第42回

『千住博の美術の授業 絵を描く悦び』
               千住博/著
 光文社新書、2004、\720+税

 熱い本です。いわゆる安易な「技法書」ではありません。絵を描くとはどういうことか。表層のテクニックではなく、芸術の本質を著者は全人格をもって語り、読む者を創作へと駆り立てます。美術を志す若い人はもちろん、鑑賞する立場の人も、また美術に
は縁がないと思っている人も、この本を読むと、熱い生き方へと奮い立たされることでしょう。
 
ぼく自身、読んでいる間、何度か本を閉じて思いを巡らしました。書かれている言葉の一つ一つが、ぼくに向かって「あなたは全力を尽くしてますか?」と問いかけてくるのです。真正面から勝負してくるので、読む側も相応の心構えがないとストレートパンチを浴びて、ぶざまにリング上に横たわることになります。そのあたりは、ひょうひょうとして読者をフワリと包み込む安野光雅さんの『絵のある人生』とはかなり趣が違います。
 細かな技法が紹介されていないからと言って、この本は評論家ふうな抽象論や精神論ではありません。どんなふうにものを見るのか、何を目指して絵を描くのか、という点で、実はかなり具体的なのです。創作をする上での貴重なアドバイスが山のようにあります。著者自身が常に表現の現場にいるわけだから、当然といえば当然ですね。
 章立てがいい。「何を描かないか」「何を伝えるか」「何を描くか」「何で描くか」「何に描くか」の5つ。読みたくなってくるような表題でしょう。そして冒頭。「絵を描くということは、自分にないものを付け加えていくことではなくて、自分にあるものを見つけて磨いていくこと。自分の良さを磨いていくことです。(中略)……自分にあるものは何か、ないものは何か、それをしっかり考えて探っていくことが大事です。」これだけで読者はすっかりつかまってしまいます。
 
この本で展開されている創作論は、世界的な美術の動向に視座を据えたもので、その第一線で活躍する著者だからこそ言える内容です。またグラフィックデザインとはいろんな点で性格を異にする世界であり、ましてやぼくの現状とはかなりかけ離れたものであると、しみじみ思います。でも、読者がそれぞれどのような状況に置かれていても、千住さんのような芸術観を基本にすることは、仕事の質を向上させる上で有益になるでしょう。
 ちなみにぼくは、著者の弟、千住明さん(音楽家)の講演録も持っているのですが、この兄弟の言ってることには多くの共通点が見られます。その一つは「夢中になるものを見つけること」。彼らが育った家庭環境がそれくらい豊かで芯の通ったものであったということでしょう。
                               1/24/2005

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