Duke Ellington

『スイングジャーナル』1964年12月

GOLDEN AGE OF ELLINGTON
エリントンの
黄金時代

〜1927年から1940年までのデューク・エリントン〜

 アメリアのコロムビアが断行したクラシック・ジャズの再発政策は遂に我国にも波及し、ビリー・ホリデイ、フレッチャー・ヘンダースンに引き続いて、デューク・エリントンの黄金時代の名作を網羅した三枚組のセット物が世に出ることになった。モダン・ジャズのレコードばかりが幅をきかせていた数年前や、ジャズのレコードそれ自体が虐待されていた一昔前の我国レコード市場の実体を考えると、全く以て今昔の感にたえない。
 ぼく自身の好みから言えば、エリントンのバンドが最高の境地を究め得たのは1940年のことだと思う。レコードで言えば、このアルバムに収められた最後の録音である40年2月の吹込みを終わってRCAビクターに移籍してからのことだ。アーチストを評価するに当って、レコード会社との契約は絶対に無視出来ない大きなファクターだが、前年の秋にジミィ・ブラントンの強力なベースを加えて最高の陣容を作り上げたデュークは、ビクターとの新契約成って新しいより高度なバンドカラーの創造めざしてスタートする気持ちになったのではあるまいか。それまでの甘さとペーソスに代って、よりメカニックな重厚な音の積み重ねがバンド全体を貫く特色として前面に押出されて来た。しかし、熱心なエリントン・ファンの中には、40年以前の……技巧よりもむしろ持味を生かした甘さと郷愁に満ちたバンド演奏の方を高く評価する人々も、大勢あった。そういう人達にとっては「1927年から40年まで」とサブタイトルされたこのアルバムは何物にも換え難い宝物であろう。この時期、デュークは、コロムビア、ビクター、ブランスイックと転々と吹込み会社を変え乍ら精力的な録音を作っている。40年を一つの頂点として、ひたすらに前進意欲を燃やし続けていた頃のデュークの自己改革の貴重な歩みの跡がここにある。複雑な原盤関係からか、予想していた原盤が納められていないという難点も多少はあるが、一社の棚ざらい的なこの大企画に対しては全く最敬礼あるのみだ。量的質的に考えて、これをデューク・エリントンの最高のアルバムに数え挙げる人々が多いのも決して不思議なことではない。
 このアルバムに納められている最も古い演奏は、27年3月の「イースト・セントルイス・トゥードル・ウー」と「ホップ・ヘッド」の二曲であるが「イースト・セントルイス」は初期のバンドのテーマ曲であり、「ブラック・アンド・タン・ファンタジー」や「クレオール・ラヴコール」と並び初期のデュークの傑作曲のひとつである。しかし、当時のエリントンのバンドに在ってこれらの名曲の演奏に不朽の生命力を与えたものは、アレンジャー、コンポーザーとしてのデュークよりも、むしろコンポーザー、プレイヤーとしてのバッバー・マイレイの存在ではなかったか。26年の暮れから28年の初めにかけて、デュークは五度にわたって、「イースト・セントルイス」の吹込みを行っており、遺憾にして僕はその全部を聴く機会に恵まれてはいないが、バッバー・マイレイの強烈なパースナリティを表看板にした初期のバンド演奏の中に在って、次第次第にアレンジャー、リーダーとしての地歩を固めて行こうとするデュークの姿勢がうかがえるようで興味深い。デューク―マイレイの最高の一作といわれる「ブラック・アンド・タン」は原盤の関係からか、マイレイに代わってジャボー・スミスが参加した27年10月のOK原盤によるものが収録されている。これは我国でも戦前ラッキーの黒レーベルでも発売されているが、マイレイ版の迫力に満ちた表現に比べるとジャボー・スミスの演ずるミュート・プレイの効果は、よりマイルドであり、別な意味でよりムード音楽的でもある。「ブラック・アンド・タン」の最高のヴァージョンは27年10月吹込みのビクター盤だとぼくは思うが、これはこれで異色作としての存在価値が十分にある。28年になると、ビガード、ホッジスが参加して、エリントン・バンドの演奏もブラス重点主義から次第にブラスとサックスの応答形式へと表現の多彩性を増して行く訳だが、「タイガー・ラグ」を改変した「ホット・アンド・ボザード」はベイビイ・コックスのスキャット・ヴォーカルを加え、そうした新しいバンドの能力をフルに発揮した輝かしい傑作である。同日吹込みの「ムーチ」は、これまたエリントンの傑作の一つに数えられる名曲だが、ここでは多くの批評家が「最高のムーチ」に挙げているベイビ・コックスのヴォーカルの入ったテイクが納められている。ぼく自身としては、この半年程後に吹込まれたブランスィック盤や「アップ・タウン」の中の長尺物の方により魅力を感じているが、バッパー・マイレイがデュークと共にコロムビアに残した傑作としてはここらあたりが最後のものではなかったろうか。29年には、バッバー・マイレイに代わって、愈々クーティ・ウイリアムスがトランペット・セクションに加わることになるが、デュークのバンドがブランスィック、ビクターに吹込みを行っていたため、コロムビア盤にクーティの活躍を聴くのは時期的に言って可成り後になる。
