過去の登頂記録 (2004年4月〜5月)

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2004年 5月 30日 水根沢谷
29日 川乗谷・逆川
26日 大室山と加入道山
22日〜23日 和名倉沢
19日 竜喰山
18日 石保戸山
15日〜16日 三つ峠・岩登り講習会
11日〜12日 雲取山・三峰コース
1日〜4日 白馬岳北方稜線栂海新道
4月 25日 日和田山岩登り入門講習
20日 御正体山
17日 秋川支流・矢沢軍刀利沢
13日 赤鞍が岳
10日〜11日 聖岳
7日 浅間尾根から浅間嶺
3日〜4日 仙の倉山北尾根

 

水根沢谷

遡 行 証 明 書

 以下の者は、2004年5月30日、多摩川は奥多摩湖の直下に鷹の巣山から注ぐ険谷である水根沢谷を水根集落から大滝、半円の滝を越えて中流部まで遡行したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 奥多摩の沢の中でも最も多くの人が遡行すると言われる水根沢谷ですが、独特の魅力を持つ谷でもあります。必ずしも滝登りが中心を占める沢では無く、一つ一つの滝そのものは小ぶりながら、大きな釜を持ち、極端に吃立したゴルジュを持ち、バイクが爆音を立てる青梅街道から僅か数分の位置にありながら、いきなりの極端な自然の中にいることを感じさせる意外さと、晴天の下であっても、ほとんど太陽の光を見ない暗さが特徴です。奥多摩の多くの谷が自然林の中の谷であるのに対し、沢のすぐ近くまで植林が迫り、下の集落の取水口があったり、炭焼き窯の跡があったり、ワサビ田があったり、すぐ近くを仕事道があったりと、絶えず山に生活する人の匂いがする谷でもあります。今回、遡行して驚いたのは、昨年5月に季節外れの台風の上陸で、中流部のフジマキ沢が上部から大崩壊をおこし、その土砂が流入している事は知っていましたが、それが、すこしづつ釜を埋め、深い徒渉とヘツリに終始するはずの水根沢谷の様子を一変させてしまった事です。最初からいきなりのヘツリの連続にドボンドボンと釜に落ちる仲間を笑い、笑った本人も落っこち、ビショ濡れになりながら遡行するはずの下流部は容易な通過となって、ちょっと残念でした。沢が落ちついたのはワサビ小屋を過ぎてから。沢は落ちつくと土の流入も無く、水も一気に冷たく澄みきり本来の姿を取り戻しました。足元から逃げるヤマメの姿に驚き、苔むした谷の幽玄さを味わう事もできました。その分、失われた下流部のゴルジュの困難が惜しまれます。美しい半円の滝は、ヌルヌルに見えたのに取りついてみると、意外にも登りやすく、全員がスルスルと登ってしまったのには驚きました。半円の滝を過ぎて訪れる者も無い上の部分は、久しぶりの遡行でしたが、水根沢本来の深い徒渉もあり、楽しい沢登りが体験できました。
 ちょっと拍子抜けの感もあった水根沢谷ですが、奥多摩の黒く固い岩の感触。沢の楽しさを感じていただければ幸いです。

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半円の滝 半円の滝下で全員集合
半円の滝 半円の滝下で全員集合

川乗谷・逆川

遡 行 証 明 書

 以下の者は、2004年5月29日、奥多摩・川苔山に突き上げる川乗谷支流の逆川を出合いより、二段11mの滝、大ダワ沢出合い、10m幅広の滝を越えてウスバ林道まで遡行したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 梅雨明けを思わせる乾いた晴天。水シブキを上げる沢。今年の奥多摩の沢が始まった事を鮮明に感じさせる逆川の一日でした。逆川の魅力は、小粒ながら奥多摩の沢の様々な要素を全部持っている事にあります。磨き上げられた黒々とした岩。滑るように流れる水の清冽さ、そして、所々で交互に変わる自然林と檜、杉の植林によって谷の雰囲気まで変わる事、滝の直登があり、釜のヘツリがあり、と時々刻々と変化する良さがあります。今回、できれば頂上に立ち、暗い谷を歩いて来た者にこそ輝く展望も味わいたかったのですが・・・・。遡行中にもお話しましたが、このに逆川、僕が中学生の時、生まれて初めての沢登りを経験した沢です。普通の白足袋にワラジ、ヘルメットもハーネスも無く、使い方も知らない工事用のトラロープを唯一の装備として、殆ど全ての滝を直登で越え、川苔山の山頂にヨレヨレではい上がった時の気持ちは今も変わらないものがあります。初めて「登山道では無い所から登り、ルート全てを発見して右往左往しながら登る」楽しさを知った場所です。それからいったい何回、この沢を登った事でしょう。多くの場合、初めて沢登りをする方と一緒でした。「こんな世界があったんだ!」そんな言葉がピッタリの逆川です。そもそも、川苔山自体が1300m台の標高である事が意外に感じる変化に富んだ山です。四方八方から伸びるルート、複雑に入り組んだ尾根や仕事道は、いったん迷うと結構な苦労を強いられる山でもあります。ピークとピークを尾根で結んだ山とは一味違う面白い山です。この川苔山を巡る谷の中で逆川は最も遡行者を多く迎える谷ではあります。けれども、巨大な滝を連続させる入川谷。もっと更に初心者向きで小滝の目立つ真名井沢。登攀要素の強い火打石谷。そして登山道が脇を走るとは言え、ウォータークライミングとも言うべき過激な遡行の楽しめる川乗谷本谷。数多くの沢登りルートを提供している山でもあります。楽しかった逆川を手始めに、川苔山そのものにもっと親しんでいただければ幸いです。

