第37回

『子どもは判ってくれない』
                内田 樹/著
 洋泉社、2003、\1500+税

 ぼくの性格には素直で信じやすい部分と、その反動として「ほんとうにそうかな」と絶えず懐疑的にものを見る、ひねくれた部分があります(いやいや要するにそれは、真理に到達したいという願望の両面ではないか……と見苦しい言い訳をする)。世の中で言われていることはいったいどこまで正しいのだろう。当たり前だと思っていることを絶えず見直していく必要があるんじゃないか。そう考えながら毎日生きているわけです。
 そんなぼくに発見と共感の楽しみを与えてくれたのが、この本。
著者はフランス現代思想、映画論などを専門とする神戸女学院大学教授。この本は個人のホームページで公開しているエッセイの中から、さまざまな発言を抜粋編集したものです。
 どんな発見か。たとえば前書きで朝日新聞の社説を引きながら、著者はこんなことを言っています。「これは正論だが、メッセージは誰にも届けられていない。」そして「正しさ」を主張する人たちに共通しているのは、「私の意見に反対する人間、私の利益を損なう人間、私の自己実現を阻む「不快な隣人」を勘定に入れたがらない」ことだと言うのです。言われてみれば、ぼくも無意識のうちにそうしてしまう。その方が楽だから。
 どんな共感か。次の言葉にそのまま表れています。「私が自分の中にある非常に言語化しにくい「思い」をようやく口にしたとき、平川君から来る反応はいつでも「そう! それこそぼくが言いたかったことなんだよ!」なのである。」
 本書はこんなふうに、 日常生活から国際政治に至るまで私たちが関わるさまざまなことについて、軽妙な口調で、しかし舌鋒鋭く逆説を交えながら、「大人の思考」とはどういうものかを開示していくのです。本の中ほどに出てくる
「話を複雑にする方が、話が早い」というコメントは、この本の神髄を表すアフォリズムだと、ぼくは思います。
 世の中の流れが思考停止・没コミュニケーションの方向に進んでいるこの時代に、私たちが身につけたいのは、怠慢の口実になりがちな独りよがりの信条ではなく、ここで展開されているような、複雑さをクールに引き受けて正しく理解する論理性ではないでしょうか。
 

                               3/26/2004

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