西上州の御場山は周囲を断崖に囲まれた山だとガイドにあって、下仁田や南牧村によく通っていた頃から気になる山だった。しかし西上州といえば南牧村に宿をとって基本はバスで移動しながら鹿岳や四ツ又山に登るのが当時の自分の定番で、御場山へはいったん下仁田駅に出てバスを乗り換えなければならない。乗り継ぎのバスの時刻が合わなかったからか乗り継ぎ自体が面倒だったからか、そもそも御場山が地図上では小さな山で大したことがなさそうと思い込んでいたからかなかなか足が向かず、そうこうしているうちに台風被害で従来のルートが廃道になってしまい、新たなルートは林道ばかりを歩いてかなりの高さまで行くもので、さらに魅力が減退したような気になり、そのまま忘れかけていた。
だが数年ぶりで訪れた下仁田でのジオサイト巡りが実に楽しく、これで西上州への憧憬が再び目を醒まし、いまの自分であれば林道歩きが長い方が体力筋力ともに適しているだろうことと合わせて御場山を山行候補に復活させた。こうして12月初旬に忘れかけていた山へ出かけていったのだった。
月曜日の朝、高崎を出た下仁田行きの上信電鉄は通勤通学客でそこそこ混んでいたが、終点に着くころには通学する高校生数人ばかりになっていた。学校は歩いて行ける距離にあるうえに方向も違うので、御場山登山口最寄りの初鳥屋行き始発バスに乗ったのは自分一人だった。定員が12人くらいのマイクロバスで、目的地である終点までは30分強。途中、見上げる岩壁や川沿いの珍しい岩など見どころがあるはずなのだが、バスの窓が小さいので視野が狭く眺望はほぼない。座席に身を沈めて軽快な走行に身を任せる。
初鳥屋は一車線道路が通るこじんまりとした集落だった。車道をなおも行き、家並みが途切れて視界が開けると前山の後ろの高みから日を一杯に浴びた三角錐の頭がこちらを見下ろしている。日暮山だろう。左手に川を見下ろすようになると右手に洒落た重機設備の会社が現れ、入り口わきに飲料の自動販売機がある。帰りはここでココアを買って飲もう。
初鳥屋から日暮山(奥)を見上げる
日暮山へ続く車道を右に分けると行く手の谷間に御場山の縁が見えだし、徐々に、北面に切り立った崖をまとう全容が現れる。なるほど形状は「カップケーキのよう」だが、そんな甘い表現は似つかわしくない重圧感だ。砲身を隠した巨大砲塔、見上げる卑小のものを威嚇する天然の要塞。鹿岳を筆頭に変わり者の山だらけの西上州にあって異様さでは引けを取らない。御場山は地図で見ると取るに足らないような小振りの山体だが、麓から間近に見上げれば「こんなものに登れるのか」と思わせられる。だが稜線に立ち並ぶ冬枯れの木々の枝ごしに空が透けて見えるのを目にすれば、そこまで行ってみたくなる。そのためには登らなければ。
しかしもちろん絶壁を登るわけではない。かつては今歩いている車道をさらに進んだ高立の集落から西麓の谷間に入って隣山との鞍部に登り上げ、そこから山頂を目指すのが一般的だったのだが、西上州のあちこちの山道を崩壊させた台風の来た年、この谷間のルートも荒れに荒れて通行不能となり、いまでは鞍部までのあいだは廃道となってしまっている。現在の一般ルートでは南に隣接する穏やかな山を林道で上がって御場山との鞍部に向かう。
萱倉橋から鏑川上流側に高立の一本岩を遠望する
山腹をめぐる林道に入るため、下仁田市街地を貫流して利根川へと注ぎ込む鏑川を萱倉橋で渡る。橋から上流を見やれば谷間の先に日の光を浴びて佇立する尖塔が目に入る。高立の一本岩だ。サウロンの目が先端にあってもおかしくない姿だが、今は明るくハイカーを見送っている。
橋を渡って一時間ほどで林道が右に分岐するところがあり、御場山へはそちらの旨の標識がある。2年前のガイドマップでは林道はここで終わり、その先は作業道のように書かれているが、工事で延伸されたのだろう。その作業道はやや狭くなったものの相変わらず林道で、あまり山に登っている感触がないまま高度を上げていく。御場山と隣接する山々との間は少々入り組んだ地形をしているようで、切通で尾根筋を越えるところが一度ならずあり、作業道自体も地図上では東進西進南進北進と縦横無尽で、徐々に御場山山頂がどの方向にあるのかわからなくなっていく。
