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2010 S-4,6: 特集( 城塚正先生を偲ぶ ) -4,6
           「 城塚 正先生の思い出 」
        岸本 信一;1980年早稲田大学大学院博士前期課程修了 工学修士
                          工学博士号取得年1999年

  城塚先生の訃報に接し、ありし日のお姿を偲んで、心より哀悼の意を表します。

  城塚先生を偲ぶ文章を、と豊倉先生よりお声がけいただきました。他に書いていらっしゃる方は城塚先生の直弟子という大先輩ばかりで、私ごときの出る幕はないと思っておりましたので、大変恐縮しております。

  私が学生の時代には、化学工学コースの各研究室を連峰に喩えれば、城塚先生と城塚研は、間違いなく他よりひときわ高く聳え立つ最高峰でした。何といっても平田先生や豊倉先生は、まだ助教授から教授に昇任されて間もなく、酒井先生に至っては髭もたてていらっしゃらなかったため、試験の際にTAから学生と間違われていたりした頃のことです。既に城塚先生は学内のみならず学会(当時は「化学工学協会」でした)でも、大御所の1人でいらっしゃいました。

  私たち学生の側から見れば、学部の頃、ことに研究室の配属前の段階ではまだ顔も覚えてもらえず、M1の「反応工学特論」あたりでようやく個人として認知していただけるほど偉い先生なんだと捉えていました。ところが個人として認知していただくと、今度は、カミナリが落ちるときも「直撃」ですから、改めてコワイ先生だなと思った記憶があります。先生は、私たちのゼミでの発表があやふやであったり、それをいい加減にごまかそうとしたりすると、いつも厳しい追求をされました。私自身は、比較的要領よく文献の輪読などもこなしていたのですが、それでも文中に出てくる式の理解でご指摘を受けてタジタジとなった記憶があります。

  さて、私がM1となって間もない頃、豊倉研の1年先輩である内山さん、同期である柴内さんと私の3名で、ポーランドはワルシャワで開催される7th Symposium on Industrial Crystallization ’78に参加することになりました。そしてせっかくの機会であるので、欧州の国々を廻って見聞を広めてこようと2ヵ月半の大旅行を計画し、その最後に学会に参加して、さらにモスクワ経由シベリア鉄道〜ナホトカ航路で横浜に帰り着くことにしていました。そこで、確か夏休みが終わってからも2〜3回は城塚先生のゼミを欠席せざるを得ず、その許可をいただきに城塚先生のところへ伺うことになりました。もしかしたらお叱りを受けるのではないかと、恐る恐る申し上げたところ、城塚先生は「ゼミに出るより、海外でいろいろな経験をしたり、学会に出たりすることの方が価値がある。気にしなくていいから、行って来なさい。」と却って背中を押してくださいました。30数年経った今でも、あの時の城塚先生の温顔は忘れることが出来ません。

  正直に申し上げると、当時はたまたま城塚先生のご機嫌が良かったのかとも思っていたのですが、この度、諸先輩の書かれた城塚先生を偲ぶ記事を読ませていただき、恥ずかしながら今にしてようやく城塚先生の本当のお人柄の一端に触れた思いがいたします。学問についてはどこまでも真摯で厳しく、一方で指導者としては温かみのある、そんな城塚先生に教えを受けたことは、大変幸福なことだったと感じております。

  改めて城塚先生のご冥福をお祈り申し上げます。                                  

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