 このアルバム中に収録された30年の作品中の問題作は、「オールドマン・ブルース」「ムード・インディゴ」「ロッキン・イン・リズム」だが、共にベストと目されるテイクがその前後の他社吹込みの中にあるのが惜しい。
 それにしても独自のオーヴァートーン効果を狙った「ムード・インディゴ」の音詩的表現の世界というものはエリントン・バンド以外には求め得ない境地であり、来日したデュークのステージ演奏でもメドレーの中の短い「インディゴ」の一節に思わず吸い込まれて行くような不思議な魅力を感じたものだった。31年には三分間芸術の壁を破って書かれた最初の作品、「クレオール・ラプソディ」をはじめ、「エコーズ・オブ・ザ・ジャングル」「ミステリー・ソング」など野生と知性の巧まざる結合による幾つかのエリントン・クラシックスが生み出されているが、吹込み会社の関係で残念乍ら本アルバムの中には聴くことは出来ない。32年にもエリントン・バンドの成熟した好調さは持続されて行くが、この年の傑作の大部分は幸運にも殆どがこのアルバムに収められている。はからずも数年後に訪れるスイング黄金時代を予言する形となった「スイングがなければ意味ないよ」の一曲はこの年の初頭を飾る問題作だったが、ぼくの最も好きな演奏はローレンス・ブラウンの最初の傑作となった「アラビアの酋長」である。我国のステージでも依然衰えぬ甘さの魅力を聴かせたローレンス・ブラウンのトロンボーンは、二枚目の第二面に入っている38年6月吹込みの「リオグランデのバラ」にも大きくフィーチュアされているが、、共にエリントン・バンドにおけるブラウンの代表作に数えられているものだ。その他にも「スワニー・ラプソディ」「ブルー・ランブル」、「ダッキン・ワィキン」など優れた演奏が目白押しに並んでいる。
 33年から35年の春までの間の作品は比較的飛び飛びにしか収録されていない。その中では33年5月録音の「ブルース一束」が良い。魂に食い入るような見事なソロが連続して行く小傑作である。34年9月吹込みの「ソリチュード」はエリントンの数ある作曲中でも最もポピュラリティを持ったものの一つとして有名なものである。
 ぼくとしてはそれよりも、36年に入ってから次々にデュークが書き下ろしたコンチェルト形式の――短くより完璧な構成を持ったいくつかの作品の方に強く魅かれている。ビガードのための「クラリネット・ラメント」クーティのための「ハーレムのこだま」38年に発表されたレックス・スチュアートを主役とした「ボーイ・ミーツ・ホーン」など、いずれもエリントンの全レコード歴中を通じての傑作に入ろう。他に、後に再加入して活躍したベン・ウエブスターのソロの入った「イン・ナ・ジャム」が36年の中期を飾るリフ・スタイルの傑出した演奏で、カウント・ベイシーによって一般化されたこの種の演奏が、既にデュークの一党にとっては珍しい物でもなんでもなかったことに気付かされる。大部紙数が詰まってしまったが、これ以後の演奏にもまだまだ立派な演奏が沢山並んでいる。
 有名な「キャラヴァン」はビガードのコンボによるものには僅かに迫力の点で劣るがやはり傑作の一つである。
 「ハーモニー・イン・ハーレム」「サージェント・ウオズ・シャイ」ホッジスが見事なアルト・ソロを聴かせる「ザ・ガール・フロム・ジョーズ」などいずれも良いし、エリントンの曲として一般にもよく演奏される「歌を忘れよう」や「プレリュード・トゥ・キス」「ソフィスティケイティッド・レディ」にも、美しいメロディに対する輝かしいホッジスの寄与が光っている。
 39年3月の「ライオンの肖像」は偉大なニグロのピアニスト、ライオン・スミスに捧げた一曲で、一連の肖像シリーズを飾る演奏として有名だ。
 このアルバムの最後に納められた名演は40年2月吹込みの「ストーミイ・ウエザー」であろう。クーティのトランペットに次いで登場するアイヴィ・アンダースンの堂々たるヴォーカルは、この素晴らしいアルバムの末尾を飾るにふさわしい鮮やかな印象をともなって我々に迫って来る。
 片面8曲という再発物の収録形式は、コレクションとしてはこの上なく貴重でも、実際に通して聴きくたびれる弊を免れないことがままあるものだが、今回発売されたエリントンのアルバムに限ってはそういう懸念は全く感じられなかった。演奏内容の高度さと多様性、ソロイストの質的優秀さが、両々相伴って聴く人の心を捕えて離さないのである。やはりエリントン・オーケストラはジャズ史上最高のバンドであると改めて痛感した。
 本アルバムを総てのジャズ・ファンに対して心から推薦したいと思う次第だ。

