よもやま(16) 子どもに見せたくない番組、見せたい番組 4/22
日本PTA全国協議会が17日に公表したTV番組調査で、子どもに見せたくない番組のトップが『クレヨンしんちゃん』、見せたい番組のトップが『プロジェクト』だったそうです。小5と中2の子どもの保護者が調査対象というから、わが家にぴったり適合してます。
『クレヨンしんちゃん』……小5の息子はこの手の番組、好きです。まあ、ばかばかしい内容には違いない。絶対に見るなとはいいませんが、これにはまるくらいなら、他にやることを見つけた方がいいと思う。シモネタは適度にやるのがいいのであって、それがギャグの主流になるのは、ぼくは好きではありません。
でも驚くことに、去年上映された劇場版『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦』が、第6回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞を受賞しているんですね。教育的にどうかというよりも、アニメとしての出来が評価されたもので、そういう基準で選ぶ目を審査員がもっていることはすばらしいことです。何でもかんでも「教育的」かどうかだけで選ぶのは明らかに間違っていますから。
ところで、ぼくは『クレヨンしんちゃん』は『ドラえもん』よりはましだと思ってます。なぜか? 『ドラえもん』では日本人によく見られる精神構造の欠陥が、無意識のうちに肯定されてしまっているからです。ドラえもん依存症から抜け出せないのび太のことです。自分の力では何ひとつできず、いつもドラえもんに頼るだけ。そしてドラえもんの力を借りたとたん、あたかも自分が万能になったようにやたら尊大になる。こういうキャラクターが疑問もなく受け入れられてしまうような社会は、健全とは言えないでしょう。でもそれが日本人の体質(の一種)なのかな。
それに比べればクレヨンしんちゃんは、自分の智恵と工夫で、したたかに現実社会を生き抜こうとしているから、はるかに潔い。
さて、子どもに見せたい番組についてですが、ぼくが変だなと思うのは、トップが『プロジェクトX』だということ。あれは確かにいい番組だけど、小5や中2の年代が見て、どこまでわかるというんですか。あれは中高年のためのドキュメンタリーです。子どもには子どもの時に考えるべきことがあります。親が自分たち向けの番組で感動したものを、無神経に子どもに押しつけるなんておかしいですよ。こんなことやってるから、子どもは大人のいうことを耳を傾けないのです。
それから、 中2の保護者の答には、他にも『利家とまつ』が3位か4位に入っていました。この回答にも目が点になりました。ぼくも歴史を学ぶ重要性を近年とみに感じてますけど、時代小説や大河ドラマからは得るものは、あまりないんじゃないかなあ。こういう結果を見ると、親たちは子どもの教育のことを、実はそれほど真剣に考えていないんじゃないかと思ってしまうのです。

よもやま(15) 注意!債権回収詐欺メール 4/9
迷惑メール(スパム)・ウィルスメールがしばらく途絶えていると安心していたら、昨日久々に来ました。
件名は《最終通告》。初めて送られてきたのに「最終通告」です。内容を要約すると「今まで再三連絡をしてきたが、返事がない(って、これが初めてなのに何ゆうてるんや?)。おまえはアダルトコンテンツ利用料を払っていない(おいおい、いったいどこのどうゆうコンテンツや?)。遅延料、手続き料を含めて早く払え、さもないと住所や電話番号を調べて、取り立てに行くぞ」という脅迫で、請求額と振込先が記入されています。でもぼくの名前はどこにも書かれていない。
さっそくインターネットで調べました。これは「債権回収詐欺」あるいは「架空請求詐欺」スパムというもので、このところ激増しているそうです。文章はどれもまったく同じか、ほんの少し違うだけで、請求金額はだいたい5万〜10万円。
スパマー(迷惑メール送信者をこう呼ぶらしい)はメールをランダムに数千〜1万通同時発信している。幼稚な手口なのだけど、受信者の中には、身に覚えがなくてもこれ以上巻き込まれたくないという不安から、払ってしまう人が0.1%ほどいるそうです。それだけでスパマーはじゅうぶん元が取れるとのこと。
対策は、絶対支払わないことと警察への連絡(状況を知らせてメールを転送)。間違っても、スパマーに直接返信はしない。これは詐欺メールだけでなく、ほかのすべての迷惑メールにも言えることです。彼らはランダムに組み合わせた文字や、他の同業者から買った名簿で宛先リストを作り、それがたまたまぼくやあなたのところに届くという結果になっているようです。でも相手にそれ以上の情報はないわけだから、決して返信してはいけない。よく「今後メールの配信を希望されない方はご返信ください」と書いてあるんですよ。似たようなのを何通か受け取ると、打ち止めにしたくて、つい返信したくなるのですが、この手に引っかかっちゃいけない。アドレスが実在していることが相手に知られたり、あるいは反応があると見なされて、ずるずる泥沼にはまっていきます。
ただ、ぼくは今まで無視とメール削除で対応していましたが、それでは不十分なようです。警察や関連機関への連絡、送信に利用されたプロバイダーへの苦情など、声をあげていかなければ、こういったことはいつまでもなくならない。確かにそうですね。ぼくは今回のも削除しちゃったんです。もう少し冷静であるべきだった。
ついでに知ったことですが、 チェーンメールもスパムの一種で、ウソがほとんど。署名メール(最近ではイラク戦争反対の署名)も、動機が善意であっても、インターネットのシステムによくない結果招くことが多いようです。ほとんど効果はないということだし。
詳しい情報は、http://www.hennameil.com/ などに出ています。
HPを開設していると、どうしてもメルアドが知られる確率が高くなりますが、悪用されそうな個人情報がサイト内に入っていないかどうか、ぼくも昨日もう一度確認しました。
それにしても、ほんとうに不愉快です。いたずら電話と同じくらい。これもインターネット時代のひとつの現象なんでしょうけど。

