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 カナヤマ 日本歴史 辞典 

 日本語版 

 見出し語 『 せ 』。

 No.5026。

 

 

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 □ 日本史 辞典 (総合)       

 

□     ● 事柄順。

 

 

〇 ぜん   前近代日本の 家父

         長制の夫婦別姓

              (ぜんきんだいにほんのかふち

               ょうせいのふうふべっせい)。

             (= 家父長制の夫婦別姓)。

          (夫婦別姓)。 《氏名》。

                     (⇒ 前近代日本社会

          (古代日本〜江戸時代)。 

          ○ 前近代日本の夫人

          (妻)は、婚儀を結んでも

          (結婚しても)、夫の氏

          (氏姓、名字)を名乗ら

          なかった。

          ○ 前近代日本では、 

          氏姓は、家族関係では

          なく、 父系の一族(系統、

          血族)を示し、 夫人(妻)

          は、夫の父とは繋がり

          (血縁関係)がないため、

          夫婦別姓 となる。 

              ■ 前近代日本の「家父長制の

              夫婦別姓」は、 現代日本で議論

              されている「選択的夫婦別姓」

              とは全く異なる。 

                ■ 前近代日本(江戸時代以前)

              の家父長制の夫婦別姓。

             ● 前近代日本の家父長制の時

             期の女性は、 夫婦別姓であり

             (結婚しても名字を変えず)、 

             女性の父の一族名(氏・名字)を

             生涯、所持した。

               ■ 1872年(明治5年)に、日本

              は、 前近代「家父長制の夫婦別

              姓」から、近代夫婦同姓へと移る。

               ● 近代日本政府(明治政府)は、 

              日本近代化政策のため、欧米の

              家族制度に倣(なら)い、1871年

              (明治4年)4月に戸籍法を公布し、

              1872年(明治5年)1月の戸籍法

              (壬申戸籍)施行により、 前近代

              日本の「家父長制の夫婦別姓」を

              改め、夫婦を同姓とする。

               ● 1872年(明治5年)1月の

              戸籍法(壬申戸籍)施行時、

              厳格な封建社会の家父長制が残

              る当時、結婚により、他家の女性

              に、名誉ある、家名(一族名)を与

              えることには、明治時代初期の

              日本社会では、非常に反対が強

              かったが、 明治新政府(近代日

              本政府)の日本近代化政策 (文

              明開化)のため、近代夫婦同姓が、

              次第に認められるようになってい

              った。

        

 

〇 ぜん  前近代日本の早婚

        と多産

             (ぜんきんだいにほんのそうこ

                           んとたさん)。  

                      (⇒ 基本見出し語 

        「せ」の「前近代日

        本の早婚と多産」)

 

〇 ぜん  前近代日本の地域名 

              (ぜんきんだいにほんのちいきめい)

                            (⇒ 基本見出し語

        「せ」の「前近代日

         本の地域名」)

 

 

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      未来は、現在の成果である。 

 

 

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#se

 

#marriedcouplehavingdifferentsurnames

 

◆ 前近代日本の 

   家父長制の 

   夫婦別姓 。 

     (ぜんきんだいにほんのかふ

      ちょうせいのふうふべっせい)。

 

■ 前近代日本の家父長制

   の夫婦別姓。

■ 名称 : 前近代日本の家父長制の夫婦別姓。 

        (ぜんきんだいにほんのかふちょうせ

        いのふうふべっせい)。

■ 別名 : 家父長制の夫婦別姓。

 

■ 時期 : 古代〜江戸時代。

  古代日本〜近世日本 

  (大和時代(古墳・飛鳥白鳳時代) 〜 江戸時代頃)。

 

■ (夫婦別姓)。 《家族制度》。《氏名》。

 

■ 前近代(古代から江戸時代まで)の日本の、夫婦

  別姓。

 

■ 日本では、古代から江戸時代までは、夫婦は、別

  姓であった。

 

■ 前近代日本では、女性は、 婚儀(結婚)後、夫の 

  一族名の名字を、名乗らなかったし、 夫の一族名

  の名字を付けて呼ばれなかった。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典 41528。

 

