つれづれらたたむ(5) 読書雑記2 2/6/05   
 読んでいる本で「この本が面白い」で紹介したいなと思いながら、果たせずに終わってしまっているものが結構あります。「この本が面白い」を書くのもそれなりにエネルギーがいるので、読む数に追いつかないのです。
 ま、それだけじゃなくて、読書の周辺を伝えるという意味で、読書雑記の第2回目として気ままにお話をさせてください。言葉不足で、何を言ってるのかわからないかも知れませんが。

『へたも絵のうち』熊谷守一(くまがいもりかず)著、平凡社ライブラリー
 つい先日読み終えたところ。97歳まで生きた画家の自伝なのだけど、並みの面白さではありません。カルチャーショックの連続で、笑いながら、驚きながら、大いに共感したり、時に自分のせせこましさを情けなく感じたり。

 よくあるようなビジネス界のサクセスストーリーではありません。まさにその対極にあるような生き方。それがあの日経新聞の「私の履歴書」で連載されていたと言うのもすごいことです。連載中から大きな反響を呼び、本になったのだそうです。
 つい先日、千住博さんの本を2冊『絵を描く悦び』『美は時を超えて』(どちらも光文社新書)立て続けに読んだのですが、千住さんと熊谷さんはかなり感触が違います。千住さんは常に表舞台を歩き、そのことの自負が文章のあちこちににじみ出ている。熊谷さんは自分の歩きたい道を歩き、気負いがない。千住さんの本は読者を鼓舞するけれども、熊谷さんの本はほっとさせる。懐が深い。
 読んでいて、今の社会がどれだけ息苦しくなっているか、わたしたちの視野がどれだけ狭くなっているかを痛感させられます。過去の業績にも世間の価値観にもとらわれずに、自然や美の世界をひょうひょうと追求してきた姿勢が、力みのない言葉と一見単純な(でも実は奥深い)絵から伝わってきます。
 東京の豊島区千早に画家の自宅を建て替えた個人美術館があるそうです。今年5月末に開館20周年記念展が開かれると言うから、見に行こうと思っています。
『英語名言集』加島祥造/著、岩波ジュニア新書
 名言集や詩集を時々開いて読むのは楽しいものです。この本の面白いところは、詩人である著者が徹底的に自分の感覚や考えを基準にして、言葉を選んでいる点。世間で言われる名言ではなく、自分の心に引っかかった言葉が取り上げられています。一つ一つに解説が付いていますが、通り一遍のものではなく、どこまでも著者独自の視点が貫かれていて、その問題提起ぶりが面白い。
 ぼくの好きな言葉に『風とともに去りぬ』のラストに出てくるスカーレットの台詞があります。"After all, tomorrow is another day." 吹き替えでは「明日に希望をたくして」なんて言ってるけど、そうじゃないでしょ。「明日は、明日よ」くらいのものじゃないの? そう思っていたら、この本にこの言葉が載っていて、著者は次のように訳してました。「いいわ、とにかく明日は別の日なんだもの。」そうそう、これこれ。
『漱石と三人の読者』石原千秋/著、講談社現代新書
 昔、『謎解き「罪と罰」』『謎解き「カラマーゾフの兄弟」』(いずれも江川卓/著、新潮選書)を面白く読んだ記憶があるのですが、あれの夏目漱石バージョンという感じ。謎解き漱石です。年末に一気に読みました。非常にスリリングな内容で、こういうのを読むと、漱石の幅広さ・奥深さを再認識します。
 漱石の小説には三人(三種類)の読者が構造的に組み込まれている、というのがこの本の主題。三人の読者とは「具体的な「あの人」という顔の見える読者」「何となく顔の見える存在としての読者」そして「顔のないのっぺりとした存在としての読者」を指します。そして漱石の小説には現代人の顔が映っていて、わたしたちは漱石の小説を読んでいて、そこに自分を発見する、というのです。漱石がなぜ国民的作家と言われるのか、その理由の一端を解き明かしてくれます。

『陰翳礼讃』谷崎潤一郎/著、中公文庫
 名著であることは前から知っていたけれど、去年の秋に初めて買って読みました。ほんとに面白い。ほの暗さの中にこそ日本的な美しさがあるという著者の指摘に、目を見開かれる思いがします。でも、特に戦後、徹底してアメリカ的な文化の影響を受けたわたしたちの生活から、この美的感覚はほとんどなくなっているような気がします。だって家の中も外もギンギラギンが当たり前になっちゃってますからね。
 しかし日本人の心の奥底に、薄明かりを愛でる感覚は自覚せずとも生き残っていて、ひょんな時にそれを思い出したりもするものです。ぼくはもう一度この美的感覚に自覚的でありたいと思うのです。