よもやま(14) 歌舞伎としての相撲 1/23
貴乃花が引退しましたねえ。ぼくにしてみれば北の湖、千代の富士時代あたりが、相撲を楽しんでいた最後だったので、貴乃花の引退にそれほどの感慨はありません。少なくとも大相撲が昔の人気を取り戻すことはないだろうなあ、というのが正直な感想です。これは相撲界の問題というより、日本的な精神構造がまたひとつ、時代に合わなくなったことの現れだろうと思います。
おととしの夏場所に貴乃花が、右足の故障を押して千秋楽にあえて出場し、優勝しました。小泉首相の「よくやった、感動した !」という思考停止文句が有名になりましたが、ほんとうに感動した人は、メディアが騒ぐほど多くなかったのではないでしょうか。特に若い世代では。ぼく自身、あれで「明日からまた張り切るぞ」なんていう前向きの気持ちにはとてもなれなかった。悲壮なガンバリズムとそれを誉め讃える日本古来の美学ばかりが目立っていました。
結局あのときの無理がその後の長期休場と今回の引退につながったわけですが、その責任の一端はあんな形で感動を強要するファンたちのプレッシャーにあるのではないかと思うのです。千秋楽の一番、「貴乃花が負けるという状況は(確率としては50%あるはずなのに)認めたくない」という空気が相撲ファンの間に満ちていました。それって、自分の願望どおりにならないものをひたすら縁起の悪いこととして思考の外に追いやるという、日本人の伝統的精神構造です。

ぼくは数年前に、相撲は日本人にとってスポーツではなく、歌舞伎――あらかじめ脚本が用意されたお芝居――なんじゃないか、という仮説を立てました(なんて偉そうに言う代物じゃないけど)。スポーツは筋書きのないドラマだ、とよく言うけれど、従来の日本人はそういうのが苦手で、あらかじめ結末が決まっていないと安心できない(これを精神の「水戸黄門化」とぼくは呼ぶ)。会議でも何でもそうでしょう。筋書きが決まっていて、その通 りに運ぶことで安心と喜びを得る。だから、角界八百長事件のことを週刊ポストが書き立てても、人々の反応は鈍かったわけです。みんな共犯だったから。
でもぼくたちのまわりでは、今やいろんな分野で現実が自分たちの想像を超える展開を見せている。スポーツの世界も同様。サッカーしかり、野球しかり。そういうものを目の当たりにしている若い世代は、明らかに相撲に時代のズレを感じているはずです。大鵬や千代の富士の頃のように「お芝居」で人々を夢見させることが困難になった現代、貴乃花は歌舞伎文化の最後のヒーローだったのだと思います。

