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ここまでのCover Photo:鶏鳴山との縦走路から望む笹目倉山
2 Nov 2024
川崎市岡本太郎美術館に、淺井裕介の作品を見に。土を塗料に生けるもののイメージとでも呼べるものを大画面に描く作家。岡本太郎の作品を任意に選んで、自作品を併せて展示するというもの(淺井裕介の他に福田美蘭の作品も展示)。大作をたくさん見られてたいへん満足。
本日は作家本人が登場してギャラリートークを。かなりの人だかりのなか、観客との対話も交えながら作品作成の苦労とか自作鑑賞方法、"キャンバス"というものの捉え方など話してくれる。
作品を目にするのは 2019年の横浜美術館での展示以来久しぶりだが、作家本人は毎年活動していて、昨年も東京・山梨・福岡などで展示を行い、今年にしても千葉・福井・愛知などで作品を公開している。2016年にヴァンジ彫刻庭園美術館で大壁画一点を展示したときはそれだけを見に出かけたものだけど、どうも自分は追っかけの熱意が足りないらしい。関東山梨くらいはでかけたいところ。
しばらく前までは作品自体に語らせる/作品さえあればよいはず、と思っていたが、それではそのときの自分の力量でしか対象の魅力を引き出せない。先日出かけた詩人のときと同様、作品鑑賞がより楽しめるようになるので、とくに本人の言葉は聞いて損はないと思うようになった。
物故された作家は残された言葉を聞くしかないが、それでも先週でかけた田中一村展のように、絵を見る以上に作家の生涯なりその都度の言葉なりを(全部は到底無理だが)目にすると、受け取り方はだいぶ変わってくる。少なくとも親密さは増す。
美術館関係者内での特別なイベントがあるのか、他の美術館関係者のかたも来館しているようだった。立食パーティみたいな準備もされていた。開館25周年記念なのでその祝賀会でも行われたのかもしれない。
4 Nov 2024
高崎から出る上信電鉄に乗りに。
下仁田少し手前の神農原で降り、駅から周遊できる”神成山ハイキングコース"を歩く。登山口近くの宮崎公園で国内最古といわれる移築民家を眺め、案内に従って舗装道を行き学校脇から山道に入る。最高点でも350メートルくらいだが、駅がすでに200メートルくらいなので標高差はわずか。しかし”神成九連峰”とされているだけあってアップダウンはある(半分くらいはただのコブの気がするとはいえ)。奥まったところの派生コブには石碑がいくつか立ち並び、修験者が飛び歩いていたのではと思わせる雰囲気があった。稜線ではほぼ常に彼方の稲含山や四ツ又山、鹿岳を眺められる。山行後半に眺められる大桁山の大きさに比してその手前の鍬柄山はただの小さな岩塔でしかない。いずれにせよ馴染みの面々に再会できて気分は上々なのだった。
山を下り、登山口へ戻り気味にそのまま歩いて下車駅一つ手前が最寄り駅の上州一ノ宮、貫前神社へ。上信電鉄の本数が少ないので歩いて行くことにしたのだが、宮崎公園から続く台地上を行けばよかったのに鉄路近くまで降りてしまい、しかも車の往来がイヤだったので近道をしようとしたら住宅地と農地が入り交じる台地の尾根筋を二度ばかり上下する羽目に。ようやく着いた神社の門前では見上げる参道がそれは長々とした坂で、しかも登り着いた場所から拝殿本殿へは下っていくという、なかなか珍しい立地なのだった。本日の神成山は下った後も山歩きをしたことになった。
壮麗な神社の敷地を巡った後、上州一ノ宮駅から高崎に帰ろうとするもあと一時間は電車が来ない。駅近くの車道沿いにKFCがあったので食事かたがた時間潰しに入った。ホームで風に吹かれながら待つよりは楽に過ごせた。夕飯の時刻が近いせいかテイクアウトで来るお客はあるものの、イートインで入ってくるお客はいなかった。
5 Nov 2024
高崎市内の宿を出て、始発の上信電鉄に乗る。本日は終点の下仁田まで行き、金剛萱を登る。