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10m幅広の滝 二段11mの滝
10m幅広の滝はちょっと高度感がある。
新緑がまぶしい。
二段11mの滝。
まるで暗闇のようなゴルジュの底

大室山と加入道山

 以下の者は、2004年5月26日、西丹沢を代表し、山梨百名山の一つでもある大室山(1587m)に神の川ヒュッテ前から犬越路を経て登頂し、破風口を経て加入道山(1418m)にも登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 大室山は、いつも気になっている山の一つだったのではないでしょうか?東京方面から富士山を見る時、その左側に最初に大きく聳える三角錐の山容。丹沢と御坂の山々、道志の山々の間にあたかも独立峰のようにスックと立ち上がる黒々とした山。アレは何だ?そう思っていた方は多いことでしょう。丹沢山塊は、主峰ため蛭が岳を中心とした表丹沢の山々が足の便も良く、開発されているのと対照的に西丹沢と呼ばれる地域は、美しい樹林と所々で広がる見事な展望、渓谷の清冽さにも係わらず、静寂の中にあります。その中でも犬越路からさらに西側に広がる山々は、一層の重厚さと原生林の創り出す深緑の中にあります。多摩地区を中心とする参加者の多い「風の谷」ではついつい足の向きにくい山々でした。僕自身、十数年振り、一時期通いつづけた西丹沢の沢以来の懐かしさでした。梅雨の走り・・・・等々と言われた天候は、モヤっとした雲が出ているにも係わらず乾燥しており爽やかな風の吹き抜ける沢の中の道でした。苦しい、厳しい登りの果てに辿り着いた犬越路は、風の渡る明るさと展望の中にありました。そこからの尾根路こそ、大室山の魅力を凝縮した場所であったと言えます。犬越路の先から点々と現れたブナの巨樹。山頂を経て、破風口、加入道山に至る広大な地域は全てブナの道でした。ブナは、ミズナラと共に、その高い保水性で知られる木ですが、その林床に生命力を与え、他の多くの木々や灌木、草花を育てる山の守り神のような木です。明るい色の葉は太陽の光を通しキラキラと輝く木漏れ日をアチコチで見せてくれました。大室山も加入道山も展望も無い木々の中の山頂です。ミツバツツジが色を添える素敵な道を登り切り、深山の趣を備えた山頂台地の一角の静寂の頂上でした。
 振り返ってみると、大きな山容の二つの山。単純な標高差は1000mを切るかどうか・・・と言う山でも急峻な上り下りの中、累積の標高差は1300mを越えていました。それだけの大きさが充実感一杯の山として心に残りました。

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頂上直下 ミヤコザサとブナの森がつづく 犬越路へ向かう沢沿いの道は緑のトンネル! 大室山頂
頂上直下
ミツバツツジもキレイ
ミヤコザサと
ブナの森がつづく
犬越路へ向かう沢沿いの道は
緑のトンネル!
大室山頂
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和名倉沢

遡 行 証 明 書

 以下の者は、奥秩父主脈を北に離れた不遇の名峰・和名倉山に大洞川から突き上げる奥秩父屈指の険谷である和名倉沢を秩父湖畔の出合いから、弁天滝、氷谷出合い、「通らず」、大滝と遡行し、最後の三段25m滝を越えて、最後の水源まで完全に遡行したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 和名倉山は不思議な山です。他の県と接しない山の中では埼玉県最高峰。当然、多くの登山者が訪れて良い山なのに、踏み跡程度の登山道とほんの少しの登山者が登るだけの不遇の山です。焚き火を囲みながら話ましたが、実は、この山はかつては全山をコメツガ、シラビソ、モミ等の巨樹が覆う鬱蒼たる原生林の山でした。1950年代を皮切りに、高度成長期の直前まで、戦後復興の木材需要のかなりの部分を皆伐方式と呼ばれる伐採に継ぐ伐採で丸裸になるまで徹底的に行われました。所々に点在した放置された太いワイヤーや朽ち果てた大きな造林小屋の跡、森林軌道のレール等はその時代の遺物です。何回かの山火事が、はげ山の上を襲い、この和名倉山の森林に最後通牒を突きつけた形となったようです。そして、それがそのまま放置され、植林等もあまり行われず約40年。現在、私達が二日間をドップリと浸って過ごした深緑の原生林は、実は二次林なのです。もともとの登山道は既に消え、仕事道も廃道となり、何年か前までは沢を登り、沢を下るのが最も確実な登頂方法だった時期が続きました。和名倉沢は、そんな中で最も刺激的で迫力のある谷でした。風の谷のナウシカ。現代文明の腐敗と不朽の果てに壊滅しつつある地球の中に「腐海」と呼ばれる死の世界の底に生まれだした新生事物としての清浄な空間としての風の谷。この山を訪れる時、いつも、それを思います。・・・・それにしても、想像以上に厳しい、増水傾向の和名倉沢でした。谷の轟音は、私達を威圧しつづけ、ただでさえ迫力満点の大滝等は、上の方はガスがかかり全貌さえも伺えないままにソソクサと高巻きに入ってしまいました。「風の谷」の沢登りの中でも、最も厳しい部類の二日間となったようです。最後の最後まで豊富だった水量が、シラビソ林の苔むした台地の中に消え入る直前まで、その生き物のような迫力に圧倒されつづけた和名倉沢でした。この山、実は無数とも言える沢の宝庫です。次回はぜひ、山頂まで!との思いを強くしました。