よもやま(13) 自分のやり方 1/16
15日、NYヤンキース入団契約をした松井選手の
記者会見をテレビで見ました。市長だのクレメンス選手だのトーリ監督だのが列席して、ものすごい鳴り物入り会見でした。ここまでショー化するところがいかにもアメリカなんだろうなあ。これだけで大きなプレッシャーですよね。
日本人メジャー・リーガーも続々出てきていますが、コミュニケーションの仕方にそれぞれの個性が見えます。松井選手は記者の質問に非常にまじめに答えていました。TVショーではそれなりにユーモアも見せていたけど(アメリカじゃユーモアは必須アイテムだから)、全体としては変化球をまともに受け、まともに打ち返す感じ。
彼は石川県出身。ぼくの出身地、福井の隣です。あれを見ていて、ぼくはふと、ああいう生まじめな人柄って、北陸地方の特徴なんじゃないかなあと思いました。
新庄だと絶対に笑えるコメントを言うだろうし、イチローだったら禅問答のような短いコメントで終わりってとこでしょう。同じマリナーズの長谷川投手は、流暢な英語で的確に答えるに違いない。
単に個性の違いがおもしろいだけじゃなく、驚くのは、彼らがみんな自分を生かすベストの方法を見つけて環境に適応し、実力を発揮しているということ。例えば、長谷川選手が英語が得意だというのは時々聞いていましたが、実際にテレビで見たら、ほんとにうまかった。彼はビジネスマンにもなりたかったとか。その英語力でアメリカという社会やチームメイトの中にスムーズにとけ込み、野球の技術を試合でより生かせるようにしたわけですね。一方イチローの方は、英語はいまいち。そこで徹底して自分の世界を作り上げ、プレイそのもので存在価値を見せてきました。
自分のやり方を見つける――これってみんな口にはするけど、意外にむずかしいことです
。自分のやり方だとしても、必ずしも自分を生かすかどうかはわからない。単なるわがままや気楽さに終わっちゃうかも知れない。その微妙な境界線そのものも、結局自分で見つけて行くしかないわけですね。それができる人がプロ、ということでしょうか。

よもやま(12) 絵と言葉と右脳・左脳  1/2/03
元日、ブックオフで掘り出し物を見つけました。五味太郎さんの『こどもとおとな スクランブルノート』(角川春樹事務所、1999)。ぼくは以前から五味さんの絵本を「ぼくの好きな絵本」で紹介しようと思っているのだけど、膨大な仕事量 と内容の深さ広さに圧倒されて、どんなふうに手をつけていいか迷っているのです。この方は子どもと大人の問題をよく取り上げていますが、そこで気づかされるのは言葉への鋭い感覚。笑わせられて「なるほどなあ」と。
脳の働きについて、言語は主に左脳が司り、絵や音楽などの芸術は右脳っていいますよね。でも、個人差は多少あるかも知れないけど、実はどっちかが突出するというより、両方が一緒に伸びて行くんですね。 昨年「この本が面白い」でご紹介した『海馬』の中で、糸井さんがこんなことを言っています。「ぼくの知ってるかぎりでは、一流と言われるような人で無口な人ってひとりもいないんですよ。(中略)コミュニケーション能力が高いと言いますか」これってほんとだなと思うんです。五味さん始め、安野光雅さん、伊勢英子さん、風間完さん、佐藤忠良さん、田島征三さん、みんな絵もすごいけど文章も読ませるものばかりですものね。
2003
年も、絵と言葉の探求をする上での刺激には事欠きそうにありません。

よもやま(11) 打算的じゃないこと 12/2
ノーベル賞の田中耕一さんの人気はまだまだ続きそうです。あの人のインタビューは確かにどれを見ても笑わせてくれて、今年の予想外のヒットでした。肝心の受賞対象となった研究成果 について理解している人は、あまり多くはないでしょう。もっぱら人柄の方に話題が集中しています。でもそれを手垢のついた「癒し系」という言葉でくくってしまうのも貧困な発想に思えます。
何が新鮮だったかはいろいろありますが、ひとつは今の日本には珍しく、打算を感じさせない人だということです。もちろん、そういう人はまだこの国にたくさん残っているのでしょうが、ノーベル賞と素朴な人柄のギャップが、人々をほっとさせたのだと思います。ぼくたちは日常的に、計算ずく、あるいはスキのなさという概念に脅かされ、うんざりしているのです。アメリカで経済学賞を受けた人は洒脱なスピーチをしていたといいます。日本人はそういう才能に感心はしても、心動かされるのは田中さんのスピーチの方でしょう。

よもやま(10) 古書店のファーストフード店化 10/17
古書店は図書館と並んで、中年オヤジたちの数少ない憩いの場です。古本をあれこれ眺め、手に取って読みあさる時間は、充実したひととき。
「ブックオフ」という、本・CD・DVD・ゲームソフトのリサイクルショップがあちこちにできています。コーナーによって客層が違っているのが面白い。値段が安いので、ぼくもたまに利用するけれど、うんざりさせられるのはファーストフードのような店員たちの応対。ほとんど1分ごとに「いらっしゃいませー、こんにちはー」と、まるで民謡の合の手。マニュアルに従ってやっているんだろうけど、誰を見ているわけでもない。親しみを出そうという店の方針なのでしょうか? 耳障りなBGMと相俟って繰り返されるこの騒音は、本来なら豊かであるべき、本を眺める時間を明らかに妨害しています。ブックオフは古書店とは性格が違うと言ってしまえばそれまで。でも、本を求めて来る人間にとっては、それこそ違和感を覚えてしまう空間です。