駅から山頂まで周遊だが、そう長くかからないはずなのでいつもバスの車窓から眺めるばかりだった景色をながめ眺め行く。牧口橋からは見渡せば跡倉クリッペ(根無し山)群、見下ろせば鏑川畔の青岩。小沢岳登山口へ続く車道に入れば、のしかかるような大崩山の裾を洗う青倉川畔に根無し山(の元となった地層)が滑った跡だという断層が覗いている。
川縁に下りられるのであれば下りるを繰り返していると、駅なら一時間は待たなけらばならなかった午前中一本だけの路線バスが追い越して走り去っていく。よほどのんびりしてるなと自分でも思う。
小河原バス停から集落を抜けて林道に入る。傾斜がほどよく、じつに歩きやすい。途中にはふんだんに出ている水場もあり、登るにつれて妙義山や四ツ又山、鹿岳が見通せるようになっていく。トレランの大会かなにかの案内があって林道分岐も迷うことなく、木々が切れて空がかなり広くなったと感じるところで意味不明な広い平坦地(いったいどこから上げたのかと思える重機が放置されている)を目にすれば林道歩きも終了が近い。
ヤセ尾根に乗ってしばらくで驚く傾斜の尖塔状ピークを目にすればそこが山頂だった。石祠石像が立ち並ぶ頂は狭く、4人パーティでも窮屈に感じそうに思える。しかし展望は雄大そのもの。鹿岳が目の前。下仁田市街が眼下。そしてなにより、妙義山が正面に牙を剥く。その右手に榛名山がゆったりと。さらに右手に赤城山が茫洋と。上毛三山を一望にできるとはなんと贅沢。妙義山の奥には鼻曲山に浅間隠山。浅間連峰は主峰からして雲の中なのは残念だが、これだけ広々と見られれば文句なし。コーヒー豆もすぐに挽き切ってしまう。
下りは滝の下バス停側へ。登りと同様、山頂直下はイヤになる急坂、しかもこちらは長い。斜面のそここに不動明王や石祠が並び、ここも修験道の山だったかなと思えるのも気休めで、早く作業道にでないかなと念じつつ慎重に下る。その作業道にやっと出て、安心して幅広の道を歩いて行くと、左手に作業小屋が見えてくる。そこは分岐になっていて本来であれば右に行くべきを、小屋の建つ左手に入ってしまい、最初こそ広い道だったのが急速に幅が狭くなり、とうとう沢筋に沿って下り出すところになって山道が錯綜するようになってしまった。
地図には車道を歩くように書いてあるのにいくらなんでもこれはおかしい。すぐそこで石灰岩を扱う工場の操業音がする。それに釣られて下っていきそうになったが、やはりここは基本通り、元に戻ることにした。作業小屋まで戻って、ようやくどこで間違えたか理解した。
まだ下っている最中に、山中を散歩している地元のかたと出会った。いまの道間違いに興奮していたのか、少々眺めに話を聞いてもらって別れ、 そのあとは間違うことなく下っていった。そのまま休むことなく下仁田駅まで歩き、一時間に一本くらいの電車が出る10分前に着いた。もう少し早い時間であれば途中下車して山名八幡宮に詣でようかと思っていたが、ジオサイト巡りと道間違いで時間をとってしまったので、根古屋城址探訪と併せてまた後日とした。
10 Nov 2024
連れの実家に里帰りしたついでに連れと山に登る。児島半島の怒塚山。これで3度目か。山頂からはいつものように金甲山が(アンテナだらけだけど)凜々しく眺められた。
前回登ったときと同じく、淡水湖畔の郡登山口から登りだして山頂を踏み、金甲山への縦走路途中の”甲ノ上261m三角点”から中池に下る。児島半島のみに限らずこのあたりの地質は花崗岩のため、前回同様足下が真砂土で滑りやすい。標高は低いがお気楽には歩けない。しかも送電線だか何かのワイヤーを通すため斜面の木々が若木も含めて新たに伐採されているところもあり、手がかりがなくて初心者クラスには厳しいところもあった。
”甲ノ上261m三角点”からの下りは前半はよいものの、途中の128番高圧線鉄塔から下は稜線道同様に滑りやすい真砂土で難儀する。中池近くになると最近伐採されたらしい雑木林の木々が登山道脇に積み上げられ、これから伐採予定なのか、太いのやら細いのやら多数に荷造り紐が巻かれている。電線を通す場所でもなさそうだし植林を運び出す場所でもなさそうで、なんのために直径が2~3センチの若木まで含めて全て伐ろうとしているのかわからなかった。