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新緑にシブキが美しい
新緑にシブキが
美しい
大滝40m!
大滝40m!
あまりの迫力に
ソソクサと
逃げ出す
源頭近い「ナイアガラ風」の小滝
源頭近い
「ナイアガラ風」の
小滝
「平凡な流れ」とある所でもナメ滝がステキ
平凡な流れ」とある所でもナメ滝がステキ
たき火!
たき火!
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竜喰山

 以下の者は、2004年5月19日、多摩川水源の全く登山者の訪れの無い不遇の貴重な2000m峰である竜喰山(2011m)に三の瀬集落より七つ石尾根を登り、将監峠から登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 奥多摩の西の外れ、奥秩父の東部にあたる多摩川水源地帯。奥多摩の中でも最も高い標高を誇り、東京都水源林として手厚く保護された原生林の山々は、やはり見事です。奥秩父主脈縦走路である登山道は、山頂を結ぶ尾根筋のはるか下を巻き「水源巡視には山頂を踏む必要は無い」との事で、山襞の一つ一つを通っています。かつて、飛竜山や唐松尾山等の山々も訪れる者も稀な不遇の山としてありました。その中にあって竜喰山こそは、現在も訪れる者は皆無に近い静寂の中にありました。標高は実に2011m。雲取山、飛竜山、唐松尾山と共に、奥多摩に4座しかない2000m峰の一角を占める貴重な高峰?は小さな白い手作りの標識だけが、展望とて無いコメツガの木々の間に三角点と共にありました。おりしも低気圧の接近の下、空は曇っていたものの、妙にハッキリ、クッキリと展望が効き、鬱蒼たる暗い原生林の荒川水系・埼玉県側と対照的に明るくおおらかな多摩川水系・山梨県側との見事な対比を見せていました。山頂そのものは展望は効かなかったものの、そこに至る稜線からの展望の美しかったこと。南アルプスや奥秩父が雄大な姿を、つい先週歩いた雲取山から三峰への尾根が雲海の上に島のように浮かぶ姿も素敵でした。不遇の山頂にも係わらず、山頂に至る道は人の手が入っていました。直下まで続いた鹿避けの網と苗木の保護の竹と囲いは、この山も奥多摩の多くの山と同様に鹿の食害との闘いのあることを教えていました。時期が早かった為、半分諦めていたシャクナゲの花。ほとんど全開に近いピンクの花とムシカリの白とが重なって、凛とした主張を周囲に見せていました。三の瀬では濃い緑だった木々が将監峠付近では新緑の新しさに、そして山頂付近では広葉樹は小さな芽を木々に付けているだけでした。新しい季節を迎えようとしている奥多摩で最も標高の高い稜線。足元に箱庭のように、多摩川の水系が沢から谷、谷から川へと成長していく様子を見ながらの楽しい一日でした。奥多摩の最後の、本当に最後の秘峰である超々不遇の山頂は、何故、不遇なのか判らない魅力に満ちた物でした。

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竜喰山山頂!
山頂!
小さなカンバンがあった
頂上から雲取山方面
頂上から雲取山方面
1884ピークから山頂を見る
1884ピークから
山頂を見る(右のピーク)
笹と原生林のステキな稜線
笹と原生林の
ステキな稜線
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石保戸山