 

 □ 前近代の女性の氏名

 

 

■ 現代日本で議論されている選択的夫婦別姓 と、

  前近代日本の家父長制の夫婦別姓とは、全く異な

  る。

             

■ 前近代日本・家父長制の夫婦別姓。

    前近代日本の家父長制の時期の女性は、夫婦

  別姓(結婚しても名字を変えず)であり、 父の一族

  名(氏・名字)を生涯所持した。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 1872年(明治五年)に、前近代家父長制の夫婦

  別姓から、近代夫婦同姓へと移る。

● 近代日本政府(明治政府)は、 日本近代化政策

  のため、欧米の家族制度に倣(なら)い、明治4年

  (1871年)4月に戸籍法を公布し、明治五年(18

  72年)1月の戸籍法(壬申戸籍)施行により、前近

  代家父長制の夫婦別姓を改め、夫婦を同姓とした。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

            

● 厳格な封建社会の家父長制が残る当時、 結婚に

  より、他家の女性に、家名(一族名)を与えること

  は、明治時代初期の日本社会では、非常に反対が

  強かったが、 日本近代化政策(文明開化)のため、

  近代夫婦同姓が、次第認められるようになってい

  った。

 

 

■ 前近代日本・家父長制の夫婦別姓

● 結婚後も、 前近代の日本女性は、 自分の

    個人名に夫の婚家の一族名「氏(うじ)」を加え

  て、 名乗ることはなかった。

● 前近代の日本では一族名「氏(うじ)」 は

    家族関係を示すものではなく、 父系の一族

    (系統、血統)の一族名を示す名称であった

   ため。   

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 古代日本の大和時代(古墳・飛鳥白鳳時代)

  から近世日本の江戸時代まで、 夫人(妻)は、

  婚儀を結んでも(結婚しても)、 夫の「氏(う

  じ)」(姓(せい))を名乗らなかった。

● 女性の場合、 結婚前より所持する「氏(うじ)」

  (姓(せい))は結婚後も変わらず、 また、 結

  婚後、夫の「氏(うじ)」(姓(せい))を、女性の

  名前に冠することは、 通常、なかった(通例で

  はなかった)。

● TKKI カナヤマ 著 日本史辞典。

● 前近代の日本の「氏(うじ)」(姓(せい))は、家

  族関係を示すものではなく、 「父系の一族(血

  統)の一族名」を示すものであった。

 

■ 夫婦別姓の代表的な例として、 源 頼朝 (み

  なもとの よりとも)の正室(夫人)の、北条 政子

  (ほうじょう まさこ 、政子の父、北条時政の「氏

  姓の氏族名」は平なので、当時は平政子(たい

  らのまさこ)と称した)、 足利 義政 (あしがか

  よしまさ) の正室(夫人)の、 日野 富子 (ひ

  の とみこ)  などがある。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 古代日本〜近世日本 (大和時代(古墳・飛

  鳥白鳳時代)〜江戸時代)の、日本 では、

  夫婦別姓 (ふうふべっせい) であった。

 

■ 夫婦別姓 (ふうふべっせい) とは、 結婚し

  ても、妻または夫が、 結婚相手の「氏(うじ)」

  (姓(せい))に変えないこと である。 主に、

  結婚しても、妻が 夫の「氏(うじ)」(姓(せい))

  を名乗らないこと である。

● TKKI カナヤマ 著 日本史辞典。

 

■ 2009年の日本の現状では、 98%が、結婚

  後、妻は、夫の「氏(うじ)」(姓(せい)) になっ

  ている。

 

■ コメント 

● 近代夫婦同姓は、 家族としての一体感を保つ

  度である。 しかし、現在、婚姻後氏(姓)を変えた

  日本女性が、不利益をこうむらないためには男女

  平等の観点から、 婚前・結婚後、離婚・再婚後、

  同じ氏(姓)で社会人として活動するには、 女性

  の婚前氏(姓)を、通称として公認する必要がある。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

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#marriedcouplehavingdifferentsurnames-femalenames

 

