スケッチ旅行
3/30
このごろ、スケッチ旅行をしたいと思うようになっています。絵を描くために旅をする。かなり贅沢な願望。
旅行で絵を描くことは、スナップ写真撮影みたいにはいきません。どこでどんな絵を描くか、またそのための時間をどうとるか、という問題が出てきます。純粋に楽しみとしてのスケッチなのか、大きな絵をある程度その場で完成させるのかで違ってくる。自分なりの目的を持ち、それに従って画材を準備し、スケジュールを決めなくてはいけません。もちろん描きたいという欲求さえあれば、レストランのナプキンにだって絵は描けるわけで、その意欲が一番大切なのですが。
などと、偉そうなことは言えた柄ではない。ぼくが意識的に画材を持ち歩くようになったのはここ数年のこと。ハガキ大のスケッチブックを持ち歩いていますが、旅行では心構えも持ち運ぶものも少し変えた方がよさそうだなと、先日、横浜に行ってみて思いました。
年末に河口湖へ行った時にも感じたことですが、美しい風景を見た感動を描き表すには、四つ切り以上の画面が欲しくなります。横浜でもそうでした。それから、時間をたっぷりとって腰を据えて……そんな気持がふつふつと湧いてきた。でも、家族旅行でそれは至難の業。
去年、一人で上野公園へ行って、一日中いろんな動物をスケッチしたことがありました。あれは楽しかった。誰にも気兼ねせずに行動できたから。やっぱり、絵を描く作業はどこまでも孤独の中で行われるものなのですね。それは充実した孤独ではあるけれど。
スケッチ旅行というと、思い出すことがあります。もう8年ほど前のこと。家族で山中湖へ旅行に行った時、同じ宿泊施設に小学校低学年の女の子と、その父親らしき人が滞在していました。二人は青空の下、雄大な富士山の絵を描いていたのです。母親の姿がなく、父と娘が並んで絵を描いている光景が印象的でした。あの親子、今どこで何をしているのかなあ。
せこいよ、大相撲
3/26
大相撲春場所が終わりました。その結果からはなんだか安っぽいシナリオが見えてきて、白けてしまいました。
ぼくの記憶の範囲内では、生まれてこの方、7勝7敗で千秋楽を迎えた力士が、最終日に負け越したというのを見たことがありません(皆無ではないでしょうけどね)。まだいろんなことを無邪気に信じていたお人好しの高校生時代(いや、今でも多分にその傾向はあるのですが)ですら、裏がありそうだなあ、と推測するようになりました。
さて今場所カド番の魁皇は、負け越せば大関陥落のみならず引退かと騒がれ、ついに12日目に7敗の崖っぷちまで追いつめられました。でもその後奇跡的に2日間を勝ち進み、五分の星までこぎ着けていよいよ最終日。
千秋楽の相手は、初優勝のかかった白鵬。今場所の白鵬の強さは本物です。これはかなりきつい相手だ。で、もしかしてぼくは生まれて初めて、千秋楽に負け越す力士を目撃できるのじゃないかと期待しました。
ところがなんと、勝っちゃったのですよ、魁皇が。うそだろう、と思わず叫びましたね。勝負も、簡単に上手をとっての寄り切り。なんだ、また八百長かとガッカリでした。でも考えてみれば、白鵬はすでに大関昇進がほぼ確実だから、魁皇の救済が優先されることは十分にあり得ます。でも、優勝を犠牲にしてそこまでやるか? ……と、そう思った直後にピンときました。あ、そうか、これは最後に朝青龍が栃東に負けて優勝決定戦だな、と。
あきれることに、予想どおりの筋運びになりました。朝青龍も気が抜けるくらいの変な負けっぷり。開いた口がふさがらない。そして決定戦は打って変わって、見応えのある力相撲になりました。おそらくここだけはシナリオが用意されず、二人に任せたのでしょう。朝青龍は本来の実力を見せて優勝しました。
それにしても、先日のWBC決勝戦とはあまりの質の違い。こんな見え見えのやらせを続けるようじゃ、大相撲の人気は回復しませんよ。
Happy
Birthdays 3/24
――春分の日、午前
「もしもし」
「もしもし、ぼくや、敏幸や」
「ああ、あんたか。おはよう」
「誕生日おめでとう」
「ん? ああ、ほやったの。今日、誕生日や」
「何や、忘れてたんか」
「昨日は覚えてたんやけど、今日がいつかわからんで、忘れてたわ」
「自分の誕生日忘れたらあかんよ。んで、何歳になったかわかるか?」
「80や」
「ほんとか? 違うやろ」
「……81や。(中略)あんたの誕生日はいつやったんやな?」
「それも覚えてないんか。いつやったか、あててみ」
「何月やったな。……3月か? 母さんの誕生日より前か?」
「いや、あとや。近いんやけどな」
「25日か? 24日か? 22日か? そうか。明日や。おめでと。何歳になるんや?」
「何歳やと思う?」
「母さんが31の時に産んだんやでな」
「そや、そうすると何歳や? 引き算や」
「81やで……50や。ほー、50か。もうそんななるんか」
「そうや。でも元気なもんや。病気は全然してえん。母さんも元気そうやで、いいことやの。ちゃんと歩けるっていうのはいいことなんや。毎日歩き続けるといいわ。また新しい一年も元気での」
「おお、ありがとの。よう覚えててくれた」
「自分の親の誕生日を忘れるわけないやろ」
「ほやけど、わたしが忘れてたがの(笑)」
「ほんとやな。そやけど、ちゃんとぼくは覚えてる。心配せんでいい。誰かは覚えてるんや。(中略)じゃあ、また電話するわ。元気での」
「おお、あんたらもの。ありがとの」
奥本大三郎さん講演会 3/23
昨日、有楽町マリオンへ集英社主催の「完訳『ファーブル昆虫記』刊行記念講演会」に行って来ました。第一部が訳者の奥本大三郎さんの基調講演、第二部が養老孟司さんとの対談。面白かったですよ。
『完訳ファーブル昆虫記』は今第2巻の上まで出ています。このあと第10巻下まで全部で20冊刊行される予定。集英社のHPで講演会ご招待のお知らせがあったので応募したら、抽選であたっちゃったのです。昨日はぼくの誕生日だったのですが、いいプレゼントになりました。感謝感謝。
講演も対談も、期待どおり楽しむことができました。笑えたし。惜しむらくは第二部の対談で進行役を務めた編集者が、進行役の仕事をきちっとやってくれなくて、話のつなぎがよくなかったこと。沈黙がところどころ生じました。その素人っぽさがまた面白いと言えば面白いのだけど、もう少し芸があってもよかったのではと言う気がしました。奥本さんも養老さんも話し出せばいくらでも話題があるはずなのに、それを十分に引き出していませんでしたね。
養老さんもよく言ってますが、虫が好きな人は世の中の見方が違います。一般の人がどれくらい狭い価値観に縛られているか、虫を好きな人にはよくわかります。簡単に言っちゃうと、自然から物事を見られるか人工的なものからしか物事を見られないか、の違いだと思います。それが人間の幅の違いになります。
ぼくは虫の知識なんてほとんどない、まるっきりの素人ですが、他人との比較ではなく、いちおう虫好きのつもり。
こういう文化的な行事だと聴衆のほとんどは年輩のしかも女性が圧倒的に多いのだけど、この講演会では中高年の男性が多数という印象でした。でも女性もけっこういたし、子ども連れのお母さんたちもいました。奥本さんは、子どもたちの世代から虫好きの後継者が育ってほしい、と言ってました。ほんと、そうですね。ぼくの息子は何とかその路線を歩んでいます。
イチローとWBC 3/22
やったね、王JAPAN!WBCで世界一。決勝戦はハラハラドキドキして、興奮して、本当にいい試合でした。すんなりとは勝たせてくれなかったキューバ野球は、確かに底力があることがわかります。一般市民がやたら陽気で、その応援風景はサッカーのブラジルを彷彿とさせます。監督も選手も含めて一様に「金のためにやるんじゃない、国のためだ」と言ってるのが、いかにも社会主義国家ふうで印象的でした。
さて、今大会を見ていて、イチローの言動は今までとはまったく違ったイチロー像をぼくたちに与えてくれましたね。しょせんメディアを通してしか彼を知らない素人の判断なのでしょうが、それにしてもあの気合いの入れ方とはしゃぎ方を見ていると、ここ数年、マリナーズで一人気を吐いても、ずっと最下位の地位に甘んじている状態に、相当フラストレーションがたまっていたのかな、と感じました。
昨年の古畑任三郎ドラマ出演も、ポストシーズンに出られなかった憂さ晴らしのようにも見えるし、マリナーズにはもうあまり期待していない、という雰囲気も伺えます。そして、このWBCで今までのモヤモヤを
一気に爆発させたような感じです。
コミュニケーションの問題もあるのかも知れない。いろんな国のアクの強い選手がいるメジャーリーグでは、言葉のハンディを抱えながらプレイのみで自己表現をし続けることは並大抵のことではないでしょう。それに比べれば、日本代表のチームでは、自分の経験や思いをずっとたやすく他の選手たちに伝えることができたのじゃないかと想像するのです。
挑発的な発言については批判もあるでしょうが、なんだかんだ言っても結局試合ではちゃんとした結果を出すところが、超一流のプロなんだな、と思いました。決勝戦しかり。
そんなことを考えながら、ぼくは40代最後の休日を、気分良く過ごすことができたのでした。そして今日もちょっとしたイベントがあるのだけど、それはまた明日にでも報告します。
鳥獣戯画の線 3/18
筆ペンで描く絵の仕事が入ることになりました。本番前に筆に慣れなくてはいけないと言うので、「鳥獣戯画」を模写してみました。下に掲載したのはぼくの模写。オリジナルではありません。
この作品の歴史や作者などについて調べ始めるといろんな発見があって、これがまた面白いのだけど、それはまた「絵、なに?」で取り上げましょう。
さて、模写して改めて、卓越したデッサン力に驚かされました。1)筆の特性を知り尽くしている。2)動植物を徹底的に観察している。3)絵全体で言えば、構図が考え抜かれている。ほんの少し描いただけでも、そんなことがよくわかります。
例えばカエルにしてもウサギにしても、現代のイラストなどとは全然違うのです。写実でいて、しかも簡潔で、ユーモラスな線。それはもう驚愕のテクニックですよ。日ごろ見たり自分で描いたりする絵とは、全然違う方向に手を動かすわけです。こんな風に耳や目や足を描くんだ、と感動するばかり。
今の時代は、筆で描いた絵は一歩間違うと、ものすごく古くさく見えてしまいます。テクニックがまるでないと悲惨だし、中途半端なテクニックに走ると、ほら上手に見えるでしょ、みたいなあさましい根性があからさまになって、鼻持ちならなくなるのです。だから、きっと筆はかなり洗練された技術や感性を要求する道具なんじゃないかと、思ったりします。
でも、本質をつかむ感性とそれを表現しきれる技術を兼ね備えた人の絵は、いつまでも古くならないんですね。「鳥獣戯画」というのは、そんな絵です。
わかりやすさの落とし穴 3/16
イナバウアーは体を反らすことだと思っている人が多いらしい。違うんですね。片膝を曲げ、もう一方の足をのばし、つま先を180度外側に開いて、横にすべっていく。それがイナバウアーです。ところがいつの間にか、体を反らすことだと思われてしまっています。
テレビは、ごく少数の番組をのぞいて、徹底して素人向けビジュアルメディアです。素人にわかること、視覚的に訴えることしかやらない。考えさせることは避ける。面倒で込み入った説明はしない(特に民放)。でも、そうすると、いつまでも真実が伝わらなかったり、どこかで誤解を生じる危険性があります。
トリノ・オリンピックの別の例を挙げましょう。女子モーグルについてテレビは競技が始まる前、上村選手の派手なエアばかり繰り返し放映して、メダル確実みたいなことを騒いでいました。でも実際には途中のターンこそが大事で、それが得点の差になりました。そういうことを、あとになってようやく言うわけです。
アイススケートだって、ジャンプと同じくらいスケーティングや表現力などが重視されます。それなのにジャンプがすべてみたいに、安藤美姫の4回転ばかり取り上げてたわけですね。そして荒川選手が金メダルを採ったら、今度はイナバウアー。しかもとんでもない方向に持ってっちゃって。
マスメディアは自分たちの報道の影響力をもっと自覚しろよと思うのだけど、気分本意の報道を改める気配はいっこうにない。自分たちでかき回した責任をとろうとはしません。
でも、素人向けばかりというのは本の世界でも同じですね。どの分野でも、初心者向けの本はわんさかあるけれど、一歩先へ進もうとすると、その要求に応えるものはなかなか見つかりません。新書だって、最近ははじめから素人向けの雑談っぽいのしか作らないから、本当のところが伝わっていないことが多いと思います。大衆文化とは、ある意味わかりやすさなのだけれど、わたしたちも吟味もせずにわかった気になるのは、危ない危ない。
入江校長先生の話 3/14
今日は娘が通う女子美高校の終業式でした。先週、娘から入江観(いりえ・かん)校長先生がこの3月でお辞めになると聞きました。えっ!? それはもうぼくにとってはショッキングなニュース。
聞けば、女子美そのものを退くわけではないということなので少し安心しましたが、しかしやっぱり残念です。生徒たちにも「観ちゃん」と、まるでアイドルのように人気のある校長先生だったとか(その割には、先生の話の最中、生徒たちはおしゃべりばかりしていて、まともに聞いていない!と娘は怒っていましたが)。
思えばぼくは、おととし11月の学校説明会で、この先生のお話を聞いて感動し、こういう学校なら娘を入れてもいいと思ったのです。それは今もぼくの心の支えです。あの時、先生はこんなことをおっしゃいました。
「美術の才能はいつ開花するかわかりません。個性というものは必ずしも目立つものばかりではありません。目立たない個性もあるのです。女子美はそれをじっくりと育てていきたいと思います。人生はうまくいくことばかりではありません。でも、好きなことならずっと続けていけるし、美術は続けていてよかったと思える活動です。社会に出てすぐに売れることが大事なのではありません。生活全体を美術的な感覚を持って送ることができれば、それは素晴らしいことです。」
この言葉、美術を目指す人たちだけでなく、すべての分野の、すべての年代の人たちを励ましてくれると思いませんか?
7月にぼくは先生の講演会を聴きに行きました。「人は「何故」絵を描くのか」という、これもすばらしいお話でしたが、その冒頭で先生は「慢性時間欠乏症です」とおっしゃっていました。絵を描く時間がないのだそうです。校長職にとどまっていては絵に費やす時間がとれないでしょう。その意味で、4月から少しでも絵が描けるようになるのであれば、喜ぶべきことなのかも知れません。
アイススケート 3/13
教会学校で昨日、子どもたちとスケート大会に行って来ました。子ども10人と大人12人の参加。トリノ・オリンピック以来アイススケートの人気がにわかに急上昇しているので、もしかしてめちゃ混みかも知れないと恐れていましたが、まあまあの人出でした。
リンクの中央では、フィギュアスケートを練習している女の子たちがたくさんいました。彼女たちは衣装も動きも違います。ジャンプやらスピンをやっていましたが、イナバウアーをやっている人はいませんでしたね。ビールマンスピンもやっていなかった。
ぼくは今回バックの練習を開始しました。前へは何とか大丈夫なので、そろそろ後ろ向きに滑れるようになりたい。足をハの字に開いて閉じて開いて……と繰り返します。少しずつ後ろに進むようになりました。スケートには年1回しか行かないから、ぼくの場合、数か年計画です。3年くらいかけてバックを滑れるようにして、その後55歳くらいで1回転ジャンプに挑戦、60歳を目標にイナバウアーです(笑)!
こんなこと誰も信じちゃくれませんが(自分でも思ってないって)、でも年1回行くだけでも上達することは確かですよ。中年過ぎても。身をもって体験してますから。
昆虫を飼育する 3/10
おととい買ってきたクワガタをさっそく絵に描きました(絵日記ですよ)。メスの方はほとんど一日中、土の中に潜っています。幸いオスは外にいて、しかも比較的じっとしていてくれるので、描きやすい。インターネットで調べたら、このクワガタはおとなしくて鑑賞に向いているらしいのです。でもこれでメスみたいに土の中ばかりにいたら、鑑賞できませんね。
最近は外国産の甲虫類が人気で、輸入が増えているそうですが、問題になっているのは、飼えなくなったからとか何とか言う理由で、野外に捨てること。そのために生態系が壊されて、現にカブトムシもクワガタも、従来のものとの雑種が現れてきているそうです。昆虫だけじゃない。犬でも猫でも、飼育を途中で放棄する人がずいぶん多いそうです。困ったもんだ。
わが家では外国産を飼うことは全く考えていませんでした。今回のクワガタは偶然の巡り合わせだったのですが、最後まで面倒を見て、死んだ時にはちゃんと標本にしようと考えています。
でも、実は老衰で死んだ虫は標本としては出来がよくないのです。足や触覚もちぎれやすいし。ぼくたち家族は標本よりも飼育の方が好きだというのは、ここ数年の経験でわかってきました。生きてるのって、やっぱり素晴らしいじゃありませんか。
悲喜こもごもの春 3/8
今日は申し分のない春の陽気でした。ペットたちにもひなたぼっこさせてあげよう、とカメのマックを水槽ごとベランダに出してやり、カマじいさんのケースは窓際におきました。ぼくもこんな日に引きこもっているのはもったいないと、午前中お出かけをしました。
最初の目的は、おととい娘から聞いたクワガタを買いに行くこと。なぜか本屋で売っているのです。初めて見た種類ですが、これはカッコイイ(生き物ですよ)。
帰りに団地のすぐ後ろの公園で木をスケッチしました(絵日記ですよ)。以前から描きたかったのです。絵を描き終わった時、芝生の上に目をやると、シジミチョウが2頭、飛んでいました。ぼくにとってこれで今年2回目の蝶の出現。カマじいさんとヤモリのために採ってやろうと思い、網を持っていないので手で採ろうとしたけど、やっぱり無理でした。
さて、春を満喫して気分良く帰宅をしたのですが、窓際においておいたカマちゃんがぐったりしているのを発見! 暖かい陽射しにやられてしまったらしい。老齢の身には環境のわずかの変化さえ命取りになるのですね。せっかくここまで生き延びてきたのに。かわいそうなことをしてしまいました。ごめんよー。
そんな悲喜こもごもの一日でした。
はじめに体質ありき 3/6
人や自分とつきあっていて、ある時、ふと気づきました。人間の生き方や考え方の元になるのは理屈ではなく体質なのだなあ、と。理屈なんてのはあとでくっつけるもの。例えば同じような体験をしても、楽天的な人は楽天的に解釈し、悲観的な人は悲観的に解釈して行動するのです。理論が先にあるのではなく、まずそんなふうに動いてしまう。そして生きていく中で、自分のまわりや歴史から、自分と波長の合う理論とか人生観を見つけて、お気に入りの服を見つけるように、身につけるのですね。自分にピッタリのサイズ・色・デザインだと。
体質というのは、言い換えればDNAですよね。でももちろんそれだけで性格や考え方が決まるわけではない。どこでどんな風に育つかで変わってくるはずだ、と誰しも思います。でも、ある脳科学の本によれば、環境も素質も性格形成の重要な要因だけれど、割合としては素質が若干優位のよう。
実際にあった話だそうですが、ある双子が別々のかなり異なった環境で育ったにもかかわらず、成長したときには似たような性格になっていたとか。さて、この事実を喜んでいいのか悲しむべきなのか。喜ぶのか悲しむのか、ここでまた体質が現れちゃって、……こりゃ、堂々巡りだなあ。
印刷と本物 3/2
おととい東京都美術館へ「ニューヨーク・バーク・コレクション展」を見に行きました。アメリカのメアリー・バークさんという富豪が集めた日本美術品の展覧会なのですが、これがまた良かったですね。縄文土器から江戸時代の屏風絵まで。
展覧会に行っていつも迷うのは、図録やおみやげをどの程度買うかです。結局ぼくはいつも絵ハガキを数枚買うくらい。当サイトでしばしば言ってますが、本物と図録との色の違いがどうしても気になるのです。
今回の展示作品の中にも、あまり知られていない画家の絵で、全国6ヶ所の「玉川」という名の川を描いた連作がありました。その水の青が鮮やかで、それがこの絵の命とも言えるものでした。あの色はプロセスカラー(一般的な印刷用インク)では出せないから、図録では違ったふうに見えてしまうでしょう。やっぱり記憶の中だけにとどめることにしました(絵ハガキはなかった)。
面白いなと思ったのは、先日のクレー展で売っていたタオルやTシャツ。印刷されているクレーの絵はもちろんオリジナルとは色が違っているのですが、それはそれなりに素敵なデザインになっているんですね。それがクレーの面白さだなあと感心しました。
日本酒がいい 3/1
アメリカで日本酒がブームなんだそうです。去年1年間に輸出量が全体で17%増え、アメリカでは23%増とか。最近よく日本酒の話を聞くようになったのは気のせいかなと思っていたら、実際に少しずつ人気が復活しているんですね。
ここ数年焼酎がずっとブームで、新聞記事などで日本酒の人気が低迷なんて書いてあったから、ちょっと残念だったのです。焼酎焼酎とみんなが騒ぐから、ぼくもこれまでにいくらか飲んではみたのだけど、体があまり受けつけないことがわかりました(でも泡盛ならおいしいと思う)。だから自分に合わないことはしない。ぼくはブームには流されず、あくまで醸造酒派(日本酒、ビール、ワイン)で行こうと決心したものです(決心するようなことじゃありませんが)。
ところがここへ来て、にわかに再びブームの兆しが。いやあ、それは嬉しいことです。蔵元の数がだんだん減っていくなんてニュースを聞くと、ぼくたちのまわりから自然や動物や昆虫の数が減っていくのと同じくらい心配してましたから。
日本酒は世界に誇れるお酒です。焼酎に負けるな、と今日もぐい呑みで一杯。一杯だけなんだよね。かわいいもんでしょ。
2月の「ごあいさつごあいさつ」
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