 次に、キリスト教関連の本3冊をご紹介しましょう。これらも、詳しくご紹介できればと願っているのですが。
 ぼくはキリスト者なので、何かにつけ神とか信仰とか生き方とか歴史といったことを、ついつい考えています。キリスト教の問題は単純ではありません。洗礼を受けているから救われているとか、あるいは教会生活が長ければ人生や世の中の問題はすべてわかっているというものではありません。かといって、じゃあ信仰を持つことは無意味かというと、決してそうではなく、得ているものの大きさも十分に感じています。
 キリスト教とか宗教とか聞いて、最初から拒否反応を起こす人もいるでしょう。キリスト者でない人、神さまとかイエス・キリストに関心のない人にも是非読んでいただきたいのが、次に挙げる3冊の本です。でも実は、教会生活の長いキリスト者たちこそ、これらの本から新たな発見があると、ぼくは思っています。
『キリスト教を問い直す』土井健司/著、ちくま新書
 キリスト教徒がなぜ戦争を起こすのか、神さまを信じても救われないじゃないか、祈ったって聞かれないじゃないか――そんな、キリスト教に関する素朴な疑問に対し、一つ一つ丁寧に答えを探っていこうと試みているのがこの本です。例えば、今アメリカでブッシュ大統領は神の名においてイラク戦争を推進しています。それを見ていて、キリスト教は困ったもんだと思っている人たちがかなり多いはず。しかしあれはほんとうのキリスト教ではない、と言いたいのはぼくだけではありません。この問題がまず取り上げられています。
 護教の立場で言っているのではありません。キリスト者もまたキリスト教を誤解していることが多い。そういったことにも丁寧に触れているところに著者の誠実さを感じます。
『旧約聖書の世界』池田裕/著、岩波現代文庫
 著者は「旧約聖書はヨーロッパ・キリスト教という食堂で食べると味がよくわからなくなってしまう」と述べています。そして「本書は『旧約聖書』という作品を通して、ヘブライ人が生きた世界の空気に少しく触れようとしたもの」と言うのです。この本を読むと、今まで味わったことのない旧約聖書の面白さが伝わってきます。ああ、こんなに生き生きとした世界なんだと、新たな感動を得ることができました。学殖豊かな、かつ文学的香りの高い著作です。
 特にぼくの心に残ったのは次のような文章です。
「ヘブライ人はいわゆる道徳的な完全主義者ではなかった。裸の自分を徹底して見つめようとしたヘブライ人にとって、「完全」とは「健全」の別称であり、ヘブライ的健全とは、…(中略)…ヘブライの神ヤーウェとの平和(シャローム)すなわち対話の関係を保ち続けることであって、人間が自分で考える規定尺度に照らして完全無欠な道徳的人間になることではなかった。」
 これは、信仰というものをある種の固定観念でとらえてしまいがちな日本人が、謙虚に耳を傾けるべき言葉でしょう。
『神、この人間的なもの』なだいなだ/著、岩波新書
 副題が「宗教をめぐる精神科医の対話」となっています。神は本当にいるのか、というテーマを、二人の精神科医の対話という形式で論じるのですが、このテーマを青臭いとか時代遅れなどと言ってはいけない。読んでいくうちに、一筋縄ではいかない問題であることがよくわかります。
 鬱病や統合失調症など精神の病気は最近ますます増えています。精神疾患を患う人間による凶悪な事件も頻発している。オウム真理教の問題だってまだまだ根強く残っている。わたしたちにとって決して他人事ではないはず。宗教は精神に関して歴史的にどんな役割を果たしてきたのか、また現代人にとって精神と宗教の問題はどう変質したのか、など本質的な課題に鋭く切り込んでいます。

