#020
夏至の池ノ上古本日記(14, July. 2003)
■ 前回の制作ノートに「クイック・ジャパン」最新号に掲載の鼎談記事で戸板康二の名前が一瞬登場しているということを書いた直後に、またもや 本屋さんの雑誌コーナーで戸板康二の名前を発見した。「彷書月刊」7月号の PR 誌特集で、紅野謙介さんによる「雑誌『スヰート』のもうひとつの構図」という、戸板康二が大学卒業後に携わった明治製菓の PR 誌「スヰート」に関する文章が載っていて、立ち読みして大興奮、もちろん衝動買い。その直後に発売になった「BOOKISH」第4号には、本読みの快楽で有名な金子拓さんの連載「読前読後の快楽」第4回『関東大震災の文学誌 <下> 』にて、戸板康二の名前が登場している。戸板康二のことが活字媒体で上質の書き手によって取り上げられる、戸板ファンにとってこんなに嬉しいことはない。あまり雑誌をチェックしていないから見逃してしまっていることも今まで多々ありそうだけど、これほどまでに立て続けに戸板康二が取り上げられるとは、戸板康二ブームの胎動は本当だったのかもしれない。
■ 野口冨士男の『感触的昭和文壇史』(文藝春秋、昭和61年)を買った。もともと前から読みたかった本だったのだが、さらに嬉しいことに買ったのは献呈署名本で、しかも定価よりも安く買えた。古本屋に行くといいことがあるなアと上機嫌になりつつ、献呈先の名前を眺めて、うっすらとその名に覚えがあるようなないような、うーむ、どうだったかしらと気になって、ウェブで検索したところ、ああ、なんということ! 戸板康二ダイジェストのとあるコーナーがしっかりヒットしているではありませんか。野口冨士男の献呈先のとある人物は、戸板康二ともちょっとばかり関係していたとある人物だった。
■ Chronology【私製・戸板康二年譜 1915-1993】に追加修正。
■ 野口冨士男の短篇集『少女』(文藝春秋、平成元年)を読んだ。表題作の『少女』は、敗戦からまだ間がない世相を背景としていて、美少女の令嬢と彼女を誘拐した青年の逃避行を描いている。完璧な短篇小説とはこういう小説をいうのだということがよくわかった。絶品だった。敗戦後の東京から地方へと移動していく描写が映画的というかなんというか、なんとなく黒澤明の『野良犬』とかヴェンダースの『都会のアリス』みたいな感じがして、研ぎ澄まされた文章構築にクラクラ。他に収録されている短篇小説もどこれもこれもとてもよかった。野口冨士男は戸板さんより4歳上なので、ほぼ同年代の東京を共有しているわけで、その点でも非常に興味深い。というわけで、年譜の片隅に、野口冨士男の『少女』所収の短篇小説の一節を抜き書きしてみた。
■ List【戸板康二・全著書リスト】に、『ハンカチの鼠』(三月書房)[*] と『歌舞伎 ―その歴史と様式―』(NHKブックス)[*] の書誌データを追加。
■ 先月の夏至の日、ひさしぶりに日本民藝館へ行ったのだったが、その一方でささやかながら古本屋めぐりを満喫した。
■ 駒場東大前で井の頭線を下車して、ふと思い出したのが河野書店のこと。駒場の駅前にあるという河野書店では、今までウェブ経由で二度買い物をしたことがあったものの、お店には一度も行ったことがなくて、いつか必ず行かねばとずっと思っていた古本屋さんのひとつだった。ウェブ経由での二度のお買い物というのは、いずれも戸板康二関連の本で、買ったのは久保田万太郎との共同編集の児童向けの歌舞伎入門書『歌舞伎教室』[*] と、三回忌に配布された追悼文集『「ちょっといい話」で綴る戸板康二伝』[目次]。二冊ともきわめて珍しい本のような気がする。これら貴重な本を(あまり高くない値段で)売ってくれた河野書店! いくら感謝してもしたりないほどだ! と、「駒場の河野書店」と聞くとひとりで興奮してしまうのだったが、いままで何度か駒場に来たことはあったというのに、その度にうっかり行き損ねていて幾年月、の懸案の古本屋さんであった。
