神道


神道の特徴
1)全てに神が宿るアニミズム―八百万の神;『古事記』『日本書紀』等に描かれた神々
2)生命力への信仰―古びたものや死や病気は穢れの現われ、
3)穢れを祓う儀式―水による禊祓(みそぎはらえ)など、
  神への祭りにおける一体性

神道の基本的知識
本地垂迹説―仏教の影響下に、本来の姿(本地)は仏であるが極東の日の本の国に転生して神として現われた(垂迹)とする思想。天照大神(あまてらすおおみかみ)は大日如来、大国主命(おおくにぬしのみこと)は大黒天といった具合に、どの神も本地を持つことになる。
陰陽道(おんみょうどう)―マンガ『陰陽師』や京極夏彦の(『姑獲鳥(うぶめ)の夏』以下の)「京極堂」シリーズで有名になったが、陰陽二元論に基づく呪術信仰。本来は道教であろう。
吉田神道―室町時代に吉田兼倶(かねとも)が大成した神道の重要な立場。人を神として祀り、朝廷や幕府の庇護の下で、各神社が祀る神々に神位と神職の位階を与え、全国の神社を組織化した。
国家神道―明治以降に生まれた、天皇制を中心とした国家主義の神道。

仏教の「仏性」の思想、すなわち、
すべての生命は、そして生命だけでなく草や木や石に至るまで、この世界のすべてはブッダ(=生命・真理)であるという考え
(鎌倉時代に「本覚論」として議論が深化した)は、神道との相性が良く、神道と混ざりあっている。

0 原始神道

「原始神道は、多神教であり、その礼拝の対象は、カミ(神)とよばれるのがふつうであったが、ほかに神、霊を意味するタマ、モノ、ヌシ、その霊威や呪力をさすイツ、チ等のことばも用いられた。神々のかなでは、山岳、岩石、海、水、大地、動植物をはじめ、風、雷等の自然現象を神格化した自然神が、圧倒的に多かった。自然神の主力は、農耕と関係のふかい自然の諸存在と諸現象の神格化であり、…。オオヤマツミ(山の神)、ワタツミ(海の神)、ミクマリノカミ(水源の神)等は、有力な自然神であった。」
「原始神道では、人間が神に奉仕したり神意を問うためには、罪、けがれ等のマガツコトを避けて、清浄になる必要があるとされた。ツミには、生産活動の阻害や、物をそこなう行為、奇形、特定の性行為、虫害等の自然災害があり、ケガレとしては、死をはじめ、のちには蕃神(外国の神)も数えられた。清浄になるためには、一定期間のイミ(忌、斎)すなわちタブーを守る特別な生活をした。ツミもケガレも物質的な付着物と考えられ、これらを払いおとすことをハラヒといい、とくに水に入って洗いおとす行為をミソギとよんだ。ハライのさい、身についていたマガツモノは、草、人型、茅輪等のハラヘツモノにつけて水に流した。」
(村上重良『国家神道』(岩波新書 1970年)

1 アニミズムの世界観

「日本宗教は根本的には調和――人間間のそれと自然とのそれ――に関心を寄せる。伝統の諸々の要素を見ると、調和の解釈にはいくらか違いがあっても、それぞれ特有の見方がある。しかも、それらのどれも、結局のところ、儀式、振舞い、ほとんど舞といった生活の表象に凝集し、これらに表現されているものは、宇宙の一切の存在に慈しみをもち、心くばりをしている情念である。
 神道の信条では、人は八百万(やおよろず)の神々を崇拝し、神々は森羅万象のうちにひそみ、人間のあらゆる営みを見守る。神道は、祭りで最高潮に達し、神々と人間がともに喜び、舞で大地の恵みを祝うが、この舞こそは生活の範を示すものとなっている。
 仏教の信条では、仏性はあらゆる存在、人間、動物、山、川、瓦のかけらから道の塵にさえ存在する。人は、この知恵に応え、仏性をあらゆる存在に、また人間自身のうちに表現しようとする。ごく普通にお茶を飲み、歩き、臥しかつ睡眠をとる。それでいて、どんな行為をしても、それらは数知れない他人の行為に対し非のうちどころなく、適切に応じたものとなっている。そのために、宇宙それ自身は互いに呼応しあう舞手がリズムの巨大なネットを織りなしているとみられている。
 儒教にあっては、天地が人類の秩序と同じ秩序をもつと認められている。生活は各人それぞれの役割に応じた遂行をし、他人を配慮する儀式的パターン(礼)である。」
ベラー『徳川時代の宗教』 池田昭訳(岩波文庫)

『古事記』『日本書紀』等における「神」概念
「さて凡て迦微(かみ)とは、古御典等(いにしへのみふみども)に見えたる天地の諸(もろもろ)の神たちを始めて、其(そ)を祀(まつ)れる社に坐(いま)す御霊(みたま)をも申し、又人はさらにも云ず、鳥獣(とりけもの)木草のたぐひ海山など、其余(そのほか)何にまれ、尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳(こと)のありて、可畏(かしこ)き物を迦微(かみ)とは云なり。」(本居宣長『古事記伝』神代一之巻)→古事記

2 折衷主義(シンクレティズム)