右手の尾根が下ってきて撓むところで御場山登山口の標識が目に入った。ガイドマップには山の鞍部から山頂を目指すように朱線が引かれており、作業道はその鞍部では終わっているのだが、現場では作業道なのか林道なのかはさらに先へと延びている。ここが高立からかつて登路が登ってきた鞍部なのだろうか。もしそうであれば、ガイドマップでは(後で見たが国土地理院地図でも)鞍部から山頂へは辿ってきた道筋をまっすぐ行くような表記になっている。なので直進するのが正しかろうと、歩いてきた林道の右手にわずか高まる尾根筋に乗り、そのまま進行方向を変えることなく進んでいった。
登山道案内標識(右下)がある鞍部。作業道は先に続く。登山道は右手に戻るように上がっていく。
しかしこれは間違いだった。標識に右向きの赤矢印が大きく塗られていたように、実際には尾根筋に乗ったら戻り気味に進むのが正しかったのだった。まるで反対側に向かってることに気づかず、足元の踏み跡が妙に固まっていないことを訝しみながらも進んでいくと、先ほど離れた林道の延伸先に出てしまった。先を見てみると林道は下って行っているように見える。周りを見上げてみると下がっていく林道の上に延びる斜面が高そうだ。これが御場山なのだろうかと疑問がわいたが、登山道は当然ながら見当たらない。こんなところで道に迷うとはと気落ちしながら、原則通り確実なところ、登山口表示のあった鞍部まで戻ることにする。
戻ってもう一度尾根筋に乗る。再び誤った方向に進み、今度は高みを目指し、枝越しとはいえ周囲を見渡せるあたりで地図を広げ、コンパスを当ててみた。御場山は鞍部から見て北にある。その北を眺めてみると、いま登ってきたのとは反対側に鋭く三角形に高まる山がある。あれが御場山か。
再び鞍部に戻り、尾根筋を北へと辿っていく。踏み固められた部分が続くものの半信半疑で行くうち、いつしか登山道を外れて急斜面を登るようになっていた。下山時にわかったのだが、尾根筋を丹念に辿るのではなくやや右に外したところに山道は続く。しかし気づいたときは遅く、麓から見たとおりに傾斜の急な山だななどと思っているうち、木の根にすがって登るような羽目になっていた。一難去ってまた一難である。
見下ろすと5メートルから10メートルは木も生えてない斜面が落ち込んでいる。ここで滑れば制動が利かない。これは真剣に怖い。下りならともかく登っている最中に怖いと感じるのはあまり記憶にない。「登りに来たことを後悔する」気分が湧き上がってきた。ここで引き返そうかと思ったがそれも危ない。まずは安全なところに出ないと。斜度がそれほどでもない場所を目測し、二本の足だけで立てるところまで這い上がっていった。冬枯れの木々が立つ中、あいかわらず登山道ではなさそうなところを進むうち、足元は徐々に広く平坦になってきた。
足下は落ち葉が散り敷かれ、すでに山頂部と呼んでよい領域だった。木々がなく、北側から東側が広く開けたところが山頂で、木の幹に掲げられた山頂標識に“御場山”とあるのを見てようやく安心した。開けた場所におそるおそる進んで見下ろすと木々の樹冠しか見えない。そこは絶壁の縁だった。おかげで眺望は広い。なによりよく目立つのは妙義山の鋸歯状の山容だ。その右にやや低く高まる山の近くに岩塔がいくつか目立つ。どうやら御堂山とジジ岩・ババ岩らしい。地図と照らし合わせて、その奥に見えるのは大桁山のようだ。さすがに鍬柄山は小さくて判別できない。
山頂から妙義山、御堂山(右奥手前)、大桁山を望む
さらに右手遠くには御荷鉾山や稲含山の高い山々、そのはるか手前、御堂山と同じくらいの距離には物語山らしきが頭を出す。右上のスカイラインにはサメのヒレのような毛無岩、さらに右手には艫岩をこちらに向けた荒船山が大きい。登りに苦労したので下りはどうなることかと心配しながらシートを引いて腰を下ろし、湯を沸かしてコーヒーを淹れた。暖かいものを飲みながら眺める山々は、苦労して登っただけに貴重な姿に思えた。