■ 今回駒場の駅に下車したときにふとそのことを思い出したものの、場所はきちんと把握していなくて、とりあえず日曜日の午後の静かな駅前の道を少し歩いてみると、河野書店はすぐに見つかった。無事営業中。長年の懸案、無事解決だった。学術書や、美術や演劇書、洋書もたくさん並んでいる棚、その全体の様子がとてもいい感じ、非常に好ましい。店内の隅にちょこっとある文庫本コーナーの並びも絶妙で、ついいつまでも長居をしたくなるようなお店で、ひたすらいいなアという感じだった。こういうお店で本を買うという、ただそれだけのことがとても嬉しい、というそういう気持ちにさせてくれる古本屋さん。店内には書庫にあるような可動式の本棚があって、先客がいる場合はしばし待たねばならない。そんなこともなんだかたのしくて、いい感じ。わたしが行ったときは、外国人のお姉さんが一心不乱に棚の本を見つめていた。
■ 今回河野書店で買ったうちの1冊が、函がだいぶ汚れている『ハンカチの鼠』[*] で、500円だった。スキャナにとるときは帯をはずすのを原則としているのだけど、今回はつけたままで。戸板康二にとっては初めての三月書房の小型本となった『ハンカチの鼠』。旺文社文庫になっている『ハンカチの鼠』[*] 、『女優のいる食卓』[*]、『夜ふけのカルタ』[*] はいずれも大好きな本で、わたしが戸板康二に夢中になったのは昭和20年代の歌舞伎本がきっかけだったけれども、もっと広く「文人」としての戸板康二に夢中になったのは、すなわち戸板康二全般を追いかけるようになったきっかけは何だったかしらと追憶してみると、3冊の旺文社文庫が大きな位置を占めているように思う。今まで何度も読み返していて、そのたびに発見がある。つい先日も、『夜ふけのカルタ』の「久保田先生の芝居の句」を熟読していたばかり。というわけで、旺文社文庫の3冊の初版である三月書房の小型本を少しずつ手に入れたいと思っていたところなので、河野書店で『ハンカチの鼠』を買ったことはとても嬉しい。演劇書関係で欲しい本を何冊も散見できて、今度来るときはまだ棚に残っているかしら、残っていたらぜひともまたお買い物したい。
■ と、河野書店で上機嫌になり、心持ちよく浮か浮かと日本民藝館を見学したあとは、十二月文庫の前を通って池ノ上にいたるコース。日本民藝館はそのあとさきの散歩も実にたのしい。十二月文庫に来たのは、今年になってから初めて、ずいぶんごぶさたをしてしまったけれども、あいかわらずのたたずまいがとても嬉しかった。永久に十二月文庫がここにあって欲しい、と心から思う。今回こそは窓辺でコーヒーを飲みたかったのだけれども、先客がいたので断念。そのかわり、棚をくまなく眺めて、満足満足。十二月文庫は入るたびにいつもわたしの好きな曲が流れていて、ずうずうしくも他人ではない気がしていたのだけれども、今回ははじめてわたしの知らない、ヴァイオリンとピアノの何かのソナタが流れていた。最近、落語ディスクにかまけて、音楽がちょいとお留守になっていたのかもしれない。わたしからクラシックをとったらいったい何が残るだろうと大いに反省をして、今後のクラシック道の精進を誓ったのだった。
■ 今回十二月文庫で買ったのは、風間完著『さし絵の余白に』(文化出版局、昭和58年)。画家・美術家によるエッセイで名著は多いけれども、風間完はどんな感じかしらとワクワク。風間完は、戸板さんともとても親しかった十返肇の義兄、すなわち十返千鶴子さんのお兄さん。ここ数ヶ月、文壇関係の本を何冊か読んで、そのたびにぶつかるのが十返肇で、この人物およびその人物誌にこのところさらに興味津々だ。わたしが初めて十返肇の著書を買ったのは、二年前の夏休みの鎌倉散歩でのこと、吉行淳之介編『昭和文学よもやま話 十返肇著作集より』(潮出版社、昭和55年)だった。風間完はこの本の装幀をしている。風間完の装幀本で好きな本は少なくないような気がする。野口冨士男『私のなかの東京』(文藝春秋、昭和53年)、車谷弘『銀座の柳』(文藝春秋、昭和55年)、これらは中公文庫にもなっているけれども、初版の単行本も売っているのを見つけるとつい買ってしまったくらい愛着のある本だ。以上が、わたしにとっての風間完装幀本の御三家。その風間完の文章集が何冊も出ていることは今までまったく知らなかったので、十二月文庫で新たに目が開かされた感じ、古本屋に行くといいことがあるなアと本当に思う。