 以下の者は、2004年5月18日、多摩川水源の不遇の名峰・石保戸山(1672m)に、新犬切峠より二本楢を越え、指入峠を経由して登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 翌日、曇り空の下でありながら、くっきりと浮かび上がった明るい樹海が竜喰山直下の稜線からは望まれました。その中の一つの高まり、とりわけ明るい色彩の部分が石保戸山でした。歩きだしの新犬切峠から山頂に至るまで、稜線の上に切り開かれた防火帯の上の道でした。山の一面から発生した火事が、他の面に燃え広がらないようにした山人の工夫です。それが、奥山の中の広々とした草原として奥多摩の山々のあちことで見られます。青梅街道と山間の「こんな所にも集落が?!」と驚く一の瀬から三の瀬の小さな集落とを結ぶたった一か所の通路である犬切峠。そこが私達の出発点でした。視界を妨げる物の無い広大な尾根からは、萌え上がる若葉を通して奥秩父の、とりわけ東部の多摩川水源の山々が黒々と望まれ、塩山方向から見るのとは違う山のような峻険な三角錐の大菩薩嶺が美しく望まれました。繁殖期を迎えた鳥の声が、煩いほどに聞こえていました。杉や檜、一辺倒の人工林と違い、様々な顔を持つ木々が繁茂する樹海の山は、生き物の気配が随所でする躍動感に満ちた山々でもありました。そしてワラビ!「もう!ちょっとは歩いてくれよ!」と思わず言いたくなるほど、山菜採りに夢中にさせられるほどの量でした。前日までの雨が、むしろ幸いし草原の随所でポツンポツンと姿を見せる春の味覚は、私達を夢中にさせました。けっこうな傾斜のある場所も「ワラビ採りの力」で無理なく登り切り、あちこちに点々と残る鹿の足跡を追っての山歩きは素敵でした。防火帯に残された切り残りのミズナラの木々。まるで整備された公園のような雰囲気を創り出していました。ショックだった事は最も奥まった雰囲気を持っていた指入峠に柳沢峠したから延々と車道が伸び静寂の支配した峠を全くの別の殺風景な物に変えてしまった事です。最も高い所にある広場のような所の先、そこだけモミの木の繁茂した所が山頂でした。ここも、何故か三角点付近が伐採されていました。明るい展望と、美しい木々と、石保戸山は見事な山です。こんな良い山が何故?不遇なのか。不思議な気持ちと、このままでいてほしいとの両方の気持ちを持ちました。

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ワラビをとりながら・・・ 防火帯に残るミズナラの巨樹 頂上直下からは多摩川水源の山が大きい
ワラビをとりながら・・・ 防火帯に残るミズナラの巨樹 頂上直下からは
多摩川水源の山が大きい

三つ峠・岩登り講習会

登 攀 証 明 書

 以下の者は、2004年5月15日〜16日、富士山麓の三つ峠屏風岩で行われた当社の講習に参加し、多くのルートを登攀したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 三つ峠の魅力は、その規模の大きさにあります。実際の登攀に近い形で岩登りの体験ができ、様々なタイプのルートに挑戦できます。けれども、私達がこの岩場で行う講習に力を入れるのは、小手先の岩登りの技術ではなく、大自然の中で行われる実際の登攀の流れを理解し、本チャンと言われる厳しい山の中での岩壁と向き合う為に自分が、何をしていかなければならないかを理解できる点にあります。人工壁の中で、壁を登る為のテクニックは学ぶことが可能です。けれども、自分を守り、仲間を守り、その上で登攀を貫徹するための基礎は、三つ峠のような大きな岩場でなくては、けして手にする事はできません。壁を見上げた時の威圧感、そして恐怖感と戦い、目の前に展開する困難を一つ一つ片づけて一つ一つのピッチを乗り越えていく作業は、岩登り本来の楽しみであります。三つ峠は初めてハーネスを着け、ザイルを結ぶ者から、すでに多くの登攀を体験した者がシーズン前の調整をする為に来る事もある、実に様々なクライマーの集う所です。初心者にも暖かく、言葉も交わした事も無い者でも気軽にアドバイスし合える楽しい雰囲気を持った岩場です。この時期、首都圏の本チャンに挑むクライマーが必ず一度は訪れる地であるとも言えます。その中の一員として、参加できたことを改めて嬉しく思います。
 多くのルートに挑戦した私達ですが、その後の感想はどうだったのでしょうか?「いゃあ、マダマダだな!」「もっと練習しなくちゃ!」。実際には、「流れの中で泳ぎを覚える。」の例えどうり、本チャンの基本的な入門ルートに挑戦しながら、自分の足りない部分をすこしづつゲレンデや人工壁で習得していく者も沢山います。そういった挑戦の貴重な一歩となれば嬉しく思います。

 今回、サブとしてお手伝いいただいた緒方陽介さん、ありがとうございます。今後、個人的に指導をして欲しい方、特に山田ガイドの遠征中とか、ぜひ、お声をおかけください 。携帯電話090−5313−2059です。「風の谷」の講習として可能です。

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空中下降中のYさん! 天狗踊り場下のフェースをのぼるKさん
空中下降中のYさん! 天狗の踊り場下のフェースをのぼるKさん
緑がまぶしい!