習合と復古主義
「神道は、わが国固有の宗教として、日本の歴史を一貫して生きつづけてきた。各時代の体制的イデオロギー(仏教・儒教・国学・国家主義)は神道を取りこもうとして、それぞれの思想で神道を説明してきた。神道またその刺戟を受けて自らを語ろうとした。しかし神道は元来「ロゴスとしての思想」を持たなかった、というよりもむしろ持とうとはしなかった。国学者が、日本には自然の神道があるといい、「古への大御代には道といふ言挙(ロゴス化)はさらになかりき」(宣長)といったのは、正しい認識であった。したがって神道が自己をロゴス化しようとする場合には、その時々の有勢な思想、ときにはそれに反対する有力な思想の助けを借らねばならなかった。
 神道が、ある程度、体形のある思想を持つようになったのは、私のいう古代末期の「(神仏習合思想としての)本地垂迹思想」以降のことである。この神仏習合思想から脱れようとした神道は、易や老荘の教えを借りて己れを語ろうとした。これが「神道五部書」である。これには仏教の影響はほとんど残っていなかった
 ところが、吉田神道がおこって、「五部書」の精神をつぎながら、時代の論理に従って易・老荘の教えはもとより、さらに仏教を包摂してしまった。そこで神道が再び易理を借りて己れ自身を語ろうとしたのが度会延佳の度会神道である。ところが度会神道を継承しながら、再び儒教と習合したのが山崎闇斎の垂加神道である。この神儒習合神道は全く仏教の影響をとどめていなかった
 ついで儒教から逃れようとして国学を借りて神道自身を恢復しようとしたのが本居宣長の古学神道である。しかし実際は国学との習合であった。この神国(神道国学)習合神道は儒教の影響を全くとどめていない
 ところが、さらにキリスト教とも習合してしまったのが平田篤胤一派の神道である。
 ついで時勢が一変すると、神道は篤胤一派の神基習合説を捨てて、穂積八束らの説く家制国家主義(天皇制国家主義)と習合して、いわゆる国家神道になった。平田一派の唱えた神基習合神道と国制国家主義と集合した国家神道とが全く別種のものであることはいうまでもない。
 やがて日本は未曾有の敗戦を経験して、アメリカ進駐軍から国家神道を禁止されると、その直前まで神道の本質は皇国主義だと国民に信じこませてきた神道は、あっさりと国制国家主義を放棄してしまった。それは国民に国家主義は神道の本質ではなく、たまたま習合していた思想に過ぎないことを教えるかの如くであった。その上、民主主義思想と習合すべしと、ひそかに考える若い神官が伊勢神宮にさえ現われた。
(中略)
…神道の展開は、前代の他の宗教・思想の影響をすっかり払拭(はらいおと)して、いわば原型へ復帰した上で、新時代の宗教・思想の影響を迎えいれるかの如き観を呈している。神道の本質と時代時代の宗教・思想の影響との関係は、「着せ替え人形」における人形と衣裳との関係に似ている。」
石田一良『日本の思想14 神道思想集』(筑摩書房)

3 国家神道

杉本五郎『大義』
(著者は軍人、日中戦争に従軍戦死した。天皇信仰に収斂される宗教的超国家主義の典型として、日本的なものの極点をなす。この時期の社会的気分に規範を与え、青年層の純粋な意識に訴えた。一九三八年(平凡社)刊。)
第一章 天皇
天皇は 天照大御神と同一身にましまし、宇宙最高の唯一神、宇宙統治の最高神。国憲・国法・宗教・道徳・学問・芸術ないし凡百の諸道悉皆(しっかい) 天皇に帰一せしむるための方便門なり。すなわち 天皇は絶対にましまし、自己は無なりの自覚に到らしむるもの、諸道諸学の最大使命なり。無なるが故に、宇宙ことごとく 天皇の顕現にして、大にしては上三十三天、下奈落の極底を貫き、横に尽十方に亘(わた)る姿となり、小にしては、森羅万象 天皇の御姿ならざるはなく、垣根にすだく虫の音も、そよと吹く春の小風も皆 天皇の顕現ならざるはなし。…
日本臣民は自己の救済を目的とせずして、皇威伸兆を目的とせざるべからず。…
天皇への修養すなわち忠は、あくまでも 天皇それ自体のためならざるべからず。…
天皇は国家のためのものにあらず、国家は 天皇のためにあり。

第二章 道徳
天皇の大御心に合うごとく、「私」を去りて行為する、これ日本人の道徳なり。…
天皇の御守護には、老若男女を問わず、貴賤富貴にかかわらず、ひとしく馳せ参じ、もって死を鴻毛(こうもう)の軽きに比すること、これすなわち道徳完成なり。天皇の御為に死すること、これすなわち道徳完成なり。この理を換言すれば、天皇の御前には自己は「無」なりとの自覚なり。「無」なるが故に億兆は一体なり。天皇と同身一体なるが故に、われわれの日々の生活行為はことごとく 皇作 皇業となる。これ日本人の道徳生活なり。…」
吉本隆明編『現代日本思想大系4 ナショナリズム』から引用。)


参考文献
井沢元彦『逆説の日本史』シリーズは、長いけど、ケガレ(→タタリ)といった
神道に典型的に表れている日本人の宗教思想の影響を視座に据えた、日本歴史の通史。
もちろん、すべてが正しいとは思えないが、
(中国でディスって「卑」などと書かれた)「卑弥呼」の本当の名は「日(の)巫女」であり、天照大神のことだ、とか、
『万葉集』の柿本人麻呂が「歌聖」と言われ、『古今集』の小野小町等が「歌仙」と言われるのは、(タタリを避ける)鎮魂のためだ、といった大胆な主張も多く、
至る所に、ミステリを読むような面白さがある。もちろん一般的な歴史の知識も学べる。
最初から読もうとすると途中で挫折するだろうから、興味のある所から読み始めればいいと思う。(私は江戸時代から読み始めました。)


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