校注)「――マイレイ」→「―マイレイ」、「ビガードホッジスが参加」→「ビガード、ホッジスが参加」、「トランプット・セクションに加わる」→「トランペット・セクションに加わる」、「エコーズ・オブ・ザジャングル」→「エコーズ・オブ・ザ・ジャングル」
本文中、「バッパー・マイレイ」は、全て「バッバー・マイレイ」に訂正した。
「録音を作っている」は「録音を行っている」の誤植かもしれないが、訂正はしていない。


『スイングジャーナル 1970年4月臨時増刊 ジャズレコード百科』

Duke Ellington Era Vol.1
(Columbia C3L-27)

 1927年から40年に至るまでのエリントン・オーケストラの名演をアット・ランダムに拾い上げた傑作集で原盤はコロンビア、オーケー、ブランスィックの3レーベルにわたっている。演奏はすべて高水準且つ著名なものばかりで今更解説の要もない傑作揃いだが、とり立ててこの選集の特徴を探すならば、30年代の後半から40年代にかけてデュークが盛んに試みた3分間の短いコンチェルト形式の演奏――彼のバンドの秀れたソロイスト達の才能をフルに利用した野心的な作品がまとめて収録されている点であろう。「クラリネット・ラメント」「エコーズ・オブ・ハーレム」「ボーイ・ミーツ・ホーン」それにローレンス・ブラウンの代表作となった「リオ・グランデのバラ」も素敵な演奏だ。

Duke Ellington Era Vol.2
(Columbia C3L-39)

 第一集に引き続いて企画されたこの第二集三枚組のハイライトは、4部からなる大作「レミニッシング・イン・テンポ」の収録であろう。SP片面3分間という制約を大きく破ったこの作品は、表題通り「音楽に乗せたデューク自身の追想」であり、母の死後、長い南部への楽旅の合間を綴って書かれた。万人によって「感動的」と支持された作品ではないが、エリントンの最初の10年間のレコード歴中、最大の話題を呼んだ野心作であった。
 嬉しいのはオールド・ファン達によって愛聴されたEやバーニー・ビガードの代表的な作品の一つに数えられるDが収録されている点で、第一集ほどポピュラリティに富んだ曲目揃いではないが、これまた内容的には甲乙つけ難い名演集である。