雲取山・三峰コース

 以下の者は、2004年5月11日〜12日、東京都最高峰・唯一の2000m峰である雲取山(2017m)に奥多摩湖畔・小袖よりブナ坂を経て登頂し、三峰コースを大ダワから白岩山、前白岩山、霧藻が峰と縦走したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 山頂に向けて緑の帯がすこしづつ登り始める春。その最後の先端が雲取山山頂に届く時に私達も登る事ができました。歩きだしの小袖の集落では散りはじめたミツバツツジが、堂所周辺では満開となりブナ坂ではツボミが点々と付いて、季節が下と上では丁度1ヵ月の違いでした。花の下には花を求めて来た虫がおり、虫を求めた鳥がおり、山々は急速に生き物の躍動感に満ちたものになりました。繁殖期を迎えたウグイス、ツツドリ、ジュウイチ、エゾムシクイ等の声は谷一杯に谺していました。夏を思わせる気温は、周囲の展望を煙らせていましたが、それでも大菩薩の後ろには微かに富士山の姿も見えました。暖かい一夜の明けた朝、再び登った山頂は風の中に去来するガスの中にありましたが、張り詰めた朝の独特の空気の中にありました。三峰への道は雲取山の表玄関にあたるルートです。古くから「自然研究路」として整備された道は、本当に最後の最後、神社の近くで初めて植林の檜林で出会うまで徹底的に原生林の中の道でした。けっこうな上下もあり、所々で緊張感を強いられる変化に富んだ道は、雲取山の中でも出色のできと言って良い好ルートです。とりわけ、奥秩父の山々は荒川側・埼玉県の側から、この山脈を見る機会は少なく、その奥深い谷の切れ込みは独特の魅力を持っていました。歩いている間、終始、左側・西側に深々とした荒川の気配を感じていました。白岩小屋前からの大きく広がる雲取山から雁坂峠にかけての稜線と、その下に黒々と落ち込む谷の雰囲気は、まさしく奥秩父そのものの魅力です。一方、奥多摩で最も不遇の地と言われる長沢背稜の北面と、奥武蔵と呼ばれる山々の中でも奥深い熊倉山や矢岳も違った角度で見られました。小さな上下、所々では大きな上下は一つ一つの峰を越える度に新しい風景との出会いの一日でした。
 なかなか、来るチャンスの無い秩父の山。同じ山の南面と北面の違い、水系による山の違いをタップリと味わった雲取山の二日間でした。

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ブナ坂の新緑みごと! 長沢背稜から日がのぼる 奥多摩小屋前から
ブナ坂の新緑みごと! 長沢背稜から日がのぼる 奥多摩小屋前からは
6/1〜2に行く滝が見られる

白馬岳北方稜線栂海新道

 以下の者は、2004年5月1日〜4日にかけて、北アルプス・白馬岳(2933m)に猿倉から大雪渓を経由して登頂し、三国境から白馬北方稜線を北上し、雪倉岳、朝日岳(2418m)、長栂山と縦走し、黒岩山、サワガニ山から犬が岳(1593m)を経て日本海を見下ろす白鳥山(1286m)に登頂し、坂田峠から日本海・親不知まで栂海新道を完全縦走したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 それにしても遠い遠い日本海でした。白馬岳を出発する時、霞と見紛う雰囲気で朝日岳の背後に広がる大きな空間を感じ、「どうやら海らしい」と思ったのが最初でした。そして、最後に波の音が聞こえ、高度計が0mに近づく時まで、一歩一歩が縦走を完成させる為のものでした。白馬岳大雪渓に居たアリの行列のような登山者の数は、三国境を過ぎるとピタリと無くなり、本当に春の雪山を楽しむ挑戦者だけり世界となりました。改めて思 うのは、この北方稜線の変化の大きさと雄大な自然の美しさです。開発の波が隅々まで行き渡った日本の山の中では、何処でも見渡せば必ず人の手の入った送電線やダムや堰堤と言った物が目に入ります。それが、雪倉岳を越えて朝日岳、犬が岳と言った尾根からは、遠くの町の姿以外は山は全くの手つかずで、まだまだこんな場所があった事を心から嬉しく感じました。驚くほどの積雪の少なさでしたが、それでも出発点の白馬岳は完璧な雪山でした。尾根の東側に延々と張り出した大きな雪庇、あちこちで見られるブロック雪崩の跡、それでも春の息吹は初夏の陽射しとともに私達を歓迎してくれました。朝日岳を越えてのアヤメ平、黒岩平と雪原と雪原を繋げたような広大な広がりは北アルプスでも最大の物です。前方に大きく立ちはだかる犬が岳は、既に初夏の風と太陽の下にありました。
 最後の日、予想どおりの暴風雨の中の道は厳しい物でしたが、坂田峠で完全に雪が無くなり、足元に咲く花も、緑の濃さも逞しいものとなりました。視界に大きく広がる海、もうクルマの音も聞こえ、潮の香りさえしてからの距離の長かった事!国道を越え、駆け下る遊歩道の先に広がった鉛色の日本海に立った時の達成感は、この縦走をなし遂げた者だけのものです。「遠くまで行くんだ!」登山の原点とも言うべき、旅と冒険の心を満たしてくれた素晴らしい春の雪山でした。

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大雪渓を登る
大雪渓を登る
朝の雪倉岳山頂
朝の雪倉岳山頂
朝日岳直下から白馬岳を振り返る
朝日岳直下から
白馬岳を振り返る
長袖山の下りから犬ヶ岳方面
長袖山の下りから
犬ヶ岳方面

広々とした雪原が続く
やったぞ!日本海
やったぞ!日本海
白鳥山を越えるとカタクリがいっぱい 白鳥山を越えると
カタクリがいっぱい。
色がとっても濃い
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日和田山岩登り入門講習