11 Nov 2024
用事を済ませ、昨日同様に連れと山へ。本日は貝殻山。いつものように児島半島の宮浦近くにある登山口から中尾根の往復。
登山道は昨日同様に真砂土の道なのだが、傾斜がそれほどでないせいか怒塚山より楽に歩ける。キツい山を最初に登っておいたのは正解だったと連れが言う。途中、送電線鉄塔が立つ手前で左手の谷間から巡視路が上がってくるが、いつ行ったのか驚くほど綺麗に整備されている。登山道にあった花崗岩を破壊してまで幅を広げている。小型トラクターでも通せそうな道幅だが、そんなことをする必要があったのだろうか。鉄塔を過ぎるとまたもとの山道に戻った。
広い山頂には誰もおらず、開放感の中、これもいつものように湯を沸かしてコーヒーを淹れる。11月も中旬にかかっているというのに日差しが暑い。芝生のような草原の中央には桜の木が三本立っているのだが、どうもすべて枯れてしまっているらしい。往復で歩いた登山道でも桜がかなり枯れていた。病気か害虫が蔓延したのだろうか。花見の山でもあったと思うのだが、春はかなり寂しいものになってしまっているかもしれない。赤松らしきもかなり枯れていたように思える。
12 Nov 2024
岡山滞在で連れと連続三日目の山歩き。本日は王子ヶ岳。
連れが下るには厳しいので児島唐琴町側の登山口は登下山とも使わず、渋川からの往復。二日前の怒塚山の登山道は記憶に新しく、階段道が多いとはいえ滑ったり崩れそうになったりしないから、王子ヶ岳も貝殻山同様に楽に感じると連れが言う。確かに。
しかし登り出しの急登は短いとはいえ汗をかかせられる。斜度が緩むまで日を遮るものがないのでとにかく暑い。いくら”晴れの国岡山”でも11月にこの暑さはないだろうと思うことしきり。
山頂ではパラグライダーが10機くらい飛んでいた。間近に見るのが初めての連れはかなり興奮していた。「でも怖いからできない」。見ていると、やや初心者風のひとがなかなか飛び立てず、しまいにはサポートのひとに背中を押されて飛び出していった。有料のパラグライダー体験は二人乗りだがこの人は一人で飛んでいったので、まだ慣れてないのかも。
山中にはウエディングドレスのような衣装で花束を持った若い女性が撮影のモデルをしていたり、晴れ着を着た小さな子供連れの三世代家族がいたりとかなり観光地色が強く、喫茶営業しているレストハウスに入ってくるお客も都会的な身なりが多かった。山頂直下に駐車場があるのでさもあらんかと。
なお稜線上にある巨大な”ニコニコ岩”は、このレストハウスの外壁にかけられていた観光案内図によると”ジャイアント岩”となっていた。元はそう呼ばれていたのだろう。
16 Nov 2024
成田山新勝寺を初参拝。
参詣する前に門前町で名物の鰻を。昔の人は江戸から一泊二日で徒歩で成田について泊まり、翌日にお寺に詣でたそうなので、順序としては正しいはず。とはいえついついビールも頼んでしまって、その後”葷酒山門不可入”の禁を破りまくり。
境内はすぐ見終わってしまうのかと思われたもののそんなことはなく、やたら大きな本堂や極彩色の三重塔や床のない額堂や縁側のない光明院、さらには内部が広く絨毯敷きで座り込んで休める平和大堂とか、各所で御朱印まで頂いてまわるとわりと歩みは遅くなる。
本日は”成田山公園紅葉祭り”の日に当たるとのことで、園内にある書道美術館では本日明日の二日間のみ開催の『昆虫展』があり、たまたま寄ってみるとこれが楽しく、ヘラクレスオオカブトの長い角の裏側を触らせてもらって絨毯のようにふかふかなのを体感したり、とにかく大きいマダガスカルゴキブリ(生きてるヤツ)を見ることができたり。のそのそしていて嫌悪感低め。