注)Eは「イン・ザ・シェイド・オブ・ジ・オールド・アップル・トリー」、Dは「ローズ・ルーム」を指す。
 ソニーのCDでは聴けないが、前者は「Chronolpgical 1933-35」、後者は「Chronological 1931-32」に収録されている。
 (というか、どちらもYouTubeに上がっています。著作権上も無問題(No Problem)だろうし、YouTube恐るべし。)
校注)「活題」→「話題」


―この頃のソニーは、やる気がありましたね。ユイ先生。
―マイルスで稼いでおりましたからね。
―でも、このレコード、その後、品切れ→廃盤となって、CD化もされなかったですよ。
―いやいや、あっちのページに書いてあるように、米Columbiaで多少はCD化されておりますぞ。全部じゃありませんが。
―やる気がなかったのは、日本のSonyですか。フュージョンでは儲かったようですが。
―「Tale Spinnin'」を「幻祭夜話」と訳したり、当時も浮かれてる雰囲気は感じられましたね。
―「天の川を見上げていた彼らが、痴女に、じゃない、地上に降りて来て踊りだした」って先生が評されたレコードですね。
―「痴女に」とか、私は書いておりませんぞ。
―「ブラック・マーケット」の前のウエザー・リポートですね。
―ウエザー・リポートですか。空を自由に操るスタンドでしたね。カエルを降らしたりして、確かに浮かれておりましたね(遠い目)。
―それって、先生、ジョジョの方じゃないですか?
―最後は、エイトビートどころか、テンポが段々早くなっていって、遂には滝のように時間が流れたりしておりましたから。
 ちな、滝のように時間が流れ、その先には何もなかった、というのは筒井君の説ですよ。
 ジョジョの方は、最後は多元宇宙に流れ込んで、何でもあり、になりましたからって、ゴホン、いったい何の話ですか?
―あ、先生、これ、お薬です。

―あ〜、ごほん。ごほん。この頃のソニーは、まあまあ頑張っておりましたぞ。
―あ、アワムラ先生!
―私が監修した、エリントンの「コットン・クラブ・ストンプ」。ファン垂涎の名盤です
―あの、あれですね。(注1)
―それからまた、私が監修した「ザ・テディ・ウイルソン」、世界に誇るべき奇跡的な名盤です。各国で発売されました。(注2)
―はい。あれですね。今はもう全部CDで出てますけど。
―ついでに、私が監修して世に問うた「ビ・バップ・プロフェッサーズ」。洛陽の紙価を高からしめ、芥川賞にもノミネートされた(ような気がする)銘盤ですぞっ!
―芥川賞はともかく、それ、東芝EMIで、ソニーじゃないですよね。
―細かいことはいいんです。当時の担当のイトウ君は、新婚なのに、半年間ろくに家に帰るヒマもなかったような有様で。
―あっ、それで「お前のしるし」ですか!
―その努力は認めてあげなければなりません。(注3)
―それは、先生がそれとなく無理言ったりプレッシャーかけたりしたせいじゃ…
―マイルスの「On the Corner」等と称する見るからにイヤらしいLPを出した、同じ会社とは思えません。(注3)
―はあ、そうですか。
―Weather Reportだって、マイルスと同じくらいイヤらしいジャケの「Black Market」を、なぜ「黒人市場」って訳さんのですか? おかげで世間では「ブラ・マケ」とか言われる始末で、ブラマヨとよく間違えられます。まあ、コスギもザヴィヌルも毛髪に弱点はありますが…って、えっ、闇市場?
―はい、はい。先生もそのくらいで…。これ、お薬です。