よもやま(9) がんばる日本人、はしゃぐ小泉首相 10/10
ノーベル化学賞に43歳の人が選ばれました。そんなに若くて受賞するなんて、すごいなあ、と感心していたら、戦後まもなく受賞した湯川秀樹博士は42歳だったとか。そんなことを初めて知って、改めて驚きました。
しかしその喜びに水を差す小泉首相のしょうがないコメント。「日本はもっと自信をもっていいんじゃないの。」表面の派手さの割にはいまだに実質的な改善ができない首相が、自分の無策を棚上げにしてよくこんなことが言えるなあ、と思ってしまいました。この人って、サッカーW杯で日本代表が勝ったときも、選手たちの親友のような顔をしてはしゃいでいましたね。
日本人が自信をなくしている原因のかなりの部分は、あなたたち政治家にあるのでしょう。多くの日本人は、三流の政治にもかかわらず、いつも地道に努力をしてきたのだし、日本の国はそういう人たちで支えられてきたんじゃありませんか。
と、愚痴をこぼして、ぼくは今日も平凡で大切な生活を繰り返すのです。

よもやま(8) ある作家の言葉 9/12
9.11テロから1年がたちました。昨年11月28日付の朝日新聞に載っていた、アルゼンチン出身の作家、アリエル・ドーフマン氏の次のような言葉が、強く印象に残っています。
「チリのアジェンデ政権に対するクーデターが起きたのが、28年前(1973)の9月11日、同じ火曜日だった。軍事政権によって愛する人を失い、行方知れずにされ、数十万人が拷問されたことを知る者は忘れない。しかし、あの日は世界を変えはしなかった。ルワンダで数十万人が殺されても、世界は変わらなかった。広島での原爆による暴力は、世界貿易センターよりもはるかにすさまじかった。今年(2001)の9月11日は、最強の国に恐怖を与え、暴力と報復を呼び込むことで世界史を変えたのだ。……いま米国の悲しみに世界は同情し、共感している。だからこそ、他にも数多くの9月11日が存在していること、世界には他にも多くの悲劇があることを(米国にも)わかってほしい。」
アフガニスタン戦争での民間人の犠牲者数はすでにNYテロの犠牲者数を上回っているようです。

よもやま(7) 音楽の連想 8/22
先日、あるTV番組の中でワグナーの『ニーベルングの指輪』が紹介され、バックに有名な『ワルキューレの騎行』が流れました。そのときの親子の会話。
娘「あ、これ聞いたことある」
息子「ぼくも、ある」
父「そうだよ、ワルキューレ。『地獄の黙示録』だよ」
娘「(しばらくして)ああ、そうだ。カップラーメンの曲だ」
息子「Mr.ビーンに出てきた曲だ」
……ぼくたち、
だーれもオリジナルのオペラなど知らないんですよ。今やクラシックはそういう記憶のされ方をしているということです。
でも、ワルキューレで『地獄の黙示録』、ツァラトゥストラで『2001年』を連想する人さえ、もはや旧世代なのかも知れません。最近ではエルガーの『威風堂々』が、アニメ『あたしンち』のエンディングテーマですからね。

よもやま(6) 『夢はワールドカップ』 6/20
つい先日、書店で上のようなタイトルのすてきなサッカー絵本を見つけました(ティム・ヴァイナー/作、あかね書房、2001)。ロンドンの午後1時を基準にして、その時刻、地球上の様々な国で子どたちがサッカーに接している様子を、見開きごとに描いています。
この発想に、サッカーが世界的なスポーツであることが表現されています。原題はThe World Team。夜10時の日本では、ゆうた君が出てきます(できれば、部屋に貼ってある写 真はブラジルのロナウドじゃなく、中田ヒデであってほしかったけど)。コラージュやアクリル画材を用いた、渇いた絵もすてきです。
訳者がテレビでおなじみの川平慈英さん、そして邦題のつけ方、このあたりに企画の苦心が伺えます。W杯では日本が敗退してしまいましたが、いい試合はまだまだ続きます。この本は、試合とは違ったサッカーのもう一つの楽しみ方。この絵本を通 じてサッカーと世界に興味を持つ子が出てくるかも知れません。