■ 十二月文庫を出て、池ノ上の駅に向かって、線路をわたってそのまま直進すると、右手に由縁堂書店という古本屋さんがある。池ノ上に行くたびに必ずのぞいている。十二月文庫に初めて行った日のこと、池ノ上駅前のたたずまいがとても気に入ってしまって、なかなか立ち去りがたくて、試みにちょいと線路をわたった先の方へ歩いてみると、すぐに由縁堂書店に遭遇して「ワオ!」となった。「ワオ!」となったのは、それより以前五反田の古書展の目録で戸板康二の本を数冊出品していた本屋さんの名前だったことが記憶に残っていたからで、当時申し込み損ねたのが2年たった今でも悔やまれるくらい。と、目録だけで名前を知っていた本屋さんが、突然眼前に登場したので「えー!」とびっくりだった。由縁堂書店は、昔ながらのごくごく普通のたたずまいの典型的な「町の古本屋さん」。初めて入ったときから目についたのが演劇書がわりかし充実していることで、戸板康二の本もその合間に何冊も並んでいた。というわけで、池ノ上に来るたびにとりあえず毎回見に行っているお店で、今まで久保田万太郎の本を100円で買ったり、ごくふつうの文芸書を400円で買ったりといった、きわめて気合いのない買い物をたまにしていて、そんな力の抜け加減がいかにも似つかわしい。
■ 前回来たのは数ヶ月前だが、あの日このお店の棚で見た獅子文六のとある本、未読なので今回あったら買うとしよう、などと思っていたが、やはりすでに売れてしまっていた。ぼーっと棚をくまなく眺めて、演劇書のコーナーでもぼーっと眺めていて、ふと戸板康二・郡司正勝共著『歌舞伎 ―その歴史と様式―』(NHKブックス)[*] を見つけて、いくらで売っているかしらとなんとはなしに手にとってみると150円、安いッ。なぜか使命感のようなものを感じつつ、即買い。お会計に行くと、猫が2匹、ぐーぐーと昼寝をしていて、実に気持ちよさそうで、いいなアと思った。本当にもう、いかにも猫の昼寝が似合う古本屋さんなのだ。昼寝をする猫2匹を見ているとつい、猫になりたい、と思ってしまう。夏至の日の夕方、古本屋で昼寝する猫を見て、久保田万太郎だったらどんな俳句をつくるだろう。NHK ブックスの『歌舞伎』、書誌データを作ってみると、装幀者が河野鷹思なので少し驚いた。
#021
五反田古書展の『劇場歳時記』(30, July. 2003)
■ List【戸板康二・全著書リスト】に、『劇場歳時記』(読売新聞社)[*] の書誌データを追加。
■ 土曜日は早起きして、ひさしぶりに古書展、五反田遊古会へ出かけた。五反田の古書展に初めて行ったのがちょうど二年前の7月のこと、今回来たのはそれ以来のことだから、実に2年ぶりということになる。五反田の駅からズンズンと会場に向かって歩いているうちに、鮮明にあの日の記憶が甦ってきた。今回もあの日とおんなじように、この方向でよかったのかしらと不安になりつつ歩いてゆくと、ほどなくしてよどんだ一角が目に入り「あのよどんだ感じはもしや!」と歩を速めると、そこはまさしく五反田遊古会の会場であった。と、会場に着いたとたん会場の隅から隅まで凝視すべく棚から棚へと練り歩き、いつのまにか眉間にしわがよってしまい、わたしもすぐに古書展のよどんだ空気に加担することとなった。もう、なんというのでしょう、ひさしぶりだったせいもあるけれども、虎視眈々と棚を練り歩くその姿はどうも人間のそれよりは動物に近くなっているのが、我ながらあとから追憶するとちょいとおそろしい。