(注1)1972年に出た二枚組LP。『スイングジャーナル』1972年12月号のレヴュー(瀬川昌之)から引用
「このアルバムは、世界で初めて日本で出るものである。日本の粟村政昭氏と、米国のジョン・P・キャラナン氏という有数のコレクターの協力によって完成されたものだ。ライナー・ノーツを書いておられる両氏によれば、そのいきさつはこうだ。71年のはじめの頃に、粟村氏がある雑誌の広告でテープを譲る旨の広告を見て、米国メリーランド州のキャラナン氏に手紙を出したところ、半年くらいたって返事が来て、その広告は本人のあづかり知らぬもので誰かが仕組んだイタズラであったこと。そのために全世界のコレクターから何と数百枚にのぼる照会のレターが同氏のもとに寄せられたこと。キャラナン氏は多忙の仕事の合間に、そのレターに対して全部丁重に釈明の返事を出したこと。したがって、粟村氏宛ての返事が半年目にしてやっと書かれたものであること。このきちょうめんなキャラナン氏と、これまたきちょうめんな粟村氏の間に、文通をともなう友情が生まれ、2人の世界的な大コレクターが親友となった。キャラナン氏は、たいへんなエリントンのコレクターであり、CBSソニーの古典ジャズに対する情熱を知って、自分の膨大なコレクションの中から、新しい2枚組のアルバムをLP化する計画を立てた。そして、自身の所有するSP原盤(同じ番号をおそらく何枚も所有しているに違いない)の中からよりすぐって音質の良いものを選んで、氏は自宅の中で家庭用のルボックス・テープ・レコーダーを使用してマスター・テープを作成した。その技術たるやすばらしいもので、このアルバムの音質にはまったくノイズがなく、しかも実にクリヤーで高音も良く入っており、今までのCBSの「エリントン・エラ」の米国製アルバムよりも遥かに良好なものである。
 さて、ここに収録された32曲は、35年8月9日に録音された<コットン>(アイビー・アンダーソン唄)にはじまり、39年10月16日の<キリン・マイセルフ>に至る時期という、エリントン楽団がもっともメンバーの充実した、黄金時代に入った初期に当る。(以下略)」

(注2)上と同様に、1970年に始まった、古い録音を発掘するソニーの「ディグ・シリーズ」の一環として1970年に出た二枚組LP。このシリーズの監修は、油井正一・粟村政昭・大和明の三名であり、この「The Teddy Wilson」の担当は、大和明氏である。ソニーの担当は伊藤潔氏。
粟村氏が関わったSonyのLPとして、Ellington / The Transition Years (1973)、また直接の監修ではないが、Claude Thornhill / The Real Birth of the Cool (1973) などがある。
因みに、コロムビアと双璧をなすビクターの方でも、この後(1975年)、「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ」というタイトルで17セット100枚のLPとして、古典的ジャズの録音がまとめて発売されている。このシリーズの監修に当たったのも、油井正一・粟村政昭・大和明の三名であり、後に(1990年頃)、その多くは「ブルーバード栄光の遺産」シリーズとしてCD化されている。

(注3)アワムラ氏は、ソニーのイトウ氏とRCAのカワムラ氏を混同している可能性がある。
『スイングジャーナル』1976年1月号 粟村氏も参加している
「遂に完結をみた「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ」」の座談会より引用
SJ 伝え聞くところによると、川島君は半年ほど、ほとんど家に帰らなかったので、家庭が崩壊寸前だという(笑)……。
油井 それは大変や(笑)。奥さんと一緒にご馳走しなきゃいかん(笑)。
川島 それほどじゃないんですが、このシリーズにとりかかってから、12時前に帰れることはなかったですね。いわゆるマスター・テープの編集と、ライナー・ノーツの編集作業を一人でやっていたものですから。」

(注4)『スイングジャーナル』1973年2月号
「「アーア、とうとうこのイヤらしいレコードを聞かされる破目に陥ったか」というのが試聴前の正直な感想であった。」


このページ全て 2026年追記

→私的名盤「エリントン」(あっちのページ)

→粟村政昭
→ジャズの聞こえる喫茶室

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