よもやま(5) ロード・オブ・ザ・リングと指輪物語 6/13
8日(土)ようやく映画ロード・オブ・ザ・リングを見ました。率直な感想は「意外に面 白かった」。3時間近く退屈しませんでした。映像がすごい。スリリングで迫力もある。
もちろん、どの作品にも言えることですが、映画と原作は別物。本を読んでから見ようと思っていたけど間に合わず、結局、映画を見ながら原作を想像するという変な楽しみ方ができました。映画は視覚化に力を注いでいる分、人間描写 やストーリー展開に未消化の感があり、そういった点から、原作にはより壮大で奥行きのある世界があるのだろう、と推測できました。上映時間だけの問題ではなく、言葉で成り立つ作品を映像化することの限界です。ファンタジーの本質は映像ではないのです。それでもこの映画、退屈な『スターウォーズ』などよりはるかに見応えがあります。中1の娘は「ハリポタよりも面 白かった」。
とにかく『指輪物語』を読みたくなりました。読んでからもう一度、映画も含めた作品の感想を書きたいと思います(いつになることやら)。

よもやま(4) マスメディアは何をしているんだ 5/2
28日、NHKで不気味な番組を見ました。『奇跡の詩人』というドキュメンタリー。カルト宗教的な異常な内容でした。途中から見始め、途中で切ってしまいました。本質的にかなり危険なものをはらんでいます。また、番組を感動
的に紹介していた新聞にも嫌悪感を持ちました。こんなとんでもないものをNHKが放映してしまうことや新聞のいい加減な紹介は、ジャーナリズムの見識が失われている現れなのでは、と恐れます。抗議のメールを昨日NHKに出しました。
不快感が翌朝まで続いたので、視聴者の反応を知りたくて、普段は見ないYahoo掲示板を試しに開いてみました。ほっとしたのは、みんなが一様に批判していたことと、それらの批判がかなり適切だったことです。まともな感覚と目をもっている人はまだいるようです。日本はまだ大丈夫かな。
用心すべきは今や生鮮食品の表示だけではありません。ぼくたちは、あらゆるものについて、だまされずに正しいものを見分ける目を持たなければならない時代にいるのだと思います。

よもやま(3) 小泉内閣支持率 2/2/02
去年の4月、小泉さんが自民党総裁になったとき、ぼくはこのコーナーにこんなことを書きました。「これが本当に大きな変化につながるかは、これからの小泉さんの手腕にかかっています。 しかし、 何しろ自民党です。そして日本です。あまり期待しないでおきましょう。 」
その後、構造改革は進まないし、景気は好転しないにもかかわらず、支持率を70% 以上キープし続けたことにぼくは空恐ろしさを覚えていました。これで小泉内閣がこけたら、国民の反動はヒステリックなものになるんじゃないかと。それは政治への暴動ではなく、日常生活における、より強い無気力・無責任という形で現れるような気がします。
今回の田中外相更迭劇で支持率が急落しているようですが、今までの高支持率も変なら、こんなことで支持しなくなることもおかしいとぼくは思います。ぼくたちはもっと賢くならなければ。

よもやま(2) 少しほっとした 11/6
アラブのリーダーたちが4日、ダマスカスに集まって、ビン・ラディンはアラブやイスラムを代表するものではない、とコメントしました。このニュースを聞いてぼくは、少しほっとしました。アメリカ人を殺せというファトワを出したり、イスラム教徒に聖戦を呼びかけたりするビン・ラディンはそんなに権威があるんだろうかと思っていたからです。
ニュースでパキスタンやアフガニスタンの民衆が、彼を英雄扱いにしてデモ行進しているのを見ると、やりきれない気持ちになっていたのです。 いくら世界観が違うとは言え、そこまで熱狂的にテロリストを支持するのは、どこかおかしいんじゃないか。
今度の一連の事件は、貧困と無知が要因の一つと言われてますが、イスラム文化やパレスチナ問題のことなどを、もう少し勉強してみなくては、と思いました。

よもやま(1) 長田弘さんのこと 10/2/01
長田弘中毒が続いていて、また本を買ってしまいました。『読書からはじまる』(NHK出版、¥1500+税)。他にも買いたい著書がたくさんあります。全くのミーハーになっていて、ファンレターを書きたいのだけど、どこに出せばいいのかわかりません。Yahoo!で検索したら、個人の
ホームページはもっていらっしゃらないようで、「詩人」のカテゴリーの中には見つかりませんでした。名前で検索したら、1580件も該当しました。気が遠くなりそう。人気あるのかなあ。
長田弘さんについては、当サイトの「この本が面白い」のコーナーでも『読書のデモクラシー』を取り上げました。静かではあるけれども、僕たちが耳を傾けるべき知性と感性です。
この人の作品とは、おそらく生涯のつきあいになっていくだろうという予感があります。

つれづれ

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