訓 練 証 明 書

 以下の者は、2004年4月25日、奥武蔵・日和田山の岩場で男岩を中心に岩登りの入門講習訓練を受けたことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 岩登りが本質的に転落を初めとする危険の伴う冒険であることは、いかにゲレンデの環境が整っていても変わりません。岩登りを現実の山の中の困難なルートに向かう・・・・「より高く、より困難な」ルートに向かう為の技術として行う為には、どうしても基本的な訓練が必要となります。今回の日和田山での講習は、まさしく、その最初の一歩を踏み出す為のものでした。ハーネス、ヘルメットといった基本的な装備に着装から始まって靴の履き方、基本的な登り方から始めた講習は、何れも、これからもっと高度な岩場に向かうとしても、また、登山中にザイルを使用する場面に出会った時にも、必ず守っていただきたい事です。と同時に、今回の講習で身につけていただきたかった事の大きな要素の一つは岩登りの基本的な流れを知っていただく事です。お互いのザイルの結束を確かめて、まずは自分の安全を確実なものにするためにセルフビレーをメインザイルでとり、トップは自分への確保が確実な態勢で始められている事を確認して登り始めます。最初の支点にヌンチャク等でランニングビレーを取り、一定の間隔で(最低でも地面に落ちない範囲で)ランナーを取っていきます。そして安定したビレーポイントに到着したトップは、最初にメインザイルでセルフビレーを行い「ビレー解除」の声をかけます。セカンドはトップへのビレーを解除し、それを確認してトップは確保の態勢を作り上げ余ったザイルを巻き上げます。「登ってイイヨ!」の声と共にセカンドは初めてセルフビレーを解除し、ランナーを回収しながら登り始めます。以上の流れを振り返ってみると、最も大切な事は岩場の中にいる間は、絶えずセルフビレーかパートナーのビレーによって、間断なく身体の安全が確保されている事が必要だと言うことです。ウッカリや面倒くささから、これを疎かにする事で事故は起こります。
 日和田山はたかだか25m程度の小さな岩場です。ここでの体験は小さな一歩ですが、本格的な登山、冒険としての登山を志す者が必ず行うべき基本が全てあります。これを出発点にもっと大きな岩場、本格的な登山としての岩登りに挑戦してください。

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御正体山

 以下の者は、2004年4月20日、道志山塊の最高峰・御正体山(1682m)に山伏峠から奥の岳、中の岳、前の岳を経て登頂し、峰宮跡から細野へと山塊を縦断したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 標高1000m前後を上下する道志山塊の中にあって、御正体山は群を抜く標高と山容の大きさを持つ雄大な山です。富士山頂から道志山塊を見るとき、この御正体山だけが大きく黒々と山中湖を前面に大きな面積を占めています。最も標高の高い取り付き点である山伏峠は富士吉田の町と道志、神奈川とを結ぶ交通の要衝の上にありました。また、ここは西丹沢と道志を分ける峠です。前日の雨で、滑りやすい道になっているのでは?との不安は、ザレた斜面を適度な湿り気でむしろ歩きやすく、しっとりした山道の下には数多くのスミレが顔を出していました。開発と破壊が横行する山梨の山の中にあって、確かに何年か前までは無かったと記憶する鉄塔や高圧電線が新しく斜面に傷痕は残していても、静けさと木々の美しさは独特のものがありました。ブナ、ミズナラ、モミの大木は、所々に点在する人工林があるものの、山の主として君臨していました。御正体山は山中湖を挟んで富士山の吉田口を大きく見せる展望の位置にあります。けれども、豊富な森林は春から秋にかけて稜線の上を緑が覆い尽くし、「多分、ここにあるはずだ・・・・」と思いながら想像するしかありません。今回、まだ、新芽しか付いていない木々は随所で、真っ白い富士山と対面することができました。三つ峠の後ろには、南アルプスも顔を出し、山梨県の中核部分ならではの展望を楽しむ事ができました。急激に暖かくなった気温は、春を通り越して初夏を思わせる天気で、一気に訪れた躍動の季節にコマドリ、ウグイス、オオルリ等の美しい鳥の声が谺していました。神秘的な雰囲気のする御正体山の、何処が頂上か判らない広々とした原生林の山頂は、私達だけの山頂でした。
 御正体山から縦横に伸びる尾根。一本は石割山から杓子山へと向かうカヤトの尾根です。また、一方は道坂峠から今倉山、菜畑山、赤鞍山、朝日岳と伸びる道志の背骨とも言うべき山々です。これらの山脈の山頂は個々に登られる事はあっても、繋げて、縦走して歩かれる事の少ない山です。いつかある日、これらの山々を一度に歩きたいと思います。

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前の岳からの御正体山 奥の岳手前ビッチリとコバイケイソウが 山頂直下、ブナの巨樹 シュンラン「春蘭」です
前の岳からの御正体山 奥の岳手前、ビッチリと
コバイケイソウが
山頂直下、ブナの巨樹 シュンラン「春蘭」です