■ さてさて、ひさぶりの五反田古書展はたいへんたのしい時間だった。雑誌「三田文学」のバックナンバー何冊か、永井龍男、里見とん、芝木好子、伊馬春部、創元社の『黙阿弥名作選』の端本3冊などなど、といった感じの買い物をして(すべて1冊200円か300円)、気分は一気にハイ。上記の戸板さんの『劇場歳時記』も収穫のひとつ。この本は古本屋さんでわりかしよく見る本だけど、なぜか機会を逸していたもの。戸板さんの本も買えたわけだから、今回も言うことなしの五反田遊古会だった。
■ 午後は別の予定があったので、しばし駅前のコーヒー店で買った本を眺めた。と、こんな感じののんびりとした時間もずいぶんひさしぶり、芝木好子さんの随筆集を、とりわけ鏑木清方のところに深く共感しつつ拾い読みしたり、昭和20年代から30年代にかけての「三田文学」をじっくり眺めたりしたあと、読みふけったのはやっぱり戸板さんの『劇場歳時記』(読売新聞社)[*] 。この本は『むかしの歌』[*] とおなじような体裁の、過去のエッセイのアンソロジー。『劇場歳時記』の場合は季節感のある文章が季節ごとに分類して編集してあるので、さらに全体の構成がしゃれている。戸板康二のエッセイの魅力はそこにただよう季節感と都市感覚、その魅力の根幹を味わうことができる。
■ 題名が指し示す通りにどの文章も劇場にまつわるものとなっていて、劇評家としての戸板康二が全面に出ている。歌舞伎や劇場にまつわるあれこれを扱った戸板康二の文章は「劇場エッセイ」という名前に留まらない、なんともいえない香気に満ちていて、戸板康二の時代、戸板康二の東京のようなものが実にいい。わたしが戸板康二に夢中になったのは昭和20年代の文章がきっかけだったけれども、この『劇場歳時記』に収められているのはわりかしその時代の文章が多いので、戸板康二に夢中になりだした頃の感覚が鮮明に甦ってきて、今までずっと見逃してきた『劇場歳時記』、こんなにすばらしい一冊だったなんてとびっくりするやら嬉しいやらという感じだった。「戸板康二入門」的なものとしてもぴったり、このまま文庫として再刊するのにぴったりなもののひとつだと思った。
■ 前に一度読んだことのある文章がほとんどなのだけれど、あらためてじっくり読んでやっぱりしみじみといい。『劇場歳時記』[*] 、じっくり読んでいっておしまいに近づいた頃の「冬」の項に、川尻清潭が登場する文章がふたつある。それは「清潭翁の死」と「ある感慨」という文章で、「清潭翁の死」をプレリュードのようにして読むことになる「ある感慨」は『劇場の椅子』[*] 所収の何度読み返したかわからない素晴らしい文章、それにしても「ある感慨」のなんと見事なことだろうと、うまく言葉に出来ないのがもどかしいのだが、ジーンと静かに感激した。《事によると、團十郎とも五代目とも親しかったK老人は、歌舞伎の凋落してゆく現実を多分ぼくらが感じているようには、感じていないのかも知れないのだ。その、感じていないということに、しかし、ぼくは何か好意が持てるのだ。》
■ それから有名な話なのかもしれないけど「菅秀才のらくがき」、のちの十一代目團十郎が子役のころ「寺子屋」の菅秀才に扮したとき、草紙に片仮名で「ハルオ」と自分の名前を一生懸命書いているのを誰かが舞台写真で見つけたという実に微笑ましいエピソードのあと綴られる戸板さんの目撃談は、《左團次の長男の男寅の、たしか初舞台ではなかったかと思うが、やはり菅秀才である。ぼくが二度目に見に行った時、二階の脇からのぞいていたのでわかったのだが、この若君はへのへのもへじを書いていた》というもの。これぞ、まさしく現在の左團次。このあと戸板さんは、
役の性根ということをいい出せば、これはどうも困った話にはちがいないが、そんな批評をするより前に、ぼくは愉快で、快く思わずにはいられなかったのである。この子役はきっといい役者になる、というな気がした。
というふうに書いているのだけれども、この文章がうっすらと記憶にあったあと、テレビで左團次さんがこのことを話していたことを母から聞いて大笑いだった。まさしく「三つ子の魂百まで」、ある意味なんだか涙が出るほどいい話のような気がする。
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