◆ 前近代日本の女性の氏名。

 

■   前近代日本では、女性は、通常、個人名のみ

  で自他呼称。

    前近代日本では、女性は、 通常、 所持す

  る一族名の名字を付けず、 個人名のみで、名

  乗ったり、呼ばれたりした。

 

■ 前近代日本の女性の個人名は、不明なことが

  多い。

■ 厳格な父系社会である前近代日本の、女性の

  個人名 、  「 父親名 +娘 (例、 千代の

  場合、若宮 喜助友興の娘) 」、 「 夫名(おっ

  とめい)+夫人 (例、 千代の場、山内一豊の

  妻) 」 などと史料に記載されているため、 個

  人名が不明であることが多い。 また、女性も、

  性と同様に、 個人名を、一生のうち、 何度

  も変えることがよくあった

 

■ 一般の女性の場合。

■ 女性は、通常、一族名を称さず (上層男性は、

  一族名を称した)。

● 前近代の日本では、実家でも、婚家でも、男性

  と異なり、 女性は、上層の名家の女性を除い

  て、 自分の個人名に一族名「氏(うじ)」を加え

  て、通常、 他人に名乗ったり、 他人からそう

  呼ばれることはなかった。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

● 自分の個人名でのみ、名乗ったり、呼ばれたり

  した。

● 一般的に、 日本が「父系社会」となった鎌倉

  時代以後、 上層階層の名家の女性を除き、 

  親は、娘に、「一族 (家)」に対する帰属意識を

  求めず、 また、 女性は、男性に比較して、

  「一族 (家)」に対する帰属意識が薄(うす)かっ

  たため。

 

■ 《例》 山内一豊(やまうちかずとよ)の正室夫

    人の、千代(ちよ)の場合。

(1) ■ 「千代」 (ちよ) : 千代の生まれたとき

      からの個人名。

    ■ 「見性院」 (けんしょういん) : 千代の

      落飾(らくしょく、出家)後の個人名。

   などと名乗ったり、呼ばれたりした。

   ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

(2) △ 「若宮 千代」 

      ○ 若宮は、 千代の実家の一族名「氏(う

      じ)」であり、 上記は千代の正式名で

      ある。 しかし、通常は、個人名のみの

      「千代」で自称したり、呼ばれたりした。

    X 「山内 千代」  

      ○ 山内は、 千代の婚家の一族名「氏(う

      じ)」)であり、 千代は、山内家の血統を

      引いていないため、山内千代とは称さず、

      また、山内千代と名乗ったり、呼ばれたり

      はしなかった。 

(3) ■ 「若宮 喜助友興 女」 

      (= 若宮 喜助友興の娘)。

     ○ 女は娘の意で、 若宮 喜助友興は、

      千代の父で、浅井家の家臣である。

    ■ 「山内 一豊 室」     

      (= 山内一豊の夫人)。

     ○ 室は夫人(妻)の意で、山内一豊は、

      千代の夫である。

   などと記載されることが多かった (文献では、

   女性名はこのような記載多し)。

 

 

■ 上層階層の名家の女性の場合。

■ 前近代日本の上層階層の名家の女性は、 自

  分の個人名に実家の一族名「氏(うじ)」を加え

  て、名乗ったり、 呼ばれたりすることはあった。

● 名門出身の女性の場合、 名門の実家の「一

  族 (家)」に対する帰属意識が強かったため。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

■ 《例》 源頼朝(みなもとのよりとも)の正室夫人

  (妻)の、北条政子(ほうじょうまさこ)の場合、

 ○ 「平 政子」 (たいらの まさこ) 

   と名乗ったり、呼ばれたりした。

 ○ 北条政子の父の北条時政(ときまさ) は、坂

   東平氏(平家)の血筋を引き、 「一族名(「氏

   (うじ)」)の「氏姓(しせい)の氏族名」が 「平」

   (たいら)なので、 父系の血統の一族名を示

   す「平」 を、 実家でも、婚家でも、公的な場

   で、 称することはあった。

 

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 『 あなたのハートには 

   何が残りましたか? 』。

 

 

以  上。