秋川支流・矢沢軍刀利沢

遡 行 証 明 書

 以下の者は、2004年4月17日、奥多摩多摩川の最大支流・秋川の矢沢軍刀利沢を出合いから遡行し、甲武相国境尾根の生藤山(990m)に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 奥多摩の山々にも春がやって来た事を全身で感じさせてくれた秋川支流・軍刀利沢の一日でした。つい先週とも、全く違う木々の新緑。稜線ではまだまだ芽吹きの雰囲気でしたが、出合いの木々ははっきりと新しい葉を付けていました。「えっ?これが出合い?」と驚くほどの小さな小さな出合い。しかし、ひとまたぎ出来そうな小さな流れは沢底に縞模様の白と黒の固い岩を持って独特の美しさを持っていました。落差2〜3mの小滝と言う表現がピッタリの可愛らしい滝を何個か越えると本格的なゴルジュが現れ、10m前後の落差の滝が何本かありました。多くの人気の沢と違い、必ずしも遡行者を迎えていない滝は、シーズン始めの今でも、恐らくは遡行者を迎えていないのでしょう。ホールドの一つ一つの上には落ち葉が積もり、スタンスは水垢と呼ばれるヌルヌルした苔を岩の上に薄く乗せていました。不遇の小さな谷ならではの事でした。ルート図には高巻きとなっている滝でも、ちょっと無理すれば直登可能な滝ばかりでした。一つ一つの滝にそれぞれの個性があり、短い中にも沢山の滝を集めた、この谷の良さを感じさせました。水が無くなり、落ち葉のラッセルのような状態となって、稜線も近い・・・・という所でカタクリのピンクの群落と出会いました。奥多摩に春の訪れを告げるカタクリ。僅かに上にあるはずの登山道からはどうやっても見えない影のような所に一面に隠れたお花畑のあったことを嬉しく思います。
 軍刀利沢は楽しい沢でした。入門的な沢で、沢登りの多くの要素を持った所でしたが、一方で、その水量の少なさと小粒さも一つの特徴です。川と呼んで良いような流れから何本も支流を分け、谷、沢となり原生林の中に消えていく・・・。大きな谷では、腹に染み渡る雄大な刺激があります。このささやかな出発点に相応しいひとまたぎできる流れを出発点に大きな谷、刺激ある谷へと歩きだしていただければ幸いです。

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源流近くの滝で全員集合 二段の小滝 稜線直下のカタクリ
源流近くの滝で全員集合 二段の小滝  水流はひとまたぎできそう 稜線直下のカタクリ

赤鞍が岳

 以下の者は、2004年4月13日、道志山塊の中核部分である朝日山(1299m)に道志川の竹の本から入道山を経由して登頂し、ウバガ岩を経てワラビタタキの異名を持つ赤鞍が岳(1257m)へと縦走したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 私達「風の谷」がなかなか足を運ばない山域の一つである道志山塊。標高1000m前後を緩やかに上下し、神奈川県横浜市や川崎市の最大の水源地である山々は、はっきり言って地味な雰囲気です。相模川は相模湖から上流は、本流たる桂川と秋山川、そして道志川へと分かれ、それぞれの水源の山々こそが道志山塊と言えます。最高峰は山中湖に近い御正体山。そこから道坂峠を経て今倉山、菜畑山とすこしづつ標高を下げながら延々と続く尾根こそが道志山塊の主脈と言える山脈です。その中の中核部分が朝日山でした。中央線からも富士急行線からも、大分遠い山々。「都留四寒村」、丹波、小菅、秋山に続くのが道志村。道志川に沿った道はウネウネと一つ一つの山鼻を回り込み、標高を上げていく道は春の花の美しい道でした。天気予報を裏切る、冷たい風と標高を上げるに従って、忍び寄るガス。足元に咲きだしたスミレの暖かい色合いとは違って、季節は何歩か後戻りしてしまったようです。急坂につぐ急坂。人工林が明るい雑木林に代わり、もっと急な坂を乗り越えた先の主稜線は、一層の冷たいガスの去来する中にありました。ガスの中に影絵のように浮かび上がるのはブナやミズナラの大木。里山の一つとも言うべき山々の中にある深山の雰囲気は嬉しいものがありました。
 道志山塊は標高も高くなく里の雰囲気を残した山域ですが、訪れる者の少ない不遇の山稜は、充分な指導標も無く、踏み跡も心細く、道も未整備な所もある静寂の山々でした。山頂の看板だけが妙に立派な分、道の心細さが際立ったようにも思えました。今回、歩いた尾根の先には幾つかのピークを並べた後、厳道峠を経て「ムギチロ」、入道丸等の小さな、けれども独特の主張を持った素朴な山々が続きます。この山塊の魅力は晩秋から木々が芽吹く前の寒い季節に限ります。次の冬、これらの山々にも足跡を記したいとの思いいを新たにしました。湿った冷たい風に追われるるように、そそくさと登り、そそくさと下った感のある道志山塊の一日。今度は、もっとゆったりと歩きたいものです。

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里は春の花でいっぱい 影絵のようにガスの中にブナの木が浮かぶ
里は春の花でいっぱい 影絵のようにガスの中にブナの木が浮かぶ 急坂の連続

