ここは詳しい人に「これがそうですよ」と解説してほしいところだ。こういうときもガイドツアーが有効だろうと思うところである。
宮室の逆転層は何段も重なった石段のような場所で、その上を歩き回れる。広い谷間なので日が回って暖かい。好天の日曜なのに河原には誰もいない。ハイカーはみな山に登っているのだろう。せせらぎが響く以外はたまに鳥が鳴くくらいでエンジン音も聞こえてこない。湯を沸かしてコーヒーを淹れたいところだったが、今日は登らないので水を持ってこなかった。日の光で暖まった岩の上に腰を下ろし、ペットボトルのお茶を飲んで済ます。
それから来た道を戻って下仁田町立自然史館へ。閉校した小学校を転用した施設で、教室四つを使って展示している。どことなく雑然とした展示だが、先月初旬から跡倉クリッペが気になっていたので、その関連、および岩石展示が役に立った。”跡倉層”と呼ばれるものには砂岩もあれば本日見たように礫岩もある、とか、宮室の逆転層は上流側は逆転層なのだが下流側は正常層であり、大桑原の褶曲の上半分が削れたような状態が現れている、とか。宮室の逆転層はもう一度見に行かなくてはならない。逆転層と正常層を比較して見てみないと。
なお、西上州には”本宿大陥没”というカルデラ発生が過去に二回あったという。荒船山が溶岩台地であり、鹿岳が火山岩頸であることからも火山活動があったことはわかるが、カルデラがあったということは知らなかった。もしくは忘れていたかもしれない。西上州、奥が深い。
2 Dec 2024
高崎から再び下仁田に出て、御場山に登る。
14 Dec 2024
師走もすでに半ば。寒さも強まり冬の本格化も進む。
日が出てないとどことなく陰鬱な一日に。
本当に秋はどれくらいあったのやら。
夏からすぐに冬になってしまった感が強い。
来春は、すぐに夏になってしまうのだろうか。
28 Dec 2024
2015年以来の登山規制がこの夏に解除された箱根駒ケ岳へ。
小田原からバスに乗って芦ノ湖畔の湖尻に出る。9時半で雪もないのにかなりの寒さ。本日は風がやや強く、加えて盆地状のカルデラ底に冷気が溜まったままなのかもしれない。遊歩道を行った先の登山口で身支度していたらひっきりなしにハイカーが訪れる。外国からの人も登っていく。山頂にロープウェイで登れる山に下から登る人は多くないだろうと思っていたが見当違いだった。神山・駒ケ岳に登れる正規ルートはこれしかないので集中しているように思える。
駒ケ岳へは基本的に登り一辺倒。釣鐘状のトロイデ型火山なので急登が目立つ。土壌が崩れ易いものだから階段状に補強された部分が多いことがそう感じさせるのかもしれない。登るにつれて見上げる木々の枝が白くなっていく。霧氷だった。雪はないが遠望する稜線が冠雪しているように見える。神山と駒ケ岳との鞍部に近づくと全身真っ白な駒ケ岳上部が青空を背景に視界を覆う。大観光地箱根とは思えない景色に息を吞む。
霧氷が樹冠から目の高さへ、そして足元に降りてくると山頂部は近い。飛び出した先はロープウエイ山頂駅の脇で、すでに観光地の世界。駅建物の裏に回ると彼方に富士山が半分以上雲の中。かわりに手前の愛鷹連峰が低いながら存在感を発揮。広い駒ケ岳山頂台地の湯歩道を散策し、明神ヶ岳、明星ヶ岳、その先に相模湾、相模平野、丹沢山地を遠望する。大山と塔ノ岳を視界に入れつつ北丹沢方面まで眺め渡せられる展望は新鮮だった。しかしこの時期の山頂は寒い。吹きさらしなのでなおのことだ。耳まで覆う帽子とネックウォーマーがないと厳しい。
周囲に社叢林はおろか風除けの石垣もなく風雨に晒され続けてきただろう箱根元宮に詣でた後、下山を開始。下れば下るほど寒さが和らいでくる。下から登ってきたハイカーの大部分はロープウェイに乗り込むらしく、10時過ぎの登りでも4,5人くらい、昼下がりの下りでは誰にも会わない。この下山がこの日最も心落ち着く山だった。
下山後は"九頭竜の森"という有料施設に立ち寄って九頭竜神社に詣で、さらに元箱根方面に一時間半ほど歩いて箱根神社にも参拝した。夕暮れの湖畔では湖面に立つ鳥居を背景に記念写真を撮ろうとする人々が列をなし、境内でもインバウンド多数のお客さんが朱塗りの拝殿前を往来していた。元箱根から満員のバスに乗って箱根湯本に出て、小田原に戻ったところでようやく落ち着いた。
本数の関係なのか人気度の違いなのか、行きの箱根湯本のバス停では湖尻経由の箱根園行(1番乗り場)は乗客がまばらで、小湧園経由元箱根行き(2番乗り場)は長蛇の列だった。また、本日は強風で早雲山と大涌谷間のロープウェイが突然運行停止になり、空いていた箱根園行にも早雲山駅近くのバス停から大挙して乗り込んできたが、ロープウェイの姥子駅近くでみな降りた。ぜひとも大涌谷に行きたいという人が多かったのだろう。
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