書道美術館は普段は入館有料だが”紅葉祭り”の日は無料で、見事な書もいくつか拝見。アートな書体には足が止まる。池の畔では祭りのイベントの一環で二胡の生演奏があり、
対岸で多くの人たちが岩の上のそこここに座って聞いていたのがなごやかな感じだった。
23 Nov 2024
連れと三浦半島の乳頭山へ。いつも午後から登り出すのを本日は昼前にしたら人影が目立つこと目立つこと、東逗子での団体は鷹取山に向かったものの乳頭山も賑やか。午の山頂では三組も休憩している。本日が好天の祝日だったからかもしれない。その山頂、東京湾越しに筑波山まで望める眺望だったが、風が強くてあまり長居はできなかった。駅前の蕎麦屋で二人して丼もの+麵のセットを食して帰宅した。
24 Nov 2024
今年で8回目の川崎市麻生区”緑と道の美術展”。一ヶ月限定での野外彫刻展で、ジャンクアートっぽく見えるものや傍らに説明板がなければ見過ごしそうなものもあるが、谷戸の底に刻まれたランドアートは見応えがあった。例年、見下ろす浅い谷間に設置される作品には見応えのあるものが多い。
その谷戸の背後に高まる尾根筋を上がり、コースを外して尾根の反対側に出て車道を高みへと上っていくと川崎市最高地点と言われる高区配水池に突き当たる。その脇から伸びる小道を辿っていくと明瞭な尾根筋の散策路に出た。”よこやまの道”で、すぐ近くに眺めの良さそうな高みがあり、登ってみると”防人見返りの峠”という展望地だった。峠と言いながら小高い丘で、丹沢山塊から奥多摩、奥秩父、大菩薩、秩父の山々が見渡せる。山座同定ができるよう解説板があり、晩秋の空気のおかげで金峰山くらいは見分けられたが、解説板に記載のある農鳥岳や塩見岳は霞んで見えなかった。
この塩見岳、解説版では"潮見岳"、標高は3,047mと記載されている。この数値は三角点のある西峰のもので解説板設置時点ではそれで通っていたのだろう。現在では塩見岳の標高は最高点である東峰の3,052mとされており、最近の国土地理院地図にもその記載がある。名称の漢字が誤っていることと併せて、塩見岳が3,052mと認識している人は、この解説板の潮見岳とはどの山のことかと思うかもしれない。
28 Nov 2024
鎌倉市にある鎌倉歴史文化交流館の『北条氏150年 栄華の果て -鎌倉幕府滅亡-』を観に。この日は学芸員による館内ガイドツアーが催行される日で、それに合わせて出向いた。パネル展示だけであっても、単に文字だけが書かれた史料であっても、説明を聞きながら見れば面白みはだいぶ変わる。先日の岡本太郎美術館でのギャラリートークの経験から、漫然と眺めるよりきっと面白かろうと来たのだった。
何が見たかったかというと、幕府滅亡後も鎌倉奪還のために戦い続けた北条時行の残した書状。当然ながら”逃げ若”の通りの人物ではないにしろ、なるほど確かに存在していたのだとこの目で。同じように”逃げ若”の時行に惹かれて来る人は多いらしく、ガイドツアーの学芸員のかたも「最近ではかなり有名になりまして」。史実を説明する際には「ネタバレになってしまいますが」と断りながら説明されていた。一方で、時行の敵になる足利尊氏については過去のツアーでは「サイコパスだったんですか?」と質問した参加者もいたらしい。”逃げ若”を読めばそうとしか思えなくなるのだが、サイコパスであったかどうかはともかく、尊氏は敵方の供養を行い、貰ったものを人に惜しみなく与えてしまう度量の大きさがあったとのこと。
施設は駅西口から徒歩7分、銭洗弁天に向かう途中にあり、海外の著名な建築家が設計したそれは見応えのある建物で、この建物を観るだけのために来る人も多いとか。本日のガイドツアーは最終日だからか参加者も多かったらしく、学芸員二名で二組に分かれて催行された。
その後、第四回目の鎌倉三十三観音巡りに。本日は十三番別願寺から十六番九品寺まで。風が強い日で、訪ねるお寺の境内ではプランターや花のフェンスが倒れていた。
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