つれづれらたたむ(4) ニッポンの学力  12/7
日本の学力が落ちていると、今日のニュースで報告されました。それによるとOECDが世界41カ国の計27万4千人の15歳を対象に行った、知識や技能の実生活への応用力を見るテストで、日本は前回(2000年)からランクが下がったそうです。特に落ち込みがひどいのは数学応用力(1位→8位)と、読解力(8位→14位)だとか。
自分の子どもたちの様子を見ていると、ニュースにそう驚きはしません。授業も宿題もあきれるくらい少ないし、クラスの話を聞いていると、女の子たちは周りの仲間と話題や行動を合わせること、男の子たちはゲームボーイで時間をつぶすことばかりに心を奪われている。
中山文部科学大臣がこんなことを言っていました。「なぜ勉強しなくちゃいかんか、学校も親もきちっと教えなきゃいけないでしょうね。」(話し方がいかにも官僚ふうで偉そうな調子だったなあ。)でもその「なぜ」というところを教えられる人はいったいどれくらいいるのでしょうか?
「いい会社に就職するため」というのがぼくの子どもの頃、すなわち高度経済成長時代、おおかたの大人たちが口にしていた理由でした。でもそれは学問することそのものの理由ではなく、学歴を手に入れることの理由です。立花隆氏は、人間には本来強い知的欲求が備わっているのだ、と言っています。勉強することの楽しさを伝えられなかったら、子どもたちは長続きはしません。ぼくの子供時代からすでに大人たちは的外れの答えを子どもたちに与え続けていたわけです。高度成長もバブルも終わり、「いい会社に就職するため」という答えが現実に通用しなくなった今の時代に、どうやって子どもたち全体の学力を上げることができるんだろう。
がんばれって尻たたかれたっていったいこの先何があるんだよ、というふうに思っている子どもたちは多いんじゃないでしょうか。もちろんそんな狭い視野しかもてないこと自体、悲しいことですが。それに、本当の知恵や応用力や表現力を身につけたところで(つまりそれは、自立した個として考え行動する能力を身につけているというわけですが)、日本がそういう人たちをほんとうに受け入れてくれるほど成熟した社会になっているかというと、ぼくはちょっとYESとは言えない。昔もそうだったけれど、不況の長いトンネルから抜け出せないでいるうちに日本はますます逆行し、本物の学力よりも手っ取り早く使える労働力の方を求める組織がますます増えているんだから。
そこを改善しなかったら(つまり政治家や官僚や企業人が意識改革をしなかったら)、未来に希望を持っていない若者たちの学力は
ますます低下するだけでしょう。

つれづれらたたむ(3) 正しく怒ること  6/7
英語の勉強をかねて、心打たれる言葉を覚えましょう。下記の英文の5つのカッコに適当な前置詞をア〜オから選んでください。答えは本文の下に。
Anyone can become angry--that is easy. But to be angry (@) the right person, (A) the right degree, (B) the right
time, (C) the right purpose, and (D) the right way--this is not easy.
in   for   to   with  at
[訳]誰でも怒ることはできる。それはたやすい。しかし適切な相手に、適切な程度、適切な時、適切な目的、適切な方法で怒る─これは易しくない。
これはアリストテレスの言葉なんだそうです。 "Emotional Intelligence" (邦題『心の知能指数』)の冒頭に出ていました。10年前の本ですが、著者の語ることは今ますます重みを増しているような気がします。中身も面白かったけれど、ぼくはこの言葉が今でもずっと強く記憶に残っていて、時々思い出しています。
最近、ぼくたちのまわりでは、大人も子どもも正しい怒り方を忘れてしまい、そのおかげであまりに多くの悲惨な事件が発生しています。先日の長崎小6児童殺害事件もそのひとつ。カッターナイフの使い方や、コンピュータの使い方も重要な問題ですが、それだけではありません。怒り方を知らないということ、つまり言葉の使い方を知らないことが一番深刻なのです。今一度、ギリシャ賢人の言葉に耳を傾けたいものです。