ところで妙義山から西側の山となると鼻曲山や浅間連峰、近いところでは八風山だが、山頂では山頂台地に広がる林に隠されて見ることはできない。それでも最高点から北へ林床の合間を散策していくと、下りの傾斜が強まる前に木々の合間からひときわ高い浅間山が望めた。まだ全身白装束ではなかったがそこここに白い筋をまとい、山頂には噴煙と見まごう雲が浮いていた。
山頂からの下山は、まずは下り始めの踏み跡を間違えないようにした。山頂部は広いので漫然と歩きだすと危険な場所に導かれてしまうかもしれない。幸いに赤テープが目立つように付けられていたので、登りの時のように道を間違えることはなかった。下りの方が道型が判別しやすい。地図で見ると960メートル近辺で腰を落として下るような傾斜になったが、這って登ったことに比べれば楽と思える下りだった。とくに問題なく作業道に出た。
鏑川の畔に戻ってきた頃には、午後に二本しかない下仁田行きバスの一本目はかなり前に出てしまっていた。最終である次のバスの出発までは一時間半近くあるので、予定通り高立の一本岩を間近に眺めに行くことにした。見やれば、午後の日は一本岩の向こう側に回りつつあり、朝には日の光を浴びて輝いていたのが今では逆光で影になり、不穏な雰囲気を醸し出している。
それ以上に不気味な姿に変貌していたのが御場山だった。見上げる北面の断崖群は太陽を背に暗く沈んで重量感を増し、今にも崩れてこちらにのしかかってくるようだ。鏑川と御場山との間には多少の平地はあるのだが、耕作地や倉庫施設はあったが住居は存在していないようだった。落石や土砂崩れも心配な上にろくに日も差さず、終日押さえつけられているような心理的圧迫が絶えない山の麓に住もうと思う人はそう多くないだろう。壁にしてもほとんど日が当たらないので登ろうとするクライマーがどれだけいるだろうかと思える。もっとも、冬場のアイスクライミングの対象としてはよいらしい。
日陰になった御場山北面を見上げる
その感嘆する絶壁を仰ぎながら車道を歩いていく。徐々に上り坂となり、まっすぐだった道が鏑川の流れに沿ってうねるころにはそこそこ傾斜も出てきて、流れを見下ろすころに高立の集落に着く。舗装された車道はここで終わり、八風山に続く山稜に向かう道のりは未舗装の作業道となる。この辺りでは一本岩は手前にある植林が邪魔して見えない。その幹の合間から見下ろす鏑川上流部の水は日も差し込んでいないのに澄んだ青色をしている。上流で鉱泉成分でも溶け出してるのかもしれない。小さな釜が連続して滝になっているところは奥秩父の西沢渓谷にある七ツ釜五段の滝のミニチュア版かと思えた。
作業道は広かったがもはや日が差し込まず暗い。一本岩は近づくと植林の上に突き出す上半分くらいしか見えないか、間近に寄ると大きすぎて下半分しか見えないかという見え方で、全体像はよくわからなかった。しかし一本岩の周りには丈は低いものの似たような岩塔がいくつかあるとわかった。もし植林が無ければ一本岩を盟主としたちょっとした岩塔群が見られるだろう。これだけわかったのでここまで来て良しとした。
高立集落を過ぎて見上げる一本岩
一本岩の基部から引き返し、再び御場山の絶壁を見上げながら初鳥屋のバス停に向かった。予定していた通り重機の会社の脇の自販機で暖かい飲み物を買って飲み、バスが来るまでの時間を停留所周辺を歩き回って過ごした。バス通りでもある車道の下仁田方面を遠望すると、屏風のような垂直の岩壁が連なっているのが目に入る。地図を見てもとくに名前もない。かなりの大きさの岩壁が当たり前に存在している、それが西上州なのだった。
2024/12/2
Author:i.inoue
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