聖岳

 以下の者は、2004年4月10日〜11日、南アルプス・最南端の3000m峰である聖岳(3013m)に便が島より西沢渡で取り付き、薊畑より小聖岳を越えて登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 南アルプスの山々に接して最も強く感じる事は、その不遇さと、一つ一つの山の大きさです。聖岳山頂に立ち、四方を見渡した時、次々と林立するピークの大きさと山容の雄大さは独特のものがあります。「アルプス」という名によって想像させられる天空を突き刺す鮮烈な峻険なピークは少ないものの、茫洋とした風貌と高い森林限界の創り出す黒々としたイメージ。巨樹の林立する奥深い原生林の存在は、落ち着きがあります。比較される北アルプス、例えば槍が岳から穂高岳と比べるならば、槍から大喰岳、中岳、南岳、北穂高、涸沢岳、奥穂高、前穂高と多数の3000m峰を次々と華麗に勢ぞろいさせていますが、大キレットで300m近く落ち込む以外は一つ一つのピークとコルとの標高差は小さく150mから250m程度小さく、言わば「お買い得なピークハント」が可能な山域なのです。それと比較して聖岳の眼前にドカーンと音を立てそうな力強さで居座る赤石岳との最低鞍部たる百間洞との標高差は実に1000m近く。縦走するものは、森林限界を越えて更に下まで一端下りる事を抜きには二つのピークを踏む事は到底不可能です。力の要る、体力勝負に終始する充実感タップリの山々が待っていました。今回の聖岳にしても、現在の登山口である便が島からの標高差は実の2000mを越え、カラマツの植林からコメツガの森を経てシラビソ、ダケカンバへと代わる木々の変化のみが唯一の慰めの苦闘を強いられました。それだけに、森林限界を飛び出し、上河内岳から光岳にかけての最南部の山々と間近に接した喜び、山頂を指呼の間に仰いだ喜びは大きなものがありました。ふくら脛のつるような極端な急斜面を乗り越え、深い雪の中の山頂に登り着いた途端の見事な大展望、とりわけ赤石岳から塩見岳、間の岳にかけての雄大な眺めが、いきなり目の前に展開する嬉しさは最高でした。山頂の価値が、極めて高い山のように感じられたのは久しぶりです。思えば、昨年2月の撤退、昨年12月の再挑戦の初めからの転進と、二度に渡る敗退の末に勝ち取った頂上でした。苦労の上にこそ輝く山頂は素敵でした。

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西沢渡の「カゴの渡し」 頂上直下  極端な急斜面 頂上に立って初めて赤石岳が見える

浅間尾根から浅間嶺

 以下の者は、2004年4月7日、奥多摩秋川を南北に分ける浅間尾根を数馬下から数馬分岐に登り、一本松、人里峠を経て浅間嶺(903m)に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 奥多摩の山の中で最も好きな場所は何処か?と尋ねられたら僕は最初に浅間尾根の名前を上げます。所々に杉や檜の人工林があるにもかかわらず全体的な雰囲気は妙に明るく、穏やかな雰囲気で見下ろす事のできる南北秋川の山里の眺め、御前山、大岳山が雄大にキツネ色に見られ、落ちついている中に次々と新しい発見のある楽しい尾根道です。この尾根を辿るのはいつも晩秋から春。木々がまだ芽吹きの季節にならず、裸の雑木林に暖かい陽射しの差し込む、そんな季節がこの尾根には最も似合っていると思います。暖かさを通り越して暑い位の陽気。道端にはスミレが咲く中の一日でした。この浅間尾根はかつては生活の道でした。土木技術が発達していない時代の中では、時には氾濫し、絶えず崩壊の危険性のある谷沿いの懸崖を辿る現在の舗装された街道は、むしろ危険な道としてあり、安定的で上下の少ない尾根道が産業道路として、生活路として歩かれていたと言います。この浅間尾根は、東西に伸びる尾根筋に南秋川から、北秋川からとそれぞれに峠道が登ってきているにも係わらず、南北に尾根を乗り越す本来の峠道は一本もありません。何故でしょう。実は、南秋川は源氏の流れをくみ、北秋川は平家の流れをくむ対立する祖先を持っていた為と言われています。たかだか50年前。この尾根道が頻繁に交通の要衝として使われていた頃には、南北秋川は同じ檜原村の中に有りながら隠然とした対立を内包していたと言われます。尾根道が登山道となり、谷沿いの街道がアスファルトの車道として使われるようになって、そんな事もいつしか無くなっていったと聞いています。
 穏やかな晴天の下に辿った浅間尾根。沢山の春の花と、鳴きだした鳥の声に包まれた一日でした。秋川上流の山々は、何れも生活の山でした。カヤトは茅葺き屋根の材料を得る場所であり、雑木は薪炭の材料を得る場所であり・・・と様々な目的を持った山です。この浅間尾根、そして対岸に同じような穏やかな傾斜を見せた笹尾根、次の冬、再び歩いてみたい山々です。

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浅間嶺手前の明るい雑木林 点々と咲くカタクリ

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