答え @エ Aウ Bオ Cイ Dア

つれづれらたたむ(2) 英語でしゃべらナイト 5/18         
NHKで月曜夜11:15から放映している「英語でしゃべらナイト」は面白いですよ。これはお勧め。ぼくは英語とか言葉のことになると、つい深みにはまることを恐れて、一時期この番組から離れていましたが、最近また見始めて、結局ほとんど毎週見ています。言葉に対する日本人全体の関心が、
ついにこのレベルにまで来たんだな、と実感させる番組です。
これはいわゆる語学番組ではありません。
私たち日本人が言葉を学ぶとはどういうことか、を楽しく教えてくれます。進行役のレギュラー陣がいい。NHKの松本アナウンサー、女優の釈由美子、タレントのパトリック君(名字は何だったっけ?)。ナレーションはジョン川平(カビラ)。それぞれがいい持ち味を生かしています。松本アナウンサーは、平均的な日本人の英語力で、親しみを感じさせる誠実な人柄がすてきです。釈さんも英語はまあ初心者ですが、意外に勘が鋭い。「パックン英検」というコーナーは、パトリック君が英語で説明する単語を当てるクイズ(たとえば、"To go out with someone socially" という説明に対して、答えは"date") なのですが、釈さんは的中率がかなり高い。やっぱり女性は言葉に強いということでしょうか。
それから、毎回多彩なゲスト。NHKの知名度を生かして、音楽、映画、ビジネスなどさまざまな分野から、日本や外国の有名人がたくさん出てきます。それらの人たちがけっしてみんな英語を流ちょうにしゃべるわけではありません。大事なのはネイティブのようにしゃべることではなく、自分の仕事や体験を通して、外国語でのコミュニケーションや文化(特に日本の)について何を発見し、また実践しているか、ということです。
外国語を勉強することで、ぼく自身が気づいたり学んできたことはたくさんありますが、この番組の中で、そういうことをいろんな人がサラッと言ってくれるのが何かとても嬉しいのです。やっぱりそうだよなって、うなずきながら見ています。
惜しむらくは放映時間。なんでこんなに遅いの?その方がいい人もいるかもしれませんが、少なくともゴールデンタイムじゃありませんよね。もったいない。まあ、個人的にはマイナーな方が好きなので、知る人ぞ知る番組と言うことにしておきましょうか。

つれづれらたたむ(1) 読書雑記 4/13/04         
Toshi Talks の中の「よもやま」を「つれづれらたたむ」というタイトルに変えました。意味不明ですが、由来はそれなりにあります。でもそれを話しても、退屈されるだけだろうからやめます。


さて、最近のぼくの読書雑記。
内田樹(うちだ・たつる)氏『子どもは判ってくれない』をつい先日紹介しましたが、先週の金曜日(8日)に図書館でたまたまこの人の『疲れすぎて眠れぬ夜のために』を見つけ、借りてきて読みました。内田氏の本はやはり面白いですね。ここでも著者は、一般に常識として片づけられてしまっているさまざまな考え方や価値観を再検討しています。こういう視点を持つのはとても重要なことだとぼくは思います。ぼく好みの本です。

「この本が面白い」で紹介してもいいと思えるのが、藤沢周平の『蝉しぐれ』。NHKで去年の秋に放映されていた時代劇の原作。3月に再放送してましたね。読売新聞テレビ欄に、感動したという投書が12通来たようです。原作もドラマもどちらも傑作ですが、人間関係や心理描写などのきめの細かさは、やはり原作の方が優っています。
『たそがれ清兵衛』の原作も藤沢周平ですが、こちらのほうは映画化するにあたって、同じ作家の他の小説からも題材を引っ張ってきて、山田洋次監督が他の脚本家といっしょに新たに物語を書き起こしたものです。原作は短編で、清兵衛の設定や性格もかなり異なっていました。

藤沢周平を読みたいと思ったきっかけは、去年の秋に、山本周五郎の『さぶ』を読んだことです。この作品で時代劇の面白さを再発見したのです。現代とは異なる社会体制や価値観によって現代を見つめ直すことができ、同時に昔も今も変わらない人間の心のあり方がより鮮明に浮かび上がります。それは現代小説では味わえない奥深さです。
でも山本周五郎小説の面白さは、娯楽時代劇という範疇では納まりません。人間や人生を非常に深く見つめていて、それがごまかしのない本物であることが、読んでいて伝わってくるのです。こんな言葉が聞きたかった、そう思うような珠玉の言葉がこの人の小説にはあります。この作家は時代劇だけでなくいろんなジャンルを書いているようで、ぼくはこれからこの作家の作品を読んでいこうと思っています。
去年はちょうど、山本周五郎の生誕百周年だったんですね。

星野道夫さんの『ノーザン・ライツ』は初め、電車の中で読む本と決めていました。しかしこれまた心揺さぶられる本なので、家でも続きを読むことになりそう。読み始めると、星野さんの語るアラスカの雄大な自然と悠久の歴史(情けないくらい陳腐な表現)の世界に、一気に引き込まれます。この人は写真だけでなく、文筆においても一級ですね。詩人であり語り部です。こんな文章が書けたらどれほどすばらしいだろう。この人の文体に対して貧困な取り組み方をしたくないので、それについてはまた別の機会にぜひ、お話をしたいと思います。

よもやま

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