#041
「戸板康二街道をゆく」(03, September. 2004)
■ はてなダイアリーで「日用帳」というのを書いていて、戸板康二にまつわる日々の出来事も書いたり書かなかったりしている。「日用帳」から抜粋したり追記したりして、今月からこのページに1カ月ごとの戸板康二道を記録していこうと思う。名づけて「戸板康二街道をゆく」、ちわみさんの blog「森茉莉街道をゆく」からの無断借用です。なにかと共感大で、戸板康二ダイジェストを作ってゆく上でもとても刺激を受けているので、敬意を表しつつ。
某日:
● 本読みの快楽の金子さんに、吉川弘文館の『国史大辞典』の「三木竹二」の項を戸板さんが書いているのを見たと教えていただいた次の日に図書館でさっそく『国史大辞典』をよいしょとめくった。『国史大辞典』の補巻には「戸板康二」の項があり、簡にして要を得た人物紹介を服部幸雄氏がしていらした。「三田文学」の説明文中に戸板康二が登場していた。……というところまで確認したところで閉館時間になってしまった。三木竹二のほかに戸板康二が執筆を担当した項目はどんなものになっているのだろう。非常に気になるところである。追々追跡したい。【→「日用帳」8月6日付】
某日:
● 西荻の盛林堂で宮田重雄著『竹頭帖』(文藝春秋新社、昭和34年)を買った。内田誠が露伴翁から聞いた話がタイトルの由来になっている「竹頭帖」の初出は「西日本新聞」の「百日随筆」なる連載(昭和33年掲載)。「西日本新聞」の「百日随筆」というと、『ハンカチの鼠』[*] の冒頭に収録されている50篇の初出(昭和37年掲載)ということで記憶に残っていた。「西日本新聞」の「百日随筆」の系譜、というのがあるのかも。宮田重雄の著書があったことを今まで気にとめていなかったのはとんだドジだった。「いとう句会」研究への志を新たにする。ちなみに西荻の盛林堂は『戸板康二劇評集』[*] を買った思い出のお店。【→「日用帳」8月8日付】
某日:
● お盆休みの炎天下のなか、「鈴本夏まつり」までの空き時間を利用して谷根千を歩いた。出発は西日暮里。諏訪神社の近くで久保田万太郎の旧居はこのあたりかしらとひとりではしゃいで、戸板さんの「久保田万太郎遺跡」(『五月のリサイタル』[*] 所収)のことを思う。古書ほうろうの「モクローくん大感謝祭」見学後にふらりと立ち寄った鴎外記念本郷図書館にて「冬夏」第9号(昭和16年3月)の鴎外特輯を閲覧。「冬夏」を見たのはこの日が初めてでたいへん感激する。実はここ何ヵ月か「冬夏」の諸々に関していろいろと追跡しているところなのだったが、肝心の本誌を見るのを後回しにしていたのはいけなかった。と、急に「冬夏」に燃えているところ。【→「日用帳」8月13日付】
某日:
● 深い考えもなく神保町に立ち寄る。通りがかりの店頭ワゴンで、戸板関子著『新式実用戸板裁縫全書』(広文堂書店、大正6年)を発見。一瞬買ってしまいそうになるが1300円だったので思いとどまった。あえて探そうとは思わないけれども、この先、廉価で再会することがあったら、戸板コレクターとしては無視できないだろうなア。というようなことを思ったその直後の店内で、長らく探していた、戸板さんが解説を寄せている角川文庫版の三島由紀夫著『花ざかりの森』(昭和30年発行)を見つけて狂喜。【→「日用帳」8月14日付】
某日:
● 戸板関子さんで急に、戸板女子短期大学のことを思い出す。戸板女子短期大学図書館の「戸板文庫」、見学はもうちょっと心の準備ができてからにしようと思っているうちに早4ヵ月【→「戸板文庫」の詳細については制作ノート4月18日付の後ろの方に記載あり】。このままではどんどん後回しになってしまいそうなので、夏休みを利用してまずはほんの下見をと思いきって出かけてみることにした。見学に至るまでの細かい経緯はここでは省くけれども、チラリと見ることになった「戸板文庫」はとにかくもうたいへんな愉悦。戸板短大の図書館は洋館の邸宅の図書室という雰囲気のこじんまりとした典雅なたたずまいで、「戸板文庫」は吹きぬけになっている2階への螺旋階段沿いの壁に天井までビシッと詰まっている。開架棚は署名本がズラリで、その書名および著者の並びもパッと見ただけで胸が躍って仕方がない。そして、たいへん感激だったのが、藤木秀吉の形見分けで戸板さんの手に渡ったという、「歌舞伎新報」と「歌舞伎」の合本がデーン! と視界にさっそく飛びこんできたこと。とにかくもう興奮しすぎてソワソワだった。
● 書棚に手を伸ばして、いろいろと手に取った。芦田伸介の『ほろにがき日々』なんてのもあった。十返肇の本も何冊かあった。夢声戦争日記も献呈署名入りだった。渡辺保さんの『忠臣蔵』(中公文庫)にも「戸板康二先生」と書いてあった。ロッパの本もあった。三宅周太郎の『観劇半世紀』もあった。……などと、いちいち書いていたらキリがないけれども、とにかく大変なものだった。と、「戸板文庫」を前にすっかり怪しい奴と化していたであろうわたくしであったが、「歌舞伎」の合本をペラペラとめくっていたそのとき、図書館の方が声をかけてくださった。そして、お話をうかがってびっくり、なんと、前にも「戸板文庫」の見学にいらした方がいらっしゃって、その方がおっしゃることには当サイト「戸板康二ダイジェスト」の記事がきっかけで見学にいらっしゃったとのことで、その際に図書館の方に「戸板康二ダイジェスト」についてお知らせいただいていたとのこと。ひたすらジーンだった。さらにうかがったところによると、整理しきれていないものが書庫にまだまだたくさんあって、そのなかには「個人的なもの」も混ざっているという。「個人的なもの」っていったい!
● と、この日はほんの下見という感じで、後日の来訪を誓って戸板短大をあとにしたのだった。なるべく近日中にぜひ再訪せねば! と残暑のなかでメラメラと燃えたわたしだった。開館日は平日のみなのでわたしの場合はすぐにというわけにはいかないけれども(10月中にはぜひ)。とにかく、今度は書庫の見学もして「個人的なもの」の実態を見極めたいところ。
某日:
● 三百人劇場で渋谷実の『バナナ』を見る。その《社会派コメディの変遷 渋谷実と前田陽一》特集上映のチラシを眺めて、前田陽一が戸板さんと同じ誕生日(12月14日)ということに気づく。前田陽一は前々から見たかった『進め!ジャガーズ 敵前上陸』を見る予定でいたが結局見逃してしまった。【→「日用帳」8月18日付】
某日:
● 東武百貨店にて開催の《江戸川乱歩と大衆の20世紀展》をご覧になった金子さんから「戸板さんに宛てた乱歩の原稿依頼状のカーボンコピー」が図録に掲載されていることを教えていただいて、これは展覧会にもぜひ行かねば! と思ったら、すでに会期終わっていた。見逃してしまって無念なり。【→ 金子さんの「新・読前読後」8月19日付】
某日:
● 八重洲地下街の八重洲古書館で、小山久二郎『ひとつの時代―小山書店私史―』(六興出版、昭和57年)と丸岡明『赤いベレー帽』(講談社、昭和44年)を買った。2冊とも戸板康二を媒介にして興味を抱いた本で、2冊ともその日初めて存在を知った本。ちなみに、八重洲古書館は金子さんが「銀座百店」の戸板康二追悼ページ掲載号(1993年4月)を50円で発見し、わたくしがちょうだいしたという思い出のお店。【→「日用帳」8月20日付】
某日:
● 京橋図書館へ出かけるたびに足を踏み入れている松屋裏の奥村書店で、池田弥三郎著『行くも夢止まるも夢』(講談社、1980年)を購う。和木清三郎の雑誌「新文明」に関する記述が目にとまる。【→「日用帳」8月25日付】
某日:
● ひさしぶりに演劇書専門の銀座4丁目の奥村書店でお買い物。戸板さんが在籍していた日本演劇社が刊行していた頃のいわゆる第一次「演劇界」の昭和22年9月発行号を花森安治の表紙目当てで買った。開戦の次の日の昭和16年12月9日に初対面した花森安治に戦後再会して、戸板康二は「暮しの手帖」で創刊号から「歌舞伎ダイジェスト」を連載し、名著『歌舞伎への招待』が生まれる契機となったのだったが、花森安治が「演劇界」に表紙画を描いたのは、戸板さんが花森と再会したのか機だったのかどうか気になるところである。『あの人この人』[*] の「花森安治のスカート」には、《昭和二十二年ごろ、新橋の銀座寄りのまだ水があったころの河岸に、築地の私のころの職場、日本演劇社から歩いて来ると、花森さんが立っていた。》となっている。
● 同日、念願だった、権藤芳一著『近代歌舞伎劇評家論』(演劇出版社、昭和34年)も購入。これまで目を通してきた文章の参考文献でよくその書名を目にしていて、前々から非常に気になっていた本なのだったが、これまで見つける機会がなかった。「芸能」に戸板さんがこの本の書評を書いていたのだった。【→「日用帳」8月27日付】
某日:
● 鎌倉の木犀堂で、岡田八千代著『若き日の小山内薫』(古今書院、昭和15年)を購入。この本はすでに図書館で借りて読了済みで、たいへん感激して、しばし戸板さんの本で岡田八千代を探したものだった(『泣きどころ人物誌』[*] や『わが交遊記』[*] など)。戸板康二が岡田八千代と対面したのは、明治製菓入社後、岡田と懇意だった内田誠邸でのことだったという。左團次が他界した直後に刊行となった『若き日の小山内薫』は、戸板さんもリアルタイムで読んでいたに違いない。
● そのあと、四季書林では、戸川秋骨『自然・気まぐれ・紀行』(第一書房、昭和6年)、折口信夫『恋の座』(和木書店、昭和24年)、正宗白鳥『人さまざま』(新樹社・日本文学名作文庫、昭和21年)を買った。戸板さんが予科時代に英文学の講義を聴いていたという挿話がいいなアとかねがね思っていた戸川秋骨を読んだのは去年のこと。いったん読んでみると一気に大好きになった。『ぜいたく列伝』[*] を気に興味津々になった長谷川巳之吉の第一書房本ということもあって、二重の意味で嬉しい本。
● 折口の『恋の座』は、池田弥三郎の『まれびとの座』(中公文庫)所収の「私製・折口信夫年譜」の昭和24年2月24日に出版記念会のことが書いてあったのを見て以来、気にするようになった本。版元が、戸板さんが劇評デビュウを飾った昭和10年代の「三田文学」の名編集長、和木清三郎で、敗戦前は中国に行っていて戦後帰国してみると「三田文学」が別の人のもとで編集されていて、肩透かしをくらった恰好だったという。昭和24年の1年かぎりの和木書店での出版活動は折口のほか、小泉信三、高橋誠一郎、石坂洋次郎と、見事に三田系で統一されている。「新文明」の創刊は昭和26年の9月。戦後の小泉信三と「新文明」に関しては、山口昌男がちょろっと書いていた。「新文明」にまつわることも追々追ってゆきたいところ。正宗白鳥の『人さまざま』は『かぶき讃』と同じ、伊原宇三郎の装幀。【→「日用帳」8月30日付】
■ などと、一カ月間の戸板康二道を並べてみたら、ずいぶん冗長になってしまった。なにかと気が引き締った日々だった。そんなこんなで「戸板康二ダイジェスト」は3年